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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号

オットー・ヴァイトを語り伝える

藤村美織

昨年5月、ドイツ訪問の際、ベルリンの「オットー・ヴァイト盲人作業所」博物館を藤井克徳さんらと一緒に見学した。オットー・ヴァイトという視覚障害のドイツ人が、ほうきやブラシを製造するために営んでいた作業所である。第二次世界大戦中、そこで視覚や聴覚に障害のあるユダヤ人を主に雇っていた。

ヴァイトは反ナチスであったが、秘密警察とも通じて仕事を成功させた。そして作業所で働くユダヤ人を守るために、賄賂(わいろ)を使ったり、偽装の身分証明書を作ったり、かくまったり、ありとあらゆることをした。現在、その作業所は博物館となり、当時の状況とヴァイトの行動、ユダヤ人一人ひとりの生命の記録を伝えている。見学した後、博物館のカタログと関連資料を日本に持ち帰って、翻訳を進めることになった。

その資料を見ていくなかで、当時、ヴァイトの元で働いていたユダヤ人、インゲ・ドイチュクローン(1922年生まれ)の文章に、特に注目した。彼女は、ヴァイトをはじめ、心あるドイツ人の助けのもと、地下に潜り、戦時中を何とか生き延びた。戦後、ジャーナリストとなり、ナチスの裁判をみつめ、自らの体験とともに証言活動を繰り広げてきた女性である。この8月で93歳になるが、現在でも執筆を続けている。

ヴァイトについての著作も数冊あり、『パパ・ヴァイト』という子ども向けの絵本も世に出した。その絵本に触れて、まず感銘を受けたのは、事実をそのまま伝えていく姿勢であり、子どもたちにも直球を投げているということだった。そして深刻な内容を扱っているのだが、淡い色調の絵が全体をやさしく包み込む。ベネディクト会のルーカス・リューゲンベルク修道士(1928年生まれ)が、スケッチと水彩画を描いた。

その絵本の対象は、6歳以上の子どもである。特に小学校5年生、6年生向け授業のための教師の手引きも用意されている。ドイツの学校ではナチスの歴史をきちんと教えて、小学生のうちに理解させることに努力してきた。この手引きをみると、「ユダヤ人の星(ユダヤ人に付けさせられた黄色い星のマーク)」「ゲシュタポ(秘密警察)」「ナチス」といった、絵本にある単語を自分の言葉で説明させることから始まり、課題は、歴史の年号とか事柄の表層的な知識を与えることではない。子どもたちの両親や祖父母の年齢を問いかけ、ナチスの時代がそれほど昔の話でないことを認識させたうえで、絵本の内容を考えさせていく。2つ例をあげてみよう。

あるとき、作業所で働く人たちがトラックに一斉に載せられて、ゲシュタポに連行された。ヴァイトは追いかけて、賄賂を使い、全員を連れ戻すことに成功する。その絵は、白杖を持つヴァイトを先頭に、視覚障害者たちが前の人の肩に手を置き、連なって帰ってくることを示す。それを見ている町の人のなかに一人の修道女がいる。

「あなたは新聞社のレポーターです。この場面を目撃した修道女にインタビューをしてください。その質問と答えを考えましょう」

次は、隠れたユダヤ人が、仲間のユダヤ人の裏切りにあう場面についての課題である。作業所で働くホルンは強制収容所への連行から逃れるために、隠れ家で暮らしていた。ある日、通りで昔の友人にたまたま会う。そして、自分や友人の居場所を話してしまう。すぐにゲシュタポがやってきて、捕まえられた。

ホルン氏「やあ、こんなところで会うなんて、驚いたなあ」

昔の友人「久しぶり。元気だった?今、散歩中だけれど、一緒にどう?」

実際の絵本に、この会話は一切書かれていない。「この後のホルン氏の言葉を続けなさい」というのが課題である。子どもたちは自分で考えなければならない。絵本のこの場面では、人物を示すポスターの下に、「密告者、裏切り者」を意味する単語が添えられている。

2015年夏、この絵本が日本でも出版されることになった(汐文社、本体1600円+税)。日本の小学校では第二次世界大戦について学ぶ機会がほとんどないという。自身を振り返っても、小学校ではもちろん、中学、高校の歴史の授業でも現代史まで行きつかなかった。ただし戦争に触れた糸をたどっていくと、子どものころに行きつく。8月6日と9日、広島と長崎の原爆犠牲者慰霊、平和記念式典の放送に初めて目をこらしたのは、まだ幼稚園の頃だったろうか。両親に問いかけたことがあったと思う。また、沖縄のひめゆりの塔について知ったのは、小学生のとき、少女マンガを通してであった。『アンネの日記』を繰り返し読んだことも思い出す。私たちの国では、戦争を学校で扱わないだけに、テレビ、映画、アニメ、本などの役割が、とても大きいと言わざるを得ない。

ヴァイトの絵本では、過去の事実をみつめ、どんな状況であれ、「自分が本当に正しいと思うことをする」、「一人でもやる」、その勇気をもつことが称えられる。今こそ、日本人に重要なメッセージだろう。平和への強い願いとともに、日本の子どもたちにぜひ伝えたいと思う。

(ふじむらみおり ドイツ語翻訳者)