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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号

障害者権利条約「言葉」考

「完全に包容された教育」

大谷恭子

「完全に包容された教育」は障害者権利条約第24条(教育の権利)2項eの言葉である。原文は「フルインクルーシブ」。日本政府は、権利条約中の「インクルージョン」の公定訳を「包容」とした。しかし、これは誠にわかりにくい。確かにインクルージョンは、適切な和訳がなく、定義規定もない。しかし多くの人の異論の無いところでは、障害者は障害の有無にかかわらず、分け隔て無く社会に受け入れられる、ということであろう。インクルージョンは条約を貫く基本理念の一つでもあり、教育においては、さらにより具体的に、インクルーシブ教育制度の実現として求められている。

インクルーシブ教育制度とは、人間の多様性や尊厳と自尊感情を育て、能力を最大限に発達させ、社会に効果的に参加することを目的とした教育制度である。そして、一人ひとりの障害者は、障害のない人に用意された一般的な教育制度から排除されず、自分の生活する地域で、小中の義務教育だけではなく、高校での教育の機会を与えられ、これを実現するために各人に必要な合理的配慮が保障されなければならない(権利条約第24条1項・2項abc)。権利条約は、明確に、障害者に特別な学校や教育形態を設けて、障害者を地域の普通学校から排除することを否定し、一人ひとりに必要な合理的配慮を普通学校の中で保障すると規定したのである。

合理的配慮とは、社会が障害のある人に合わせて変化調整することであり、それがなければ実質的に権利を保障したことにならず、差別になるとされている。教育は、この合理的配慮だけではなく、教育を効果的に実現するための「支援」が必要になることもある。

わが国の障害児教育は、永く分離別学教育でなされ、2007年からようやく特殊教育から特別支援教育への転換がなされた。この特別支援教育制度の中で各障害児になされていた支援は、あくまで個別支援であり、インクルーシブ教育における合理的配慮とは異なる。

権利条約はこれを意識し、合理的配慮とは別項をたてて、「効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般的な教育制度の下で受けること」(24条2項d)と規定した。要するに、支援も、あくまでもみんなと一緒の環境の中でするという原則を立てたのである。

そして、この個別支援が措置としてなされるとき、すなわち、特別支援学校(学級)が措置されるときにも、あくまでも「完全な包容」(フルインクルーシブ)を目的とし、かつ学問的な発達のみならず社会的な発達を最大にする環境においてなされなければならないとした。要するに個別支援措置を例外とし、これに条件を付したのである。

ここからも、権利条約がいかにインクルージョンにこだわり、個別支援の名の下での分離を警戒しているかが見て取れるのである。わが国における、特別支援教育を措置する際の指針として、より意識されなければならない言葉である。

(おおたにきょうこ 弁護士)