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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号

3.11復興に向かって私たちは、今

あの日からの歩みとこれから

石森祐介

私は現在「被災地障がい者センター石巻」で当事者スタッフとして活動しています。東日本大震災が発生してからもう4年が経過したということで、大震災当日から現在までの流れと、これから自分がどうしたいのかについて記します。

2011年、当時私は失業手当をもらいながら就職活動をしていて、あの日も東松島の自宅で面接の準備中でした。大地震が発生した時、自宅には私のほかに母が居て、大津波警報の報(しら)せを聞き、私たちは自宅で祖母を待ち、母は食糧を買いに行くことにしました。震災発生時、祖母は近所にお茶飲みに出かけていたためです。そうこうしているうちに、母と祖母が戻って来たので、内陸に避難しようとした矢先、音も無く塀の高さまで達する黒い濁流が押し寄せて来ました。その時、私たち家族は無我夢中で家の2階まで駆け上がりました。ちなみに私には脳性マヒの障害がありますが、あの時、階段を速く登れたことはいわゆる火事場の馬鹿力なのだと今は思います。

そして、家の2階から周囲の様子を見ましたが、その光景は今でも忘れることができません。唯一の情報源であるラジオから流れる信じられない犠牲者や被害に関する情報、自宅の周囲が濁った津波に覆われ、余震もたびたび発生するなか聞こえてくる助けを呼ぶ声、それらの記憶は自分の脳裏にいまだに焼き付いています。やがて夜になり、停電していることにより星空がクッキリと視(み)えて、その光景が残酷なほど美しかったことも覚えています。

翌日、私たちは陸上自衛隊に救助され、避難先で父や兄とも再会することができました。その後、約2か月半の叔父の家での避難生活を経験し、一度は地震と津波被害で大規模半壊した自宅に戻りました。しかし、大震災の影響でたびたび雨漏りが発生し、冬は冷気が隙間風(すきまかぜ)のように入ってくるようになってしまい、家族と話し合った結果、今年の1月に集団移転の制度を利用して、東松島市の内陸部に新しく家を建て移り住みました。新居に移り住んでから半年が経ち、ようやくここでの生活に慣れてきました。

震災前後で石巻地域がどう変わったかに関しては、大震災から約半年後に加入した「被災地障がい者センター石巻」での活動と、地元に住む障害当事者や親御さん等の支援者との関わりを通して少しずつ見えてきました。この地域は、もともと私たち身体障害をもった人にとって移動がしにくい環境でしたが、大震災以降それがより顕著になったように思えます。

自分にとっての移動のしにくさは、具体的にはJRを中心とした公共交通機関のバリアでした。特に、JR仙石線の線路が寸断されてしまったのが痛手でした。主に、外出時に使用している外用電動車椅子では、寸断区間を運行していた代行バスや、石巻と仙台を結ぶ高速バスに乗車できないため、自力で遠隔地へ移動する場合は、内陸部を走る路線に乗り換える必要がありました。しかし、今年の5月末に4年ぶりにJR仙石線が全面復旧し、車両が新しくなり、バリアはかなり解消されました。

JR線の復旧は、震災が発生してからずっと待ちわびていたことでした。おまけに、津波で破壊された駅が新しく建て替えられ、入り口からホームまで自力で移動可能な構造になり、多目的トイレも広く使いやすくなりました。おかげで、私は震災前と同じように仕事でもプライベートでも自力で遠出する生活に戻りつつありますが、石巻地域を含めた東北の太平洋沿岸の地域はいまだに震災の爪痕(つめあと)が多々見られ、あちらこちらで工事作業が行われています。恐らくあと数年はこの状況が続くでしょう。

また、石巻市や東松島市をはじめとして、なかなか防災を含めた新しい街作りの方向性が見えてこないのが現状です。新しい街作りに関する市の施策は、お世辞にも私たち障害当事者の声が反映されているとは言えません。石巻地域に限った問題ではありませんが、障害当事者の主に地域への関わりを中心とした社会参加の動きが弱く、街を歩いていてもほとんど姿を見かけません。

原因は、先ほど挙げた交通面でのバリアや田舎故の車社会であること、バリアフリーやユニバーサルデザインの意識がまだ根付いていないこと、震災により遠方の地域に移り住んだ等、それらを含んださまざまな要因が絡み合っているように思えます。しかし、悪いことばかりではなく、私たちが石巻地域のいろいろなイベントに関わるようになってから、徐々に身体障害をもった方との繋がりができてきました。今まで私たちも地域との向き合い方が中途半端であったのかもしれません。

今後の活動予定ですが、昨年に引き続き、石巻市の石ノ森萬画館がある中瀬公園にて「にょっきりフェスタ2015(仮)」を9月20日に開催します。昨年度は「障害の有無や種類を問わず皆が楽しめるようなイベントに」という目的で、医療・福祉関係のみならず地元の支援団体や企業、そしてボランティアスタッフの協力のおかげで無事開催できました。反響も良く、昨年とはまた違った形で開催することが決まりました。私個人としても、今後は東北を拠点として、自分と同じ障害当事者の支援と雇用を目的とした事業を始めたいと考えています。

最後に、日本全国のそれぞれの地域にお住まいの皆さまにお伝えしたいことは「災害に備える上で何より普段から地域住民の皆さまと交流することが大切」のみです。

(いしもりゆうすけ 被災地障がい者センター石巻)