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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年9月号

時代を読む71

サリドマイド事件

現在、われわれサリドマイド被害者は、健康・生活の両面で困難を抱えつつ、50代前半の人生を送っている。

サリドマイド事件は、戦後の経済成長期であった1960年前後に、サリドマイドという医薬品の副作用により、世界で約1万人の胎児が被害を受けた薬害事件である。この薬には、妊娠初期に服用すると胎児の発達を阻害する副作用があった。被害児の多くは命を奪われ(死産等)、あるいは四肢、聴覚、内臓などに障害を負って生まれた。わが国では、世界で3番目に多い約千人(推定)が被害に遭い、生存した309人が認定されている。

サリドマイドは、1957年、旧西ドイツで鎮静・催眠薬として開発され、日本では翌58年に1時間半の簡単な審査で承認された。一方、米国では胎児への影響に関するデータがないとの理由で許可されなかった。発売後は安全な医薬品と宣伝され、妊婦のつわり止めにも用いられて(日本では胃腸薬にも配合)、被害が多発した。

1958年以降、新しいタイプの奇形の子どもが次々と生まれ、61年11月、ドイツのレンツ博士の調査によりサリドマイド剤が原因と疑われると警告された(レンツ警告)。欧州各国では直ちに薬が回収されたが、日本では62年9月まで何の対策も取られず、この対策の遅れ(行政の不作為)により被害が倍増した。被害児の親たちは、薬害の再発防止を願い訴訟に踏み切った。製薬企業と国が責任を否定して争った裁判は10年に及んだが、74年に被害者の主張を全面的に認めた和解が成立し、被害者の福祉センターとして財団法人いしずえが設立された。

1960年頃の日本では、奇形の子どもの出生は「悪しきこと」とされ、お嫁にきた母親が「血の汚れ」などと言われて、家庭崩壊に至った例も少なくない。それでも親たちは必死に子どもを育てた。ノーマライゼーションの概念はまだ一般に知られておらず、人並みの日常生活動作ができるよう、子どもたちには厳しい訓練が課せられた。

その後、被害者たちは周囲の支援を受けて学校に通い、就職・結婚・子育てと何とか社会生活を送ってきた。しかし、中年期を過ぎた現在、加齢に伴う新たな問題が起きている。長年にわたり無理な姿勢で過度の負担をかけてきた身体に、背中の痛み、手のしびれ、めまいなどのさまざまな症状(二次障害)が現れている。早期退職を余儀なくされるケースも増え、生活上の困難が増している。最近、被害者の多くに血管や内臓の異常が判明し、健康と医療に関する不安は尽きない。

サリドマイドは、その後、ハンセン病の症状緩和(1965年)と多発性骨髄腫(1999年)に効果があることが分かり、現在、日本を含む世界各国で再び使用され、ブラジルでは120人もの新たな被害が起きている。サリドマイド事件は、被害者の支援と再発防止の両面から、今もなお適切な対策を必要とする問題なのである。

(佐藤嗣道(さとうつぐみち) 公益財団法人いしずえ理事長)