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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年9月号

1000字提言

精神科医の“年の功”

香山リカ

テレビドラマで「男性精神科医と女性患者さんが恋に落ちる」といった設定を見ると、「これはありえない」と苦笑してしまう。恋愛感情がわかないのではなくて、患者さんと一定の心の距離を置かなければ治療はうまく進まないのだ。また、患者さんに治療者が“素”を見せすぎると、失望や不信感につながることもあり、それも治療の妨げになると言われる。

たまに、患者さんから「同じ悩みを抱える人たちが集まって勉強会をしているので講師をしてもらえませんか」と頼まれ、そこには喜んで出かける。「どうしよう」と迷うのは、そのあとだ。

講義や質疑応答が終わったあと、「先生、近くの居酒屋で懇親会するのでぜひ」と声をかけられることがある。うーん、どうしよう。参加して話の続きをしたい気もするが、その場には自分が担当している患者さんもいる。ビールの一杯も飲めばつい気持ちがほぐれて、「私はプロ野球とプロレスが大好きで、毎週のように見に行って生活がめちゃくちゃ」などと話してしまうかもしれない。そうやって打ち解けても、来週、診察室で会えばまた“医者と患者さん”の関係に戻り、自分を棚に上げて「規則正しい生活をしていますか?」などと言わなければならないのだ。

そんなことを考えて、40代までは「懇親会はちょっと」と断っていた。それが変わってきたのは、ここ数年つまり50代になってからだ。懇親会で「ビールはどの銘柄が好き?へー意外」などと友達同士のように話して、次の診察では「このあいだ、楽しかったですね」とその話題から始めても、自然と「ふだんは生活リズムを保ってますよね?」と話をシフトしていけるようになってきた。これぞ“年の功”なのだろう。

だからといって、もっと若い頃からくだけた医療をしてくればよかった、とは思わない。基本は基本、と患者さんとの距離をきちんと置いて接することも必要だった、と考えている。ただ、その原則をいつまでも守り続けなくてはならない、ということもない。年齢とともに見た目だけではなく、性格も変われば考え方も変わる。体力や記憶力が衰えてくるのも仕方ない。その変化にあらがわず、しなやかに自分をあわせていく。これぞ年を取る醍醐味というものか、と最近は悩まなくなってきた。

これから60代、さらにその上になったとして、私の医療スタイルはさらに変わっていくのだろうか。患者さんたちとの距離はもっと縮んでいくのかもしれない。最初から診察室ではなくて、カフェのような開かれたスペースで患者さんを迎えてお茶でも飲みながら話を聴く、なんてことになってたりして、などと今から想像してニヤニヤしている私である。


【プロフィール】

かやまりか。精神科医・立教大学教授。北海道生まれ。東京医科大学卒。臨床経験を活かして、現代人の心の問題を中心にさまざまなメディアで発言。専門は精神病理学。近著は『堕ちられない「私」 精神科医のノートから』(文藝春秋)。