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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年9月号

文学やアートにおける日本の文化史

アマチュア無線で仲間と世界とつながる

田原強

「アマチュア無線をやっていなかったら、私は今、何をしていただろう…」

昭和49年10月にJASC(ジャスク)という、障害者と健常者が一緒に活動するアマチュア無線クラブを結成してから昨年で40周年の節目を迎え、このようなことをふと考えるようになった。縁あって、今回寄稿する機会をいただいたので、JASCを中心としたアマチュア無線の世界との関わりについて話をしたいと思う。

アマチュア無線との出合い

私は生まれつき両手両足が不自由で、小・中・高校と東京都立光明養護学校(現・特別支援学校)に通った。私は学校時代、大変な問題児(暴れ者)で、いつも両親や先生を困らせていた。こんな私でも高等部2年生になった頃には自分の将来を考えるようになり、以前より興味があった電気技術科に進んだ。また、自宅の前に住んでいた加藤さんという方がアマチュア無線をされていて、いろいろと話を聞くうちに自分もアマチュア無線をやりたいと思うようになった。

アマチュア無線を始めるにはまず、国家試験に合格するか、日本アマチュア無線連盟(以下、JARL)が開催する養成課程講習会(注:現在は日本アマチュア無線振興協会が開催)を受講し修了試験に合格して、無線従事者免許証を取得しなければならない。

私は講習会を受講したが、会場はエレベーターのないビルの3階にあり、当時、松葉杖を使用して歩いていた私にとっては、狭い階段を登るのも決死の覚悟だった。「まあ、好きなことは人間一生懸命できるものだ!」と後から感心するくらい大変だった。講習を無事修了し、無線従事者免許証が届くとすぐに個人の無線局を開設し、私のアマチュア無線生活がスタートした。

JASC結成

自分の無線局を開設すると、毎日のように交信を楽しむようになった。そして、交信で知り合った近所の健常者の仲間と交流をするようになり、サークルも結成された。これまで家族、養護学校、職場といった限られた世界で生活していた私にとっては、同じ趣味を持つ仲間との交流は劇的でかつセンセーショナルな体験であった。このような体験を通して私は、「自分だけ健常者の仲間と交流を図り、楽しんでいてよいのか」と思うようになり、ついには「より多くの障害者がアマチュア無線の世界に参加するためには、どうしたらよいのか?」という思いを強く持った。

私の思いをまずは養護学校時代の仲間に話をした。すると、その仲間もアマチュア無線を始めるようになった。そして、その輪が多くの人や障害者団体にも広がり、仲間と共にクラブを結成する動きが出てきた。その折に日本アビリティーズ協会との出合いがあり、私の思いをぶつけたところ、物心両面からの援助をいただけることになり、昭和49年10月にJASCが結成された。

創立初期

結成直後、NHKの「福祉の時代」というテレビ番組で活動が紹介され、全国から問い合わせが殺到し、会員数も爆発的に増加した。また、昭和49年11月に開催された第1回福祉施設近代化機器展では、協賛の日本アビリティーズ協会の特別な計らいで特設のアマチュア無線コーナーを設けさせてもらい、無線の公開運用を行なった。この模様は『ハムライフ』というアマチュア無線の月刊誌にも取り上げられ、さらに会員数が増えた。

昭和50年4月26日、第1回JASC全国総会が東京・新宿で行われた。全国から約50人の会員が参加してくれた。慣れないながらも役員らの大奮闘もあり、無事、成功裏に終えることができた。このときの感動は今でも心に残っている。

結成1年後には会員数も100人を超え、活動は毎週のように行われるようになった。地方の会員訪問なども積極的に行われ、特に関西地方にはエリア事務局が設置され、地方独自の活動も始まりだした。また、その数年後には関東地方でも事務局が設置された。

障害者への門戸を広げるために

無線従事者免許証取得のための講習会は、会場(トイレ・階段等)が今のようなバリアフリー対応ではなかったり、長時間の講習が体力的に厳しい人もいた。また、国家試験に合格するための勉強法も分からなかった。そこで、顧問である高田継男(たかだ つぐお)先生にお願いし、国家試験の合格を目指した勉強会を何度か開催していただいた。高田先生の熱心なご指導もあり、多くの障害者ハムが誕生した。

また、無線従事者免許制度に数々の問題点があることが分かり、受験資格の改定等の見直しを求めて、JARLや郵政省(現在の総務省)に働きかけを行なった。この活動は多くの方々の理解と賛同を得て、障害の枠を超えた運動として諸制度の改正となって実現し、代筆受験・口答受験・補助器具の持ち込み受験が可能になった。それはまさに時代のうねり(国際障害者年)に乗った出来事だったのかもしれない!!

理想と現実

創立10周年を迎える頃には会員数が300人を超えた。特に、昭和58年4月24日、兵庫県加古川市市民文化会館で開催された第9回JASC全国総会は140人を超える参加者で、会場内は誰が誰だか分からないほどの盛況ぶりだったことを覚えている。しかし、会員数が増えるにつれ内部に問題が出始めた。

ミーティングなどの活動を積極的に行なっても、障害の程度などの理由で参加できない人が少なくなかった。このような仲間にもJASCを身近なクラブとして感じてもらうために、自らがその仲間の元へ出向き、交流を深めるという「会員訪問」を積極的に行なってきた。

それでも会員数が増えるとさまざまな考えを持つ人がクラブの運営を担うようになり、クラブを一つにまとめていくことがだんだんと難しくなってきた。時には、多くの仲間との別れという危機も迎えた。しかし、私を支えてくれる多くの仲間の助けもあり、会員数は少なくなりながらも現在までJASCを続けることができた。

全国キャラバン事業

JASC創立20周年を迎えた頃に、「より地域に根ざした会員のための意義のある活動ができないか?」と思うようになった。しかし、これをJASCだけで行うには限界があり、JARL、無線機器メーカー、行政機関、地域クラブなどの多くの方々のご協力を仰ぎ展開しなければ行えないと感じていた。そこで、地方の会員が、その地域の中でいろいろな形で福祉関係機関や地域クラブと連携し、少しでも楽しく有意義にアマチュア無線を活用できることを目指し、平成8年に全国キャラバン事業を開始した。

キャラバン事業の中では、短期間で対象の地域をただ訪問するのではなく、「じっくりと腰を据えて、地域諸機関の情報を得て、それを会員にフィードバックする」ことに努めた。全国を一巡するのに8年の歳月がかかったが、当初の目的は一応の形で達成することができた。それと同時に、アマチュア無線家にわずかではあるが、「障害者への正しい理解と協力」を得ることができたのではないかと思っている。

新たな技術との融合

パソコンやインターネットなどの情報技術の進歩がアマチュア無線の世界にも影響をもたらしている。昔は電波の届かない相手とは交信できなかったが、今ではアマチュア無線やSkypeをはじめとするインターネット音声通信とを組み合わせた方法も許可されるようになった。JASCでも毎週金曜日の夜に行なっているロールコール(無線でのミーティング)にこの方法を活用し、より多くの仲間と密に交流できるようになった。

また、アマチュア無線を介したパソコン通信も盛んに行われている。我々のクラブでも言語障害をもつ仲間がこの方法で世界中の人と交信を楽しんでいることを聞き、クラブ内で技術講習会を何度か開いたが、私には難しかった。しかし、言語障害を乗り越えて世界との交流を図っていることはとても喜ばしく思う。

これからも

私とアマチュア無線との関わりを簡単に記してきたが、振り返ってみると無線を通じた仲間たちとの交流は、自分自身の人生にとってかけがえのないものとなっている。私の人生にアマチュア無線という楽しみを与えてくれた方々に感謝しながら、今後もわくわくするような出会いを、大いに期待している。

(たはらつよし JASC会長)


●HP http://www.jasc-ham.net/