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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年12月号

私のファッション哲学

義足はファッションの一部

森貴昭

私は約6年前にバイクで交通事故を起こし、左足の膝から下を切断して義足で生活をしている。今までの自分は“障害”に対して良いイメージは持っていなかったが、現在は義足を「ファッションの一部であり、個性の一つ」として捉(とら)えている。

義足をつけて生活するようになった当初、今までの自分の足とは違って金属をつけている姿を受け入れることができなかった。そのため、退院してからは家の中にいることが多くなり、外に出ても義足だとバレないような長ズボンを履くことが必然と多くなっていたように思う。

就労訓練をするために、自立支援局へと進んだ私は、自らの障害を隠さず、残存機能を最大限に活用している人たちがいることを知った。かっこいいスポーツウエアに身を包み、真剣な目つきでスポーツに取り組む姿、個々に合ったファッションを楽しみどんどん外に出ていく姿を見て、「今までと変わらないじゃん」と思ったのと同時に、それができていない自分を悔しく思った。

それからは、障害があるからと、恥ずかしいものだと思わないようになり、諦(あきら)めていた事柄にも挑戦したくなり、そのためにもファッションに気を遣うようになった。それは“ファッション”とは、自分を表現するツールであるとともに、時には気持ちを引き締め、時には前に出て行く勇気をくれるものだと思っているからである。

その力も借りて、みんなと同じように、どんどん前に出て行けるようになった。それにより、同じような義足の人ともたくさん出会うことができた。そこには、義足をファッションの一部として取り入れている人たちがいて、障害を受け入れるだけではなく、前を向いて歩いていく姿勢を感じ、私もこうなりたいと思った。

最初に戻るが、私は障害を“個性”だと考えるようにしている。この考えを持つようになったことで、“障害”を偏見することなく、自分を受け入れることができたのではないかと思う。

(もりたかあき 了徳寺学園医療専門学校柔道整復師科)