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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年12月号

文学やアートにおける日本の文化史

電動車イスで「江戸市中引廻」!?(後編)
―文献で巡る江戸の町―

堀沢繁治

4 きっかけは「ブラタモリ」

限られた人数で、僕の生活の、また、会の諸活動の助けとなることにおいて、上っ面の愛想の良さは不要と考えた。用がなければ、1日中でも、いや何日でも一言も発しないで机に向かっていられる。

自分で言うのもおかしいが、僕は変わった人間だ。日常生活も変わっていてカントのようだ。カントの時計のエピソードのように決して生活リズムを崩さずにきた。そういうカントと同様、早寝(8時頃)早起き(4時前)している。電話でのやり取りをせず、専(もっぱ)らメールと郵便に頼っている。インターネットも繋(つな)いでいない。そんな変わった日常生活の様子を題材として機関誌『車生考』の記事を書いてきたが、ネタも限られてきて、マンネリに陥りかけた。

テレビも殆(ほとん)ど見ないのだが、たまたま見たのが、知的エンターテインメント番組『ブラタモリ』(NHK、初期シリーズ)だった。土地の高低差、鉄道、小型船舶、無線、真空管などの造詣の深さに感心するタモリさんが、新宿区や文京区の地形を特集した回で、筑土八幡の近くをブラつきながら「この辺りを『市中引廻』が通ったんですね。一度は全行程を歩いてみたいものです」と解説者と語り合っていた、その言葉に僕の心が動いた。

もともと地図を読むのは好きだった。そして、移動手段を電動車イスに頼る生活は、地形や坂、その勾配、段差、歩道カットの傾斜などを意識せずにはいられない。自然とタモリさんに魅かれる。共通の趣味を持っている僕は、すんなりと1回目の踏査に出掛けた。

準備として、床に山積みされた本の中から、江戸切絵図に対応する半透明の現在の地図が重なっている「重ね図」を引き抜いて検討を始めた。「牢獄」の場所は見当がついた。『大岡越前』などの時代劇にたびたび出てくる「小伝馬町の牢獄」が「市中引廻」のスタート&ゴールだった。僕が辿ることになる引廻の道筋は、大岡忠相が実際に裁いた「白木屋事件」のコースだ。市中引廻のうちでも最長の行程だったと思う。

今の地名などに従うと、牢屋敷跡である小伝馬町の十思公園を振り出しに、堀留、江戸橋、日本橋、少し迂回し、八丁堀、中央通りに戻って京橋、銀座、新橋、三田、泉岳寺前、引き返して、慶大三田校舎前、東京タワー脚下、溜池、赤坂見附、迎賓館横、四ッ谷、市ヶ谷、濠端から離れて、箪笥町(タモリさんが指していたのはこの辺)、神楽坂、濠端に戻って、後楽園、東大病院、湯島天神、上野駅、雷門、東武浅草、墨田公園脇、今戸橋、そこから浅草に引き返して、蔵前、浅草橋、馬喰町、そして十思公園に戻る。

5回ほどの連載で済むと算段していた。実際に踏査に出掛けてみると、生易(なまやさ)しいものではなかった。朝のヘルパーさんが退室するのが10時半。夕方の入室が4時半から、一番遅い人で5時半。しかも、わが家に来る直前の利用者に都合や体調、緊急の入院などで、予(あらかじ)めケアマネが設定した通りにはいかない。「あちら様次第」なのだ。

5 自由に外出しにくい

同様にヘルパーさんに来てもらう施策でも障害者福祉の場合は、ひと月に使い得る時間の最大量という枠はあるが、僕の場合には、かなり時間的な余裕があった。出先で想定外のことが起こったり、電車の遅延などで乗り継ぎが思うようにならなくなって入室時刻に遅れても、ヘルパーさんの都合に合えばの話だが、その場の変更が可能で、当日使わなかった時間数を翌日に回して加算してもらうことも可能だった。

6 根本的な施策の違い

障害者施策と介護保険とで大きく違うところは、外出についてだ。障害者施策は、どんなに障害が重度であっても、外出の自由を保障している。そして、日による生活リズムのバラツキと重度化を前提にして余裕を持たせたサービス量の限度を設定している。もちろん最重度の人はそれでも足りずに、家族やボランティアなどを使ったり、個人の工夫で生活をしている。

サービス供給量の約半分が外出の付添用の枠で、ヘルパーさんに支給される時給も割高だった。東京の品川区では少なくともそうであった。こういう措置の許に障害者の自立や地域での暮らしが保障されてきた。そこに至るまでの要求交渉には本当に厳しかった歴史がある。僕の場合は「漁夫の利」というか「鷸蛤(しっぽう)の争い」で、できあがった制度を使って独り暮らしを実現してきた訳だから、現に闘ってその制度を勝ち取った障害当事者には大いに申し訳なさを感じる。

家を出る時刻も帰り着く時刻も、障害者施策より制限されていては、1回ごとの踏査時間を短くせざるを得ない。1回目の踏査にしても、家を出てスタート地点の小伝馬町に行くだけで1時間半。往復で3時間はかかる。地図と鉄道と両方のマニアとして、一番効率の良いルートを選んだ。でも健脚者の倍以上の時間を要する。家を出て山手線の大崎に。恵比寿で乗り換え地下鉄日比谷線で小伝馬町。エレベーターの地上出口を出た所が牢屋敷跡の十思公園の敷地の角だから、まだ良い方だ。

家から日比谷線のどこかの駅に出るにはいろいろな行き方がある。「恵比寿で乗り換えるなら、大崎より大井町からりんかい線・埼京線に乗れば、直射日光を浴びる時間も短く、所用時間も同じくらいでしょ」と電車好きの知人は教えてくれる。確かにそうなのだが、りんかい線は半数が大崎で折り返し、埼京線への直通乗り入れをしない。有楽町で乗り換えることも、健脚者の多くが考えつくだろう。日比谷線の日比谷駅へは少し離れているが、健脚者が不便だと感じるほどは離れていない。

僕の活動時間帯では、京浜東北線は快速運転しているため、有楽町には停まらず、田町か浜松町で山手線に乗り換えなければならず、大井町からは、かえって時間も手間もかかってしまう。同一ホームでの乗り換えで、両線とも5分間隔なので、最大で5分待てば必ず乗り継げる。これも健脚者の場合だ。大井町から田町(浜松町)で山手線に乗り換えて有楽町に行く、とケアスロープを必要とする車イス者が申し出ると、乗り換え駅と下車駅への連絡に加えて、山手線の車イス状況を問い合わせて調整しなければならない。駅員の手間もより多くかかるし、車イス者の乗客側も、より長く待たされる。連絡の行き違いという可能性も高くなる。

十思公園は降車駅の真上だから良いが、浄瑠璃坂から、タモリさんが言っていた箪笥町、後楽園横から湯島天神は、普通の人が思いもよらない道順で往復した。浄瑠璃坂を調べる場合、市ヶ谷がJRでも地下鉄でも最寄り駅だ。

僕は、下神明で乗って、自由が丘と東新宿で乗り換えて、牛込神楽坂で降りた。東急は駅の規模が小さいことから、そんなに待たせないで電車に乗せる。東新宿からは都営の地下鉄大江戸線だが、都内で2番目に新しくリニアモーターの台車の特性ということもあり、ホームと車両の段差も隙間も極端に小さく、ケアスロープが全駅で不要だ。申し出ない限り、駅員の付添も無い。来た電車に乗れ時間も節約できるし、心理的ストレスもグーンと軽い。

電車に乗るまでが時間がかかるのだ。改札口で窓口の駅員に行き先を告げる。案内の係員を呼び出す。ホームまで誘導される。この段階でも相当の時間を要している。でも、まだ乗れないのだ。誘導してきた駅員は、降車駅への連絡のため事務室に行く。最短で数分のロス。それでも、すぐ後に入線する電車に乗れたらラッキー!降車駅で同時刻に別の車イス者の乗降があった場合、どちらを先に案内するかを相談しなければならず、さらに、待たされる。

電車に乗る。目的の駅で降りても、最近では、健脚者が、素手で、ホーム上のエレベーターに押し寄せて、順番待ちになり、時間が読めない。エレベーターモラルの闕如(けつじょ)である。少しは恥じろよ!それこそ、大岡越前守忠相や遠山左衛門尉景元を真似て「市中引廻の上、獄門ォ~ン!!」と怒鳴り付けたくなる。勿論(もちろん)、お二人ともお白州で怒鳴ったりはしなかったろうが、人間の出来ていない僕は、反撃が恐ろしくて口には出さないが、そういう場面に出くわすたびに、胸中で怒鳴り捲(まく)っている。自分さえ楽して生きられれば良いと考える「白木屋お熊」と同じだぜ!

7 結び

エレベーターモラルの問題と改札口から電車に乗るまでの、長い待たせ時間を解消しない限り、車イス者にとってのノーマライゼーションの理念は絵に描いた餅に終わる。これが電動車イスで鉄道を乗り継ぎながら行なった17回、約2年に及ぶ踏査、執筆で得た結論である。そして、内臓が丈夫で意識がはっきりしているタイプの65歳以上の肢体不自由者は、介護保険への移行ではなく、生涯一貫して障害者施策で支援すべきだ。金は要るが、関係諸腎の一考を願いたい。

(ほりさわしげはる 「車生考」編集人)