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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年12月号

3.11復興に向かって私たちは、今

つながりを感じるとき

熊坂和美

2011年3月11日に東日本大震災が発生してから4年半あまりが経ちます。木枯らしの吹く季節の週末、福島市にあるわが家には除染作業が入ります。放射線量を測定し、家屋の屋根や壁を高圧洗浄し、土を漉(す)き取って敷地内の一部に保管します。作業の日取りを決め、家族で話し合って汚染された土を保管する場所を決め、作業の様子を見守ります。一つ一つの家庭でこの作業が行われます。福島市内だけでも約12万世帯あることを考えると、小さな石を一つ一つ積み上げるような、気の遠くなるような作業です。しかし、この積み上げの先にしか、安心できる生活はありません。ただ、それも敷地の一角に土が保管された特別な場所があるという、但し書きがついた「安心」でしかありません。

福島県は海側の浜通り、内陸の中通り、会津地域と気候風土の違う3つの地域に分かれており、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故の影響は地域によって異なります。

中通りは原子力発電所からの距離はあるものの、地域によっては放射線量が高く、自主避難をされている方もいます。浜通りは津波被害に加え、原子力発電所の事故の影響で、現在も生活することができない地域があります。同じ福島県内でも地域と家族の状況により抱える問題は異なり、一括(ひとくく)りでは語れない複雑さが時間の経過とともに増してきています。

震災発生当時、私は県障がい福祉課で発達障害支援を担当していました。発生時は県内の発達障害の支援者を対象とした研修中でした。参加者は、詳細が分からないまま大急ぎで地元に戻って行き、中にはその後に原子力発電所の事故による避難指示が出される地域の方もいました。研修や自立支援協議会を通したつながりで、共に発達障害支援を行う仲間という意識がありましたので、彼らの安否がとても心配されました。幸い無事は確認できましたが、彼らは県内で最も困難を抱える地域で、自らも避難生活を送りながら発達障害のある方を支援する仕事を続けており、その苦労を思うと胸が痛みました。

震災直後の行政の対応は刻々と変わる被害の状況に合わせて、住民の避難と放射線への対策に追われていました。原子力発電所の事故発生後の避難指示は時間とともに拡大し、住民の避難だけでなく、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、葛尾村、川内村、楢葉町、広野町は町村の行政機能ごと避難することとなりました。

施設や病院の大規模な避難もありました。行政機能ごと避難するという事態は「地域」のつながりが崩れることであり、通常は市町村が主体となって行う障害福祉の支援が難しくなってしまうことでした。施設などの保護された状況にいる方たちの情報は入ってきていましたが、発達障害も含め、地域で暮らす障害のある方の状況はなかなか把握できませんでした。

そのような中、県自閉症協会から各地で困難を抱えている方の情報が入り、児童デイサービスや相談支援事業所などの支援者からの情報も入ってきました。

発達障害の方の困り感は外部からは見えにくく、障害の特徴や、それによりどんな困難が生じるのかという知識がないとニーズの把握は困難です。平時から機能しているネットワークや支援者との関係が緊急時にも役立ち、情報を把握することができました。避難所に、急に専門家が訪問してもなかなか相談は来ませんが、地元の親の会や支援者と連携した専門家の訪問には相談が来ます。緊急時とはいえ、相談する相手は誰でも良いわけではないのです。

また、避難元から避難先の支援者に情報をつないだり、受け入れ先の体制を整えたりと、支援者同士のネットワークも役立ちました。そして、支援者と行政がつながることでニーズを把握し、その後の対策に役立てることができました。また、「仲間」である支援者の方たちを支えたいという想いは、私自身が困難な中で仕事を続ける大きな動機になっていました。

翌年から私は心理臨床の場に戻り、児童相談所に勤務しています。心理臨床の場で震災直後の仕事を振り返って感じるのは、月並みかもしれませんが、人同士のつながりの大切さです。仕事に必要な情報はメールや電話で十分足りるかもしれませんが、一緒の場で議論し、同じ目的で学ぶことを共有することで「仲間」としての意識ができ、困難なことにも一緒に取り組むこともできます。震災前、行政担当者として自立支援協議会の運営や企画に試行錯誤して取り組んでいた頃、「連携」「ネットワーク」とやや堅苦しく論じていましたが、震災直後の対応はそれがどう役に立つのか体感するような経験でした。

震災前、阪神・淡路大震災や新潟県中越沖地震の支援報告を聞く機会があり、実際に自分が災害を体験した際に非常に役立ちました。私の体験は大きな災害のほんの一側面ですが、いつか誰かの役に立てればと思い報告させていただきます。

福島では多くの人は日常を取り戻して生活していますが、放射線への不安は影のように日常をよぎります。人によってはその影は濃く、触れれば傷の薄皮がはがれるように悲しみがあふれる人もいます。

復興は目の前の問題を焦らずに一つ一つ解決していく先にあります。心理臨床の場で働く今は、相談に来る一人ひとりの心に丁寧に寄り添っていくことが、積み上げる一つの石となる自分の役割と思っています。

(くまさかかずみ 福島県県中児童相談所専門心理判定員)