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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

いま、障害のある人と家族は

土屋葉

はじめに

ひとはどこかの「家族」に生まれ落ち、育つ。その家族成員の誰かが障害をもっていたり、途中で障害をもつことがある。そして進学、就職などの機会を得てそこを離れ、他人と生活を築いていくかもしれない。新たなパートナーが障害をもっていたり、途中でもったり、障害のある子どもが生まれてくることもあるだろう。だれもが「障害者の家族」という立場になりうる可能性を有している。

当たり前のことだが、「障害」は多様であり必然的に「障害者の家族」も多様である。さらに障害のある人との関係(親子・きょうだい・配偶者など)により、一人ひとりの家族との関わりもそれぞれ異なってくる。ここですべての「家族」に言及することは到底できないことをお許しいただきたい。

さて、これまで日本において「障害者の家族」は、もっぱら障害のある本人を経済的にも身辺的にも支援する存在として位置づけられてきた。象徴的には、親たちが高齢になっても障害のある子どもの世話をしつづけることを前提として、「親亡き後」の生活のあり方が議論されるというように。

しかし、日本も2013年に批准した「障害者の権利に関する条約」は、家族への支援の必要性についても言及している。前文においては、障害のある人の権利の享受について家族が貢献できるよう、本人と家族の構成員は必要な支援や保護を受けるべきであるとされている。では、今の日本社会において、障害のある人は他の人と同じ権利を享受することができ、家族はそのために必要な支援を受けることができているのだろうか。

「地域生活」の現実

近年、「地域移行」をスローガンとした政策が進められるなかで、幼少期から高齢期まで、障害のある本人の地域での生活を保障するための制度が整えられつつある。いわゆる「重度」の障害のある人、知的障害のある人、医療的ケアを必要とする人が、24時間の支援を得て地域生活をする例も報告されている1)

しかし、家族が障害のある人の扶養や世話を引き受けているというのも、「今は昔」の話ではない。データを参照しつつ考えてみよう。

厚生労働省の調査2)によれば、65歳未満では、知的障害のある人は年齢層が比較的若い世代に偏ってはいるが、同居者がいる人の、実に90.7%は親と暮らしている。また、精神障害のある人はやや高い世代に偏っているものの、65.7%が親と暮らしている。身体障害のある人は高年齢層に偏っており、59.7%は夫婦で生活しているが、40.7%は親と(も)、35.5%は子どもと(も)生活をしている。

一方で、精神障害のある人で入院患者の割合は10.1%、知的障害のある人で施設入所者の割合は16.1%となっており、無視できる数値ではない。グループホームで暮らす人は増加傾向にはあるものの、知的障害のある人の11.5%、身体障害のある人の4.2%、精神障害のある人の3.5%にすぎない。また地域による差も大きい。たしかに重い障害のある人が単身で、またはグループホームで暮らしている例もある。しかしこれらのほとんどは大都市圏での話である。

収入についても確認しておこう。厚生労働省の調査では、1か月の収入が「9万円未満」と答えた人の割合は、知的障害のある人の54.2%、精神障害のある人の52.7%を占めており、半数以上の人が月に9万円に満たない収入しか得ていない。

まとめよう。とりわけ先天的な障害のある人、あるいは比較的年齢が若いうちに障害をもった人は、年齢を重ねても未婚のまま親やきょうだいと暮らしている。収入は、地域で独立の生計を営むには十分なものではない人が多く、そうした場合は、生活費・治療費を含めた金銭的支援を家族が担っている。単身で、あるいはグループホーム等で暮らす人は決して多いとはいえず、かつてと比べ本人に対するサービス体制が整えられてはいるものの、家族に依存する生活を送る人が多い。

ケアをめぐる現実

家族による扶養・世話責任は、いくつかの法律や制度によって補強されている。障害者が家族に扶養・世話される存在として位置づけられることを顕著に示しているのが「保護者」規定である。知的障害者については知的障害者福祉法(第15条の2)において保護者をもつことが定められており、多くの場合、家族がその役割を担っている。また精神障害者については、2014年の精神保健福祉法改正により保護者規定は廃止されたが、家族の負担が軽減されたわけではない3)。これは民法において扶養義務規定(第877条、第752条)が存在することとも無関係ではないだろう。

実際に、日常生活の支援について多くは家族が担っている。きょうされんが行なった調査では、「主な介護者」は、母親が64.2%でもっとも多く、その約半数は60代以上であった4)。また国民生活基礎調査によると、介護保険を利用する「要介護者」の「主たる介護者」は、配偶者が26.2%、子が21.8%、子の配偶者が11.2%である。このうち女性が68.7%を占めていることから、妻、娘、嫁という立場の人がケアを引き受けていることが推測される5)。こうした現実は、家族が愛情をもってケアを引き受けるべきであるという根強い規範によっても支えられている。

一方で、慢性的な病気や障害、精神的な問題を抱える親や家族の世話をしている子どもやティーンエイジャー(「ヤングケアラー」)に注目が集まっている。彼らが行うのは、介護/ケア・投薬の管理(の補助)、家事やより幼い家族成員の世話などであり、自分の勉強や部活動、クラブ活動は後回しとなる。近年、ヤングケアラーを支援する団体によって実態調査が行われるなどの動きがある6)が、公的な支援体制はいまだ構築されていない。

「殺させない」社会に向けて

脳性まひの著者、横塚晃一による『母よ!殺すな』という衝撃的なタイトルの本が刊行されたのは1975年のことだった。しかし障害のある人を手にかけてしまう家族の例は残念ながら現在でも後を絶たない。「心中」、「介護殺人」、「子殺し」として報道されるのは、閉鎖的な空間において一人でケアを担うなかで心身を病み、SOSを出すことができなかった家族の姿である。

この間の生活保護制度の扶養義務強化等の動きにみられるように、今後ますます家族責任や家族規範が強められる可能性がある7)。すでに限界をむかえている家族が、さらに「がんばる」ことを強要されることに慄然とする。

こうした、家族のみに責任を帰するような社会のあり方自体を問い直すことが必要である。まずは、住む地域や「障害者」カテゴリーによる差が生じないかたちでの、障害のある人への所得保障や支援体制を整備していくことは喫緊の課題である。

また合わせて、ケアを担う家族への支援体制の整備も必要である。たとえば、イギリスでは1990年代から介護者支援、なかでも介護者へのアセスメントへの注目が集まっている。介護する家族を個人として認めたうえで、彼らのニーズに適切に対応することが目的とされ、日常生活のみならず、労働や生涯教育、余暇活動への参加の意思についてもアセスメントが行われる8)。日本においても家族の「ケアする/しない(離脱する)権利」を前提とした、年齢層を問わない家族への支援体制の構築が求められる。

「障害者の家族」となることで、人は豊かな世界を知ることができる。しかしその際、介護者としての負担のみが大きく立ちあがってくることは、あってはならない。家族としての喜びや楽しみをそれ自体として享受できるよう、社会がすべきことはまだ多くある。

(つちやよう 愛知大学文学部教員)


【注釈】

1)寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治『ズレてる支援:知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大』2015年、生活書院など

2)厚生労働省「生活のしづらさなどに関する調査」(2011年)

3)岩井圭司「精神保健福祉法改正の周辺とあとさき:医療をめぐる強制と家族の問題を中心に」(2013年7月31日)http://synodos.jp/welfare/5070

4)きょうされん『家族の介護状況と負担についての緊急調査の結果』(2010年12月)http://www.kyosaren.or.jp/research/2010/20101206kazokukaigo.pdf

5)厚生労働省「国民生活基礎調査」(2013年)

6)一般社団法人日本ケアラー連盟による「ヤングケアラープロジェクト」など

7)ほかに、認知症の男性が電車にはねられ死亡した事故をめぐり、鉄道会社が家族に損害賠償を求めた訴訟で、妻に「見守りや介護を行う義務がある」とする(二審)などの動きがある(2015年11年11日毎日新聞)

8)三富紀敬『イギリスのコミュニティケアと介護者:介護者支援の国際的展開』2008年、ミネルヴァ書房