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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

家族からの意見

地域で生きる日々

正木寧子

わが家は両親と7歳になる呼吸器ユーザーの長男(1歳1か月で装着)篤の3人家族である。

生後8か月で生育不十分ということから、さまざまな検査を経てついた病名がミトコンドリア病の一種であるリー脳症。聞いたことのない病名にただただ泣き、とまどうばかりの両親だった。診断がついた3か月後の1歳の誕生日間近ごろから、頻繁に呼吸不全の発作を起こすようになり、主治医の勧めで人工呼吸器の装着を選択した。と、書くとあっさりと決断したように見えるが、私たち両親は半月ほどの間、悩み抜いた。人工呼吸器ってなに?カニューレ?常にホースと機械に繋(つな)がれた人生?それでこの子は幸せと言えるの?分からない。さあ、どうするか…。

まずは、主治医や看護師さんにいろいろ質問することから始めた。質問はしたが、今思い返せば結局は「装着後、篤の状態が安定すれば退院して普通の日常生活を家族で送れますか」という1点にかかっていたように思う。「できます。ただし、ご両親の知識の充実と覚悟、周りの人の協力は必要です」との答えに、そうか、それならその目標に向けて頑張るまでだと思い、人工呼吸器装着の手術をお願いした。

術後1か月半で在宅生活に移行して以来、およそ6年になる。その間、時々免疫低下による入院はあるものの、概(おおむ)ね「普通の」小学1年生として篤は生活している。公立の幼稚園にも正式入園をし、2年間親の付き添いはあったものの、クラスの中で成長し、昨年の春には地域の小学校に入学した。幼稚園入園に当たっては、かなりの逆風があり、市教委・幼稚園側との協議がぎりぎりまで続き、正式入園が決定したのはまさに入園式1週間前であった。同じ広島市立ということで小学校は就学の2年前から入学の意思表示を示し続けたおかげで、無事、幼稚園の仲間たちと入学を果たすことができた。

最初は、周囲も子どもたちも恐る恐る遠巻きに見ていたようなところがあったと思うが、地域の幼稚園・小学校と一番メジャーな道を歩んできたお陰(かげ)で、地域の中での知り合いが飛躍的に増えた。学区外に出ればまだじろじろと見られる篤だが、大好きなサンフレッチェの応援にスタジアムに行った時「あ!正木君だ!」と男の子が飛んで来た。よく見れば、隣のクラスの友達。篤もこれにはびっくりしてニコッとした。やっぱり地域で生きて、地域の学校に入学してよかったなあと思った瞬間だった。知ること、知ってもらうことが、互いの心の不安を取り除くのだと感じている。逆風も風向きはやがて変わり順風になる。そう信じている。

(まさきやすこ バクバクの会中国支部)