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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

家族からの意見

コーダより周囲のみなさまへ
~聞こえない親をもつ聞こえる子どもの気持ち~

中津真美

聞こえない親をもつ聞こえる子どものことを、コーダ(CODA:Children of Deaf Adults)と呼ぶことがある。一般的に、親の聞こえの程度には言及されず、また、両親が聞こえない場合でも、どちらか一方の親だけが聞こえない場合でも、聞こえる子どもはコーダと定義される。

コーダの成長発達過程は、多様とされる。親への親愛感のみを有して成長するコーダも多くいる一方で、親と親の障害に対して葛藤するコーダや、いい子でいようと自己を抑制して成長するコーダもいる。友達と自分とは何かが違うと感じたり、聞こえない世界に帰属する親との隔たりを感じたりして、アイデンティティーが揺らぐコーダもいる。

コーダを取り巻く周囲の方々には、コーダに対して少しの心配りをお願いしたい。特に青年期のコーダは、親が聞こえないことで、周囲の同情や親の中傷、過剰な期待に対して、とても敏感に反応してしまうことがある。たとえば、コーダは周囲の大人から「すごいね」と褒(ほ)めてもらったり、励ましてもらったりすることがあるが、それを嬉(うれ)しく思うこともあれば、逆に疎ましく思ってしまうこともある。期待を背負って、いい子でいなきゃいけないと疲れてしまうこともある。とても難しいことではあるけれども、周囲の方々は、コーダ一人ひとりの気持ちに思いを巡らせ、声をかけてほしいと思う。

また、コーダは子どもでありながら、聞こえない親の通訳を担うことがある。コーダが遂行する通訳とは、高度な技術を要する場面があり、特に医療現場のような専門的内容では、年齢にそぐわぬ過度の負担が伴う。そのため、手話通訳者等を手配し、コーダの負担を軽減させることが望まれる。また、周囲の方々が少しでも聞こえない親と直接コミュニケーションをとることができれば、コーダが通訳を担う場面が少なくなり、コーダの気持ちが少し軽くなるかもしれない。周囲の方々には、コーダの健やかな成長を、温かく見守っていただければ嬉しく思う。

社会が聞こえない人に目を向けるとき、聞こえない親と日々を紡いできた子どもたちの存在も忘れないでいてほしい。今、全国で「J-CODA」をはじめとする、コーダの集まる会が広がりをみせている。集まるコーダたちは、若いコーダが今以上に生きやすい世の中になるよう、社会へ働きかけようとしている。聞こえない親をもつ聞こえる子どもたちが今、声をあげ、動き出している。

(なかつまみ 東京大学バリアフリー支援室特任助教、J-CODA)