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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

私たちの願う普通の暮らしへ

八木澤恵奈

私には自閉症の息子と健常の娘がいる。二通りの子育てを味わっている最中だ。昨年3月、所属している「横浜障害児を守る連絡協議会」にて40周年記念誌を発行した。実は作成するのに2年もの月日を費やした。作成したメンバーはすべて障害のある子どもを育てている親なので致し方ない。それぞれ子が通う学校や施設への送迎、病院付き添いや訓練会の活動など、大忙しの日々に追われながらも、侃々諤々(かんかんがくがく)話し合いが尽きなかった。

40年繋(つな)いできてくださった諸先輩方の請願書や取り組んできた運動、書き残してくださった書物などに目を通していくうちに当時の時代背景や親の思いが鮮明に思い浮かび、切なくなった。当たり前に学校へ通うことが困難だなんて、今の私たちでは想像つかない。教育も療育も暮らしを支えながら自分たちでこなしてきた人たち。きっと泣いている暇は無く、わが子たちに必要なものを獲得するには自らが立ち上がるしかなかったのだろう。何もなかった時代に必死で仲間と繋がりあい、発信していくなかで、共感し寄り添ってくれる協力者や支援者を増やしてきた熱意に感服した。この「発信すること」が、どんなに勇気がいることかは身をもって体験している。

20年前、わが子が自閉症だとは分からなかった頃、迷惑ばかりかける息子に手を焼きながら周囲に謝り続ける日が続いた。興味のあるものにはどこにでも突入し、片時も目が離せない。他の子育てとは何かが違う、自分の育て方のせいだと思い悩むも誰かに打ち明けるのが怖かった。何より息子と感情の共有ができないのが辛かった。

主人が1年間転勤となり、その地で初めて障害を告げられた時、思わず「この子を普通にしてください。そのためだったら何でもします」と本音が口を衝いて出てしまった。医師からは「お母さんの普通とは?この子の普通は?」と問われた。改めてわが子を自分の物差しだけで見ていたこと、人との違いばかりに気を取られていることに気がついた。こんなことを人に言われるまで解(わか)らない自分に嫌気が差したが、そこから徐々に普通について深く考えるようになった。

横浜に戻り地域訓練会があると聞き、即決で入会した。そこで今までの思いや悩み、失敗談を笑って打ち明けられることが何よりの癒しになった。自分だけが特別と思っていたことが共通の当たり前の話になることの安心感は、本来の自分を取り戻す強さにもなった。所属している会の勉強会で本人たちの特性を知り、目から鱗が落ちるような思いがした。そして、自分の中での「普通」という言葉の意味合いも変化し、わが子への愛着も増していった。協力者から丁寧に息子の良いところを伝えてもらうことで、他人と比較することの無意味を知り、思い通りにいかない自分の子育ても受け入れられるようになった。

人に打ち明けるのがあんなに恐怖だったのが、近所の人にも息子の特徴を笑顔で話せるようになっていた。仲間がいることで、こんなに前向きになれるものかと気持ちの変化に驚いた。

平成23年に「この子の普通」を知ってほしいと仲間と一緒に「瀬谷区知的障害理解啓発グループアントママ」を立ち上げた。きっかけは平成19年、息子が小学校卒業時、同級生に息子のことを知ってほしいと思い、疑似体験を交えながら話をしたところ「もっと早く聞いておけば友達になれたのに」「謎が解けた!」などの予想外の感想を受け、伝えることの大切さや意義のようなものを感じた。親の亡き後も、わが子が安心していきいきと地域の中で暮らしていくために、まずは地域の人に障害のことを正しく知ってもらうことが一番の近道ではないかと考え、啓発を始めてから9年目になる。最近は、地域の自治会や区の職員研修などに呼ばれることも多く、少しずつ関心が高まっているように感じる。

しかし、まだ一般的には触れてはいけない障害の話と捉えられていることも現実だ。東日本大震災をきっかけに高まっている、災害時における自閉症や発達障害への対応や、地域の防災訓練に障害のある子の家族が参加できるような働きかけなど、障害児者と地域の人との懸け橋となる土壌が整うよう「みんな違って当たり前」の思いを発信している。この、大小2つの活動に共通点があるとしたら「冷たい関心ではなく、あたたかい無関心」の輪が広がるように、一途に願った親の当事者的発信だと思う。

近年、障害児を取り巻くサービスが増えるなか、そういった願いを持つ機会が失われつつあるのでは、と心配になる。混乱した時に楽な道を敷かれれば当然流れるのが常だ。諸先輩方が要望し、行政と一緒に作ってきた大切な福祉制度。私たち世代が繋いでいかなくてはならないものとは、子どもたちが多様性を持って、いきいきとした自分の人生を謳歌している将来を築けるよう、家族・支援者・行政とともに、時代の変化を察知しながら丁寧に整えていくことではないだろうか。常に、仲間と共に親としての当事者性を発揮していきたい。

(やぎさわえな 横浜障害児を守る連絡協議会副会長)