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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

列島縦断ネットワーキング【滋賀】

映画「夜明け前の子どもたち」をめぐるツアー開催

山田宗寛

若い世代へ歴史を伝えるために

「映画『夜明け前の子どもたち』をめぐるツアー」は、若い世代からの「実際に映画での療育活動のシーンを体験してみたい」「実際に施設があった場所やロケ地へ行ってみたい」という声からスタートしました。近江学園とその一帯にあった施設は1970年代に移転し、1960年代に建築されたびわこ学園なども、第一びわこ学園が1991年に、第二びわこ学園が2004年に新築移転されています。そのため教育や福祉、保健分野で働く若い世代の人たちにとっては、それらの開設地は歴史的な場所とも言えます。

そこで人間発達研究所設立30周年記念として、若い世代や歴史を学びたいという人たちへ「発達保障の生まれた場所で実践を語ろう」と、歴史を伝える企画として取り組みました。

映画「夜明け前の子どもたち」と発達保障の実践

戦後間もない頃に、糸賀一雄、田村一二、池田太郎らが「この子らを世の光に」と近江学園を設立して70年を迎えようとしており、その実践から誕生した発達保障も50年となりました。近江学園やその取り組みから生まれたびわこ学園などの開所当初の映像はいくつか残されており、映画「夜明け前の子どもたち」(1968)もそのひとつです。この作品は、福祉や教育、保育分野の人たちが発達保障や療育の考えを学ぶために、今も大切に観(み)つづけられています。

その「夜明け前の子どもたち」は、どんな映画なのでしょうか。

西日本で最初に開設された重症心身障害児施設である第一、第二、ふたつの「びわこ学園」での療育を記録したものです。ドキュメント映画の監督として有名な柳沢寿男と、その映画スタッフが、1967年から1年にわたって記録をしています。

体験した映画の一シーンである石運び学習を紹介しましょう。

施設外の療育活動として、プールづくりの材料となる石を集めに行く計画がされます。近江富士の三上山を背景に、野洲川の河原で、子どもたちが石を運ぶ姿が映し出されます。園生のなべちゃんは、職員にかごを持つように促されますが、拒否し上手くいきません。しかし、坂道になった途端、ぐっと力が入り、「いけた!」というナレーションの力強い声が響きます。

このナレーターは、当時、近江学園研究部にいた発達研究の第一人者である田中昌人で、「坂道という抵抗があることで力強さが増した」と、発達の姿として解説をしています。これらの実践から明らかになった人間発達に対する考えが、今日の福祉や教育の基盤になったといえます。ですから、このような発達保障実践萌芽期の姿は、今の時代にも映像を通して力強いメッセージを発し続けているのです。

ツアー、スタート!映画鑑賞とゲストトーク~びわこ学園跡地見学

ツアーには福祉や教育、医療などさまざまな分野から21人の参加がありました。午前は上映会を行い、映画スタッフであった田村俊樹さんをゲストに迎え、映画班が職員寮で共に生活をし、療育にも参加しながら撮影がされたことなど、たくさんのエピソードを聞くことができました。

映画を観た若手職員からは「とても50年前の映画と思えないくらい、支援で大切にしなければならないことや実践のあり方を学ぶことができた」と今の自分が励まされるような内容だったという感想や、ベテラン職員からは「何度観ても、その都度、実践に対する視点が深まっていく」という声を聞くことができました。

ランチを共にした後は、バスに乗って現在の第二びわこ学園(現、びわこ学園医療福祉センター野洲)へと出発しました。ロビーで糸賀一雄が書いた「この子らを世の光に」の碑と映画に登場した園生がつくった陶器作品を見学しました。

次は、映画の舞台でもあった第二びわこ学園跡地へ向かい、今は更地になっていますが、「園舎はこの辺り、坂道があった場所はここ」と案内をしました。参加者からは「あのシーンはこの場所辺りかな」といったやりとりが聞かれ、映像を思い起こしながら散策をしました。

「石運び学習」を体験!

メインイベントは「石運び学習のシーンを再現し、園生や職員になってみよう」という企画です。準備ではリアリティも大切にし、道具づくりにもこだわりました。映画では、職員と園生がペアになって身近な一灯缶や竹でつくったかごで石を運んでいますが、いざ、それを再現しようとすると、竹はあっても一灯缶などは手に入りません。そこは現代らしく、Amazonでプラスチック容器を発注し、平成版の石運び学習道具が準備できました。

体験は、びわこ学園跡地見学の後に野洲川までバスを走らせ、昔の画像と今の風景とを見比べながら「このシーンの場所はこの辺り」と河原でロケ地を探しました。今は整備されていて当時の河原のようではありませんでしたが、石のある場所で体験することができました。

参加者はペアになって、道具(かご)を選んで「園生のなべちゃん、します!職員の加藤先生やります!」などと登場人物になりきって「石運び学習」を体験しました。

野洲の河原で石運びを実際に行なってみて、大きさの異なる石が一面にゴロゴロしている河原は予想以上に歩きにくいことを知りました。映画では、不自由な足をのばしながら一歩一歩大地を踏みしめて登る子ども、子どもの体を支えながら石置き場まで一緒に向かう職員の姿がありました。何となく見ていたシーンでしたが、実際に河原を歩いてみて、不安定な足場で重い石を運びながら歩くのは子どもたちも職員も容易でなかったことと思います。

そういったたくさんの苦労を抱えつつ、「石ではなく友達関係を運ぶ石運び学習」「横への発達の追求」などさまざまな実践を生み出していった教職員の熱い思いが不安定な足元から力強く伝わってきました。

近江学園跡地を訪ねる

ツアーの終盤は近江学園の跡地見学へ向かいました。近江学園は、1946年に大津市の南端にある南郷という地域で設立され、1970年に移転するまで、周辺一帯にもいくつかの施設がありました。施設群は、田畑が広がる田上平野と琵琶湖から流れる瀬田川を見渡せる小高い丘にありました。学園の門に続く長い坂があったのですが、その坂道は今も面影を残しています。跡地は広大な野原になっていますが、そこから眺める景色も当時と同じです。先達たちが、この風景のなかで実践していたことを想起し、福祉や教育の歴史が生まれた場所であることを思うと胸が熱くなりました。

この場所で幼少期を過ごされたゲストの田村俊樹さんが、記憶をたどりつつ、園舎や職員寮、体育館や校舎、グランドなどがあった場所を案内してくださいました。跡地の後ろには山々が広がり、自然ゆたかな場所で農作物を育て、家畜を育て、園生も職員もその家族もみんなが暮らしていたことを感慨深げに話されました。

最後に、当時の写真で、糸賀一雄園長が学園の坂道を大勢の子どもたちと登ってくる有名な写真があるのですが、参加者と「その時と同じように写真を撮ろう」と、記念撮影をしてツアーを終了しました。

おわりに

参加者からは「とっても不思議な、貴重な、時間、場所、空気を感じました」 「心新たに勉強したり、考えたりしたいと思いました」などと感想をもらいました。改めて、こうした現代に大切なメッセージを投げかける映像の力と、発達保障の源流に立ち戻って今を見つめ直す大切さを感じました。

これからも福祉や教育など人間発達に関わる仕事に携わっていく若い人たちや新たに学ぶ人たちへ、実践を紡いできた歴史を伝えていきたいと思います。

(やまだむねひろ 人間発達研究所副運営委員長)