音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

当事者からの提案

震災と原発事故による避難経験から見えたもの

鈴木尚美

私たち障がい者自立生活支援センター〈福祉のまちづくりの会〉は、脳性マヒの障がいをもつ女性3人で活動しています。東日本大震災以降、私たち障がい者の間でも災害時の避難のあり方が問われています。

2011年3月11日の巨大地震直後も余震がおさまらず、私たちは生活介護事業所に避難し、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、会津の旅館や新潟のホテルに避難しました。

私たちがけが一つなく避難できたのは、巨大地震が起きたその時、生活介護事業所に居る日中の時間帯だったことや、ガソリン満タンの事業所の車と一緒に避難してくれた仲間や介助に慣れたヘルパー、職員がいたからこそ。もし巨大地震が真夜中に起きていたら…。もし避難先が知らない人たちばかりで、バリアがある体育館だったら…。そうであったとしたら、私たちは今こうして生活できていたか分かりません。

現に体育館に避難し、トイレに行けず、水分を控え、ベッドもなく、車いすに座ったまま1週間も過ごした重度障がい者や、大勢の人の中にいることが困難な精神障がい者が避難を諦(あきら)め、帰宅した事例も聞かれます。助けを呼ぶことさえできず、何日も1人家の中に取り残された障がい者もいたに違いありません。私自身が自主避難し、その月の重度訪問介護の時間数を超過したため、審査請求までし、その時間数を勝ち取るのに震災から11か月もかかりました。

災害はいつ、どこで起きるか予想できません。東日本大震災から丸5年。土砂災害等のさまざまな自然災害も増えており、福島県においては原子力発電所の事故もまだまだ収束する見通しが立たないまま、全国の原子力発電所の再稼働も始まっています。

いつ、また巨大地震が起き、原発が爆発するか分かりません。その時のために、私たちは近隣住民や地域住民とのつながりを大切にし、緊急時の対応をシミュレーションしておく必要があります。しかし、それだけでは重度障がい者の安全な避難につながるとは限りません。行政に対し、さまざまな重度障がい者のための避難場所としてバリアフリーの宿泊施設、福祉事業所の開放や緊急時のヘルパー派遣等、緊急時の障害福祉サービスについては、関係機関に対し柔軟な対応を強く要望していかなければならないと思います。

(すずきなおみ 障がい者自立生活支援センター〈福祉のまちづくりの会〉代表)


※参考冊子「障がいを持つ人の防災提言集―大地震・津波・原発事故を経験したフクシマから」発行:障がいを持つ人の防災研究会。〒970-8047福島県いわき市中央台高久2丁目26-3、NPO法人いわき自立生活センター。