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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

1000字提言

絶望さえも何かをなすのである。

蟻塚亮二

私の診療所にはいろんな方が来られる。

あるお母さんは、「原発が爆発したと聞いて、子どものことが心配だった。逃げればいいのか、逃げて助かるのか、このまま死んでしまうのかと思って震えた」。その時の恐怖体験がもとになって、今も震災の場面が突然よみがえってくる。

2人の年寄りと障害をもつ人を抱えて、原発事故で避難できなかったお母さん。原発爆発の時の枝野官房長官のテレビ画面がフラッシュバックしてくる。あの時「今放射能が自分たちの中を通過しているんだ」と思った、そしてすがるもののない孤独感と恐怖に直撃された。心に穴が開くようだった。彼女は思わず原発に背を向けて子どもを抱いた。

ある女性は津波で車ごと外洋に流された。車が海に沈みそうになりベニヤ板に飛び移った。夜になって遠くに陸の明かりが見えた。ふと彼女は、満天の夜空の星の輝きに魅入ってボーっとした。見たこともない美しい星空だった。寒さを感じなかった。

こんな、比べようもない体験をお聞きしながら、私には何もできない。ただ「どんなに傷だらけになり煩悶しながら生きるとしても、そうやって生きること自体が精神的に高い何かをなしている」と思う。

原発事故で仮設住宅に住む方たちも来られる。彼らの誰も、3.11の前にこの土地で生きるとは想像しなかった。そうであっても避難先の仮設住宅でこうして生きているのは、まぎれもなく本当の自分だ。仮の自分ではない。だからこうして苦労して生きておられること自体が、すでに何かをなしておられるのだと思う。

そんな彼らの上に、フランクルがナチスの収容所にいた時に書いた「世界はどうしてこんなに美しいんだ」をいつも重ね合わせる。ある夕べ、過酷な労働で死ぬほど疲れた収容者たちは、太陽が沈んでいくさまをみんなで見入っていた。

……そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世の者とも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。(中略)わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、誰かが言った。「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

(フランクル、池田香代子訳、『夜と霧』、65ページ)

3月11日の夜、未曽有の震災に心身ともに翻弄された人々は、絶望の向こうに見えた星空の美しさに魅了された。絶望さえも何かをなすのである。

間もなく震災から5年。それまでの人間関係が失われ、または親しい人との間であいまいにしていた感情のズレが表面化し、人々は苦しんだ。それでも彼らはそれぞれの傷つきを抱えて生きてこられた。苦しかった日々に、被災地の人々は何かをなしたのだ。


【プロフィール】 ありつかりょうじ。1947年生まれ、精神科医。青森県で病院長、社会福祉法人理事長などを務めた後、2004年に沖縄に移住し「沖縄戦による晩年発症型PTSD」を見つけた。2013年より福島県相馬市のメンタルクリニックなごみ所長。著書に『沖縄戦と心の傷』、『統合失調症回復への13の提案』(共訳)など。孫8人。