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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

知り隊おしえ隊

パラリンピックをとりまく近年の社会動向と、日本パラリンピアンズ協会の活動について

堀切功

私たち日本パラリンピアンズ協会(PAJ)は、パラリンピック競技大会に日本代表として出場した経験を持つ有志による選手会です。2003年に発足、2010年2月12日に法人格を取得し、一般社団法人となりました。2016年1月時点で、会員数は194人です。

PAJの活動の目的は、パラリンピアン同士がつながり、国内外のスポーツ団体やアスリートたちと連携しながら、パラリンピアンとして社会に貢献することにあります。そして私たちが思い描く理想とは、「障害の有無にかかわらず、誰もがスポーツを楽しめる社会」であり、「スポーツを通じて、多様性を尊重する社会」です。

パラリンピックをとりまく環境は今、大きな変化の流れの中にあります。第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリテーションにその源流を持つパラリンピックは、医療や福祉の枠組みに収められる時代が長く続いていました。それが近年になって、オリンピックとの関係が密接になるにしたがい、ハイパフォーマンス・スポーツとしての認識が、社会そして選手自身の間に広まってきています。選手の競技環境や競技レベルは改善・向上し、報道や人々の意識にも変化が見られるようになりました。海外に目を向けると、オリンピックへの出場を果たしたり、世界トップレベルの記録に到達する選手が出現するまでに至っており、競技のハイパフォーマンス化はますます加速している状況です。

日本国内においては、2020年夏季大会の開催都市が東京に決まった2013年9月以降、パラリンピックの注目度はそれ以前に比べて飛躍的に高まっています。パラスポーツ関連の報道量が増加し、テレビ局による競技中継も実現されるようになりました。リオデジャネイロ・パラリンピックの出場権がかかった国際大会のいくつかは日本で開催され、これまでにないレベルの集客に成功しています。ともに千葉市で行なわれた最終予選に臨んだ車椅子バスケットボール男子日本代表とウィルチェアーラグビー日本代表は、いずれもリオデジャネイロへの出場を決め、地元の声援に応えました。また、ブラインドサッカー(視覚障害者5人制サッカー)は、2014年から2年連続して国際大会を東京都心で、しかも有料イベントとして開催。日本代表のパラリンピック出場という目標の達成にはあと一歩及びませんでしたが、大きな話題と関心を集めました。

日本の行政や法制度にも、変化を見ることができます。2011年に施行されたスポーツ基本法には、「スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない」と基本理念に明確に記されました。そして、その基本法に基づき2012年に策定されたスポーツ基本計画においても、「年齢や性別、障害等を問わず、広く人々が、関心、適性等に応じてスポーツに参画することができるスポーツ環境を整備すること」が基本的な政策課題とされ、障害者スポーツの推進が図られています。さらに2014年には、パラリンピックなどの競技性の高い障害者スポーツの管轄省庁が厚生労働省から文部科学省へと移管され、翌2015年には新たにスポーツ庁も発足しました。障害の有無にかかわらずスポーツはスポーツであり、一体化して考える時代を迎えたと言えます。

オリンピアンとパラリンピアンによる、アスリート同士の交流も盛んになっています。特に2016年と2020年のための二度にわたるオリンピック・パラリンピック招致活動は、アスリートたちの距離を大いに接近させました。2020年東京大会の成功に向けたさまざまな動きの中でも、アスリートの経験や知見が求められる場合が多々あり、オリンピアンとパラリンピアンとが協力する機会はますます増えています。

そして、2015年の特に大きなニュースとしては、日本財団パラリンピックサポートセンター(通称パラサポ)の開設を挙げることができるでしょう。日本財団が100億円を拠出し、パラスポーツ競技団体の活動拠点用に自社所有ビルの1フロアも提供。英語資料の翻訳や事務局機能のサポートなども行い、体制基盤が弱いと言われ続けてきたパラスポーツ競技団体に対して、具体的な支援が一気に進められました。11月のオープニングセレモニーにはSMAPの5人が登場し、サポーターとしてパラリンピックを盛り上げていくと宣言するなど、多くのメディアを巻き込んでの華々しい船出を果たしたことは、記憶に新しいところです。パラサポの支援によって競技団体の事務局機能強化が進み、競技の普及や強化が円滑化され、パラスポーツ全体の発展につながることに期待が寄せられています。

パラスポーツをとりまく社会のこのような変化を、私たちPAJも実感しています。もっとも分かりやすい例が、講師派遣依頼の増加でしょう。2013年9月に東京オリンピック・パラリンピック開催が決まったことにより、2014年に依頼が激増し、2015年になっても右肩上がりの傾向が続きました。PAJに依頼があって実施した講演だけでも、2014年に比べて2割増となっており、実際にはそれ以外にも日程等の都合でお受けできなかったものが多数あるのが現状です。また、PAJ宛ての依頼ではない講演も多くの理事が行なっており、「パラリンピアンの話を聞きたい」という要望が確実に広がっていることを感じています。そしてPAJとしては、そのような声にできるだけ応えられるように、講師を務めることができるパラリンピアンを一人でも多く養成しなければならないと考えています。自らの体験を語るにとどまることなく、パラリンピックを含めたスポーツ全体を広くとらえ、その価値を分かりやすく伝える。そんな話のできるパラリンピアンが、日本中に必要です。

そこでPAJでは、パラリンピアンによる自己研鑽と、その成果を伝える理解啓発という、私たちが重要な柱と位置づけている2方向の活動を、「パラ知ル!」という愛称のもとで取り組み始めました。この愛称は「パラリンピックをもっと知ろう」の略であり、「広く知っていただくためには、まず自分たちがより詳しく知らなければならない」という意味を込めたものです。月例勉強会「パラ知ル!カフェ」もスタートさせ、パラリンピアン同士が気楽に情報共有できる場に育てていきたいと考えています。

またPAJでは、4年ぶり3回目となる「パラリンピック選手の競技環境調査」を実施し、リオデジャネイロ・パラリンピックの前に公表する予定です。近年の社会状況の変化の中で、選手の競技環境にも影響が現われ始めているとしたら、それはどのようなものなのか。今回の調査で、選手たちの最新事情が見えてくることに期待しています。

日本財団パラリンピック研究会の調査によると、パラリンピックという言葉の認知度は98.2%にまで達しているそうです。2020年に向けて、実際に競技を見たり、パラリンピアンから話を聞く機会が増え、単にパラリンピックという言葉を知っているという以上の経験をする方はどんどん増えていくことでしょう。この追い風を活かし、パラスポーツへのさらなる参加、観戦、支援につなげていくこと。そして、2020年東京パラリンピックを成功に導くことのみならず、その先の未来にまで永く受け継がれるよう、パラスポーツを広く深く根づかせることが重要です。日本中に追い風が吹いている今だからこそ、パラリンピックの価値をしっかりと示すことができるよう、パラリンピアンも行動していきます。

(ほりきりいさお 一般社団法人日本パラリンピアンズ協会事務局長)