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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年5月号

1000字提言

「虐待」通報したら…

市川亨

障害者の就労支援施設の職員が虐待の疑いに気づき、自治体に通報したら、施設側から「名誉毀損だ」などとして損害賠償を求められた―。さいたま市と鹿児島市で起きたこんなケースを取材し、昨年11月、全国に記事を配信した。

「これは見過ごすことはできない」。そう強く感じたのは、通報した鹿児島市の男性が家族から「そんなこと、しなきゃよかったのに」と言われた、という話を聞いたときだ。男性は2014年秋、女性の利用者から「幹部職員にバインダーで頭をたたかれた」と聞いた。半信半疑だったが、他の利用者に対する虐待の目撃証言が別の関係者からもあったため、昨年2月に市へ通報した。すると、施設の運営会社は「事実無根の中傷で名誉を毀損された」として、110万円の損害賠償を求めて男性を訴えたのだ。

一般市民が会社組織から訴訟を起こされたら、誰だって不安に陥れられるだろう。「弁護士はどうしたら」「裁判費用は支払えるのか」「もし裁判に負けてしまったら…」。自分は間違っていないと思っていても、「こんな面倒なことになるなら、黙っておけばよかった」という思いが頭をよぎるのは、自然なことだ。でも、それでだんまりを決め込んだら、知的障害や精神障害で声を上げるのが難しい人や、声を上げても信じてもらえない人は救われない。

障害者虐待防止法は、虐待の疑いを発見した職員に通報の義務を課していて、通報したことで不利益な扱いを受けないと定めている。捏造や重大な過失を除けば、虐待が事実かどうかは問うていない。

さいたま市のケースは、通報した女性に賠償請求の通知が届いた後、まだ訴訟には至っていないが、鹿児島市の運営会社は全面的に争う構えで、訴訟が継続中だ。判決に至った場合には、同じようなことが続かないよう、断固とした姿勢を裁判所が示してくれることを期待するしかない。

もう一つ、この問題を取材していて感じたことは、「親」の立場としては極めて悩ましいということだ。

私の娘も放課後等デイサービスを利用している。事業所の数が多い東京に住んでいるので、仮に今の通所先に問題があれば、別のところに切り替えることはさほど難しくない。だが、事業所の数が少ない地域だったらどうだろう。親が共働きだったりした場合、利用を止めたら、仕事を続けられなくなるといった可能性もある。そうした状況で仮に利用先に不審な点を感じたら―。事業所や地元自治体に話すべきかどうか。とても判断が難しい問題だ。

だからこそ、事業所は職員から虐待の疑いを指摘する声が上がったとき、それが軽微だったり何かの行き違いだったりしたとしても、「不適切な点があったのではないか」と謙虚に受け止めてほしい。一人の親としての、切実な願いである。


【プロフィール】

いちかわとおる。全国の新聞・テレビなどに記事を配信する共同通信社・生活報道部記者。1972年山梨県生まれ。地方支局や厚労省担当キャップ、ロンドン特派員などを経て、2014年から同部遊軍キャップ。ダウン症のある子の親でもある。