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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年6月号

時代を読む80

「全国盲ろう者協会発足」(1991年)

視覚と聴覚に障害を併せもつ盲ろう者は、歴史的に放置されてきた存在である。独自の福祉施策の対象として、長らく行政からも認識されてこなかった。

さらに、当事者同士の連帯や運動の展開なども極めて立ち遅れてきた。こうした経緯は、なぜ生じたのだろうか。

目と耳の両方に障害があると、人は社会生活においてさまざまな困難に直面する。その主要なものは、第1に「他者とのコミュニケーション」、第2に「外部環境の把握を含めた情報の取得」、第3に「自力での安全な移動」の3つである。ここに、盲ろう者が「放置されてきた」背景がある。

コミュニケーションがなければ、当事者同士の意見交換も、社会へのアピールもできない。情報が不足すれば、適切な判断がくだせない。そして、移動がままならなければ、仲間との出会いも生まれないからだ。

こうした盲ろう者の福祉増進に取り組む日本初の社会福祉法人「全国盲ろう者協会(以下、協会)」は、1991年にようやく誕生した。かのヘレン・ケラーの初来日(1937年)から、実に54年が経過していた。

その10年前の1981年に、当時18歳だった私は全盲ろう者になった。私の大学進学を支援するために作られた「福島智君とともに歩む会」という市民グループが、後の協会発足の母体となったのである。

このグループの立ち上げからずっと尽力くださった、今は亡き小島純郎先生と塩谷治先生という傑出した2人の存在がなければ、日本の盲ろう者福祉の現在はなかっただろう。この他にも、功労者は数多く、盲ろう者福祉は、数えきれないほどの人たちの努力と熱意によって支えられてきた。

協会発足当初、取り組んだ主な事業は次のとおり。通訳・介助者派遣事業、同養成事業、各種相談事業、広報誌『コミュニカ』発刊事業、機器開発事業、盲ろう児教育研究事業、調査・啓蒙事業、全国大会開催事業などである。発足から25年が経過した現在の協会の活動の骨組は、この時点ですでにできていたことになる。

なかでも、協会がもっとも注力したのは、前述の盲ろう者の「三つの困難」に直結する、通訳・介助者の養成・派遣事業だった。発足時、38人にすぎなかった協会登録の盲ろう者は、2016年3月現在で941人となり、そして今、全都道府県で盲ろう者向け通訳・介助者の養成と派遣が事業化されている。

こう見ると、協会は一定の役割を果たしてきたとも言える。しかし、全国に少なくとも1万4千人はいるとされる盲ろう者の多くとは、まだ繋(つな)がりができていない。全国の盲ろう者の自立と社会参加のために、協会がなすべき課題はこれからも山積している。

(福島智(ふくしまさとし) 全国盲ろう者協会理事・東京大学教授)