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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年8月号

時代を読む82

国際障害者年から35年
―「当事者主体」は定着したか

「人生で一番影響を受けた出来事は?」と聞かれたら、迷わず「IYDP」と答える。そう、1981年の国際障害者年である。全国の市町村庁舎には「完全参加と平等」の垂れ幕が躍り、日本の障害福祉が「国際標準」へと大きくカジを切った。

IYDPの目的は、障害問題が「人権」であり、「当事者主体」、つまり主人公は障害者自身であることへの社会の認識を深めること。障害者は単に福祉サービスの受給者ではなく、政策作りにも参加する権利があるという。

物事が大きく動くときは、その中心に傑出した人物がいる。IYDPでは故丸山一郎氏がその一人だ。内外の障害問題に精通した丸山氏は、研修先の米国でIYDPを聞きつけ、日本に持ち帰った。官と民の協力を促し、政府のIYDP推進本部の中心メンバーとして東奔西走。旧来型福祉から「人権」への脱皮に大きく貢献した。

もう一人は当時、私が勤めていた東京国連広報センターの故デービッド・エクスレイ所長だ。福祉先進国のニュージーランド出身。中東で国連平和維持活動中にポリオにかかり、松葉杖と車イスが手放せない。丸山氏は初対面のエクスレイ氏に「日本の福祉向上にあなたを最大限活用させてもらいます」と宣言。エクスレイ氏は「オモシロクナリソウデス」と応じた。

いざIYDPがスタートすると、エクスレイ氏は政府・自治体・NGOのイベントへと全国を喜々として駆け回った。長身の外国人で片言の日本語を操り、自らも足の不自由な国連高官は、その存在だけでも説得力があり、日本の障害者に勇気と希望をもたらした。実は、エクスレイ氏は大の日本好きでIYDPのために2度目の日本勤務を志願したのだった。後にその功績が認められ、日本政府から叙勲を受けた。

普遍的な人権に、各国は国連で共通の国際人権基準(宣言・原則・条約)を設けて実施する。NGOも「公益」の担い手として意見を述べる権利が認められている。実際にNGOの提案でできた人権条約や条文が少なくない。

NGOの参加は国際年や世界会議ではさらに拡大し、国は委員会や代表団にNGOを加えることが求められる。条約の実施・モニター・審査でもNGOの参加は必要不可欠である。

さて、障害者の権利条約の日本の初の国連審査に向けて動き出した。政府は履行状況をまとめた国別報告書をすでに国連に提出し、NGOも独自の報告書を準備している。この準備・審査過程を通して当事者主体がどこまで根づいたか試されよう。人権専門家による審査は国の体面を保つための「試験」や「競争」ではない。有効活用するためのカギは、正しい情報の提供、問題点の共有、それに対話力である。

(馬橋憲男(うまはしのりお) フェリス女学院大学名誉教授)