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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年8月号

子どもにとっての放課後の意義から事業のあり方を考える

中村尚子

はじめに

「放課後等デイサービス」という言葉が新聞紙面に用語解説付きで登場するようになって久しい。制度化以前の「放課後の場が足りない」あるいは「やっとできた」という報道から、最近は増加傾向にあることを伝える記事が目立つ。そして、事業所の指定取り消しというマイナス面も報じられた。

7000か所を超えた放課後等デイサービス事業者の中には、「家でビデオを見るしかない」「母親からひとときも離れられない」といった子どもの放課後を何とかしたいと、20年、30年以上も前から活動を続けてきたところもある。放課後活動は、けっして「新規事業」ではないのだ。あり方や「支援の質」が問われているいま、放課後活動の分厚い蓄積にこそ目を向け、改善の方向性を探るべきだと思う。こうした視点に立って、障害のある子どもの放課後保障全国連絡会(略称「全国放課後連」、2004年結成)の活動に学びつつ課題を提起したい。

1 「放課後」への着目と活動の拡大

障害のある子どもにとっては、学校教育が保障されていなかった時代が長くあったため、放課後や長期休業中の生活に目が向けられるのは、養護学校義務制実施(1979年)の前後からである。たとえば全国障害者問題研究会は、1977年の全国大会で各地のさまざまな試みを交流している。土曜の午後や休日、夏休みの活動が中心であったが、ほとんどがボランティアや教師らの活動で支えられていた。夏休み明け、子どもの様子が一学期の終了時より後退しているように感じるという教師の声もあった。障害のある子どもと保護者にとって、「学校のない時間」はけっして自由で楽しいものではないという現実がそこにあった。

1992年度から始まった学校週5日制が完全実施に至る過程で、障害のある子どもの「学校外生活」がさらに注目されるところとなる。

障害のある子どもの放課後や長期休業中の場は意図的につくる必要があると気づいた人々の手によって、手づくりの団体が広がり、必要性が社会的にも認められはじめると、自治体に対して助成を求める声が高まった。東京都の心身障害児(者)通所訓練事業、埼玉県の養護学校放課後児童対策事業などは、放課後活動に対する自治体施策の先駆であり、その後、家賃補助や公共施設使用許可、補助金などが講じられていった。

他方、就学前の幼児療育に関する国の補助金事業である障害児通園(デイサービス)事業の小学校学齢児への適用(1998年)と社会福祉法改正(2000年)、支援費制度の導入(2003年)を契機に、保護者の願いをたばね、児童デイサービス事業としての放課後活動を開始するNPOなどが増加する。

放課後活動の場の広がりは、全国共通の制度をつくろうという声となり、全国放課後連の結成と国への要望活動へとつながっていった。2005年には国の補助金「障害児タイムケア事業」が実施されたが、単年度で終了。児童デイサービス型の放課後事業は、障害者自立支援法に移行した。

2 子どもにとっての放課後の意義

放課後等デイサービス開始前、放課後活動を行なっている団体は、自治体独自事業、児童デイサービス(報酬上の区分で2型と呼ばれた)、さらには日中一時支援事業などに分かれていたが、現在、前二者の多くが放課後等デイサービスに移行している。国の制度ができたことを理由に自治体助成が廃止されたり縮小されたことと同時に、この制度の下で「確実に公費が保証されるようになった」ことによる(ここでは自立支援法施行から今日に至る制度改革等の議論は省略する)。しかし、放課後等デイサービスが、それまで厳しい条件の下でも子どもの放課後活動を発展させてきた人々の思いを受け止めたものとはならなかったということも、また事実である。

放課後等デイサービスには改善すべき課題が山積している。今後について検討するために、これまでの放課後活動が大事にしてきたことを、実践記録の中から拾ってみようと思う。

〈何して遊ぼうか〉

「まつぼっくりの予定は未定、『今日はどこへ行きたい?』『何して遊ぼうか?』そんなやりとりから始まります」。これでは「計画的支援ではない」と不良事業所と言われそうである。まつぼっくり子ども教室(東京、中高生対象)は30年の蓄積のある事業所だ。知的障害、身体障害などさまざまな障害のある子ども、その保護者と向き合ってきたまつぼっくりの所長、田中祐子さんは「放課後は与えられるものではなく、子どもたち自身が見つけ、楽しむものだ」という。だから「決められたルールの上を転がるだけの活動」ではなく、自分の意見を言うことを保障し、それが通るときもあれば通らないこともあるという経験を仲間の中でたっぷりとしてほしいと願う。

もちろん、田中さんらの実践は単なる無計画ではない。一人ひとりを理解した上でこそできる無計画だ。日常的なスタッフの子ども理解の土台にたって子どもを信頼することから生まれる無計画。こうした自由度のある活動の中で育つ力こそ、大人に向かうために時期に必要な力といえるだろう。

〈「問題行動」のうちにあるもの〉

公園からの帰り道、いきなり車道に飛び出す。止めようとしたら職員の手にかみつく。外活動で赤ちゃんを見つけると泣かす。ちょっとしたきっかけで感情を爆発させる自閉症児とどう過ごすか。ゆうやけ子どもクラブ(東京)では、職員同士で子どもの行動の意味を徹底して考える。できれば消し去りたいと大人が考える行為であっても、書き留め、振り返り、「どうして?」と語り合う。その中から、子どもの気持ちを読み解いていくのである。

それは時間がかかることである。そして働きかけを少しだけ変えてみる。子どもの変化は1年、2年を優に超えて、「あれっ」と思う表情や言葉としてあらわれる。一人の子どもにじっくり関わることと、行動の意味を語り合う職員集団があって初めて可能となる実践である。

〈支えあう保護者たち〉

モンキーポッド(埼玉)は、保護者の集まりを大事にして運営している。遠出の行事などには、活動を支えるため可能な親が参加する。一見面倒に見える運営委員会や保護者会にも取り組む。そこは親の相談の場でもある。子育ての悩みを語る親に「うちもそうだったから大丈夫よ」と応じる親がいる。重度の知的障害や自閉症の子どもの親たちである。

ここ数年は母親が就労する家庭も増えため、保護者会活動の困難は大きいが、「指導員が核となって一人ひとりの仲間・保護者をていねいにつなぐことが大切」だと、代表の益本裕美さんは言う。そのために、「問題行動」と言われる行動であっても、子どもの様子を伝え、その意味を保護者と共に考えることに力を注いでいる。

3 放課後等デイサービスの未来

以前から放課後活動を続けてきた団体の実践から学ぶことはもっとあるだろうが、少なくともここにあげたような取り組みは、個別給付、日額報酬制で出来高払いの現行の仕組みではカバーできないであろうことは想像に難くない。個別給付はサービスを利用した事実に対する報酬だから、職員同士で子どもについて語り合う時間も活動の準備をする時間も見込んでいない。保護者会や遠出の行事などは想定さえされていない。しかし、こうした活動が放課後活動の質の要であると、ここにあげた実践が教えている。

「日替わり放デイ利用」という言葉も生まれている。10人定員の事業所が林立する中、曜日ごとに複数の事業所を利用することは、「選べてよかった」「行き場があってよかった」と言えることなのだろうか。見通しが立たないことや変更に対応することが難しい子どものつらさやイラだちに目を向けてほしいと思う。放課後が課業から放たれた子どもの安定した時間となるためには、子ども自らが行きたいと思える活動があり、仲間がいて、大人がいる場所が不可欠である。

放課後活動それ自体の価値を認めるのであれば、それを社会として支える仕組みを求めたい。個別給付によらない事業の土台や職員が働き続けられる条件をつくるための公的支援が必要だと思う。「働き続ける」ための条件は賃金面だけではない。先に紹介した実践のように、子どもについて保護者と語り合い、成長を喜び合うことのできる職員になる条件を整えることを含むのである。

(なかむらたかこ 立正大学社会福祉学部)


【参考文献】全国放課後連編『障害のある子どもの放課後活動ハンドブック』かもがわ出版、2011年