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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年8月号

3.11復興に向かって私たちは、今

紙漉きとの出合いで新たな一歩
~のぞみ福祉作業所の5年間の取り組み

畠山光浩

あの日、防災無線は高さ6メートルの津波到達予測と高台への避難を伝えていました。

作業所は、高さ16メートルの津波にのみこまれ、利用者さん2人が亡くなりました。最大到達高29メートル、南三陸町は壊滅しました。今なお、200人近い方が行方不明のままです。

3月11日から7日間を志津川高校で過ごしました。高校では、1教室を「のぞみ」専用に、飲み水と石油ストーブ2台を用意してくれました。また、3月11日の夜9時には、学校近くの民家から届けられたおにぎりが配布され、食べることができました。

これら優先的配慮がなければ、ずぶ濡れのまま寒さで亡くなる人があったに違いありません。茫然と一夜を過ごした夜、どうにか思考回路が動き始めたのは、この環境があったからだと思います。

パニックにもならず、共に支え合う利用者の皆さんを見て、1日も早い再開を決意しました。

小さいプレハブを用意でき、作業所再開と言えたのは5月31日です。その1週間前からJDF(日本障害フォーラム)支援員の派遣を受け、同時期に難民を助ける会さんから建物を含めた支援のお話をいただき、協議が始まりました。緊急避難的な再開までは自力で行いましたが、復旧は多くの支援がなければできませんでした。

11月初旬に新たな建物に移転することができ、作業所としての環境も整ってきました。しかし、仕事はなくしたままです。

そのような時、仕事作りをと、東京世田谷ライオンズクラブさんから「焼き菓子の機械」か「紙漉きの機械」のどちらかを支援する提案をいただきました。全員参加できる工程があることから紙漉きの機械を選択しました。

平成24年3月、ちょうど震災から1年後に紙漉きの機械一式がセットされ、技術指導を受けながら紙漉き作業が始まりました。宮城県手をつなぐ育成会の作業所から譲り受けた1枚漉きの紙漉きの道具から豪華な紙漉き機械へと大変貌し、量産が可能になりました。

みんなが笑顔にとの思いを込め、利用者さんのイラストをあしらった「笑(え)はがき」5枚セットを災害ボランティアセンターで発売しました。全国から連日、駆けつけてくださったボランティアさんにたくさんお買い上げいただきました。

みやぎセルプ協働受注センター主催の被災地事業所連絡会で、ゲストのエイブルアートジャパンさんと出会い、グレードアップと商品開発等の支援を受けることになりました。

イースター島から送られる「モアイ像」をモチーフにワークショップを行い、描かれたイラストからオリジナルモアイ商品を製作、販売することができました。これらは売り上げの7割を支えています。デザイン等の支援は商品開発を含め継続しています。

「紙漉きで感謝の気持ちを形にして届けたい」。紙漉きの道具に工夫を加えて作ったのが「kimoti/katati」のメッセージカードです。このカードで販路を開拓し、売り上げ向上に力を注いでいきたいと思っています。

「夢」は、メッセージカードをヒット商品に育て、紙漉きをしている全国の事業所にノウハウを伝え協働して取り組むこと。はるかな夢ですが、夢で終わらせたくないと考えています。

紙漉きの機械が入って間もない日に、全国では800か所以上で紙漉きをしているが、紙製品は売れていないと聞かされました。その時から売れる商品作りが課題となりました。売れる商品作りは自分たちの課題であり、紙漉きをしている人の共通の課題だと思っています。

オリジナルモアイグッズは売り上げを支えてはくれますが、紙漉きが自分たちの本業です。「本業で勝負」。今は気概だけですが、応援していただいた多くの方々の思いを力に諦(あきら)めずに前進したいと思います。

東日本大震災から5年間、多くの皆さまからご支援をいただき、改めて感謝を申し上げます。復旧はしたものの、建物再建にはなお2~3年を要する状況にあります。これからも「今できること」、「今だからできること」にチャレンジしてまいります。皆さまの応援をお願いいたします。

(はたけやまみつひろ のぞみ福祉作業所所長)