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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年9月号

列島縦断ネットワーキング【宮城】

チーム七夕 七夕ドツタツカホン隊がデビューしました!

針生利江子

何かを表現したい思い

「何かやれたらいいよね!」。昨年の夏、夜七夕でメンバーの一人が言ったのがきっかけでした。夜七夕とは、昨年度から開催されている夜の食事会です(写真1)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真1はウェブには掲載しておりません。

設立から3年目の昨年度、定例会への参加が定着しないメンバーがいるのはなぜか。「何のために来ているのか解(わか)らない」と言っているメンバーもいて悩んでいました。

七夕では月に一度の定例会を開催したり、「出前七夕」と称し、宮城県内7圏域で開催される高次脳機能障害者家族交流会への参加など、移動家族会としてピアカウンセリングの場作りを行なってきました。定例会で話し合われる悩みや現況報告は緩やかに変化しつつはあるものの、会社での疎外感や、やりがいを感じられない職務について話し合われることはあっても、「楽しかった話」「充実感を得られた話」は出てきません。ならば、みんなが楽しいと感じてくれるよう七夕が変化し、仕事では得られない充実感を得られる新しい活動を始めればよいのではないか。だったらやろう!楽しいことを!みんな、仕事帰りのスーツ姿でカッコつけて飲もうじゃないか!そう提案して始まった活動が夜七夕です。

夜七夕では、定例会では出てこないようなことが話題にのぼり、メンバーそれぞれの深い部分、本当は思っているけれど「表現できない家族への思い」を聞くこともでき、みんなの距離をぐっと縮めることができました。

夜七夕の中で出てきたのが「人々の前で何かを表現したい」「みんなで何かを一緒に取り組みたい」という思いでした。「カホンをやっていたメンバーがいるんじゃない?」と応援団メンバーの一人が口にしました。応援団とは東北大学病院のソーシャルワーカー、県の看護師、障害者の就労支援など直接的に障害者支援をされていて、七夕の活動を理解し、一緒に活動してくださる方々なのです。

「カホンって何?」聞いたことのない言葉に楽器との認識もありませんでした。そのメンバーは2001年に仙台で始まり、全国に拡大している「とっておきの音楽祭」の「オハイエカホン隊」で活動していたというのです。応募資格は、誰にでもある心のバリアフリーを目指すその音楽祭に出てみたい!メンバー全員が一気に熱を帯びた感じがしました。

七夕ドツタツカホン隊結成

「とっておきの音楽祭」に関する情報収集の日々が始まりました。その年の音楽祭は終了しており、どうしたら応募できるのか?来年度の募集はいつから始まるのか?メンバーそれぞれが毎日のように必死でインターネットを検索しましたが、なかなか出てきませんでした。そこで、元オハイエカホン隊で活動されていた方々にさまざまなアドバイスをいただきました。そしてついに、12月20日元オハイエカホン隊の方々にお越しいただき、経験のあるメンバーを中心に、音楽部第1回目の練習が開始されました。

「なんて楽しいんだろう!」

「カホン」を叩いた時の体全体で感じる振動や、音が揃った時のワクワクする気持ち。最後のリズムが決まった時の高揚感。音楽に無縁だったメンバーは「カホン」の魅力にはまっていきました。

記憶との闘い

この時はすでに音楽祭の募集は開始されており、2月半ばの〆切りまでにパフォーマンス映像を送らなければならず、7回目と8回目の練習日で撮影しなければ間に合いません。高次脳機能障害の記憶の部分にいかにアプローチし定着させるか、ここからが勝負です。

まずは音源をCDに焼き、自室でCDが聞けないメンバーには携帯電話にデータを移して、通勤時も繰り返し聞くことができるようにしました。経験のあるメンバーの模範演奏を録画し、パソコン用のデータCDに焼いたり、パソコン環境に無いメンバーには、テレビ画面で見ることができるようにデータを変換し、DVDに焼くなど、メンバーそれぞれの家庭環境や状態に合わせ、そのつど気づいたことに対応し、自宅での自主練習を可能にしました。

特に重要だったのが楽譜で、中心メンバーも体感では覚えているが楽譜が読めないとのこと。もちろん私たちも一切解りません。ならば作ろうオリジナル楽譜!ということで、耳で聞こえた音を解りやすく片仮名で表し、オリジナル楽譜を作成しました。それが私たちのグループ名になりました。

一番最初に習った基本の音「ドツタツ」を真ん中に入れ「七夕ドツタツカホン隊」とメンバーの一人が名付けてくれました。出世魚のように、少し上達したら、「ドツタツ」から「ドドタツ」へ。最終形はシンプルに「七夕カホン隊」に成長したいという思いが込められています(写真2)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真2はウェブには掲載しておりません。

こうして、パフォーマンス映像を無事に撮影し、応募総数390組を超す中から340組の出演者として選んでいただくことができました。6月5日の仙台の初舞台では緊張もしましたが、観客、スタッフをも巻き込むパフォーマンスで会場が一体になれたあの感覚はメンバーの心に深く刻まれました。7月10日には東松島市で、アットホームな環境で演奏することができました。8月の山形、9月の福島の出演に向け新曲選考会も行いました(写真3)。10月には今年初の開催となる盛岡へも応募中です。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真3はウェブには掲載しておりません。

カホンがもたらしてくれたもの

今年度はメンバーからの発案で「みやぎ脳外傷友の会」から「みやぎ高次脳機能障害ピアサポートチーム七夕」へ名称変更をし、当事者主体の新体制となりました。そして9月11日には、私たちのホームとなっている仙台市シルバーセンターで初めての講演会&ミニコンサートの開催もします。

「何かやれたらいいよね!」ときっかけを作ってくれたメンバーは、やりたいことを見つけ、カホン隊の名付け親となり、チーム七夕の副代表になりました。全国デビューを夢見ながら、ファッションにも帽子とサングラスを取り入れ生き生きと活動しています。

夜七夕の幹事が嫌で、理由をつけて欠席していたメンバーは、当事者代表となり、自主的に練習会場の鍵開けをしてくれ、今では自分が予約した店の前でメンバーが迷わないように待っていてくれるようになりました。

夜七夕と同時期に始めた会報誌の編集長である元フリーライターのメンバーは、今まで服装にはあまりこだわりませんでしたが、綺麗な色のシャツを代わる代わる着てくるようになり、自分で取材した記事を第1面に載せ、文字数も倍に増え良いリハビリになっているようです。

「何のために来ているのか解らない」と言っていたメンバーは、音楽部部長となり、希(まれ)に見る指導者になり、みんなを引っ張ってくれています。「病気になって花形だった営業職から離れ、もう生きがいを見つけられないと思っていたけど、総務の仕事も大切な仕事と思えるようになった。仕事で悩んだ時も、ここに来れば仲間がいると思うことで励まされている」と話してくれるようになりました。

事務局長である私は、メンバーのアイデアを記憶し、記録し、メモリー機能となり、実現の一端を担うことができればと思っています。この活動を通し、余暇の充実により就労への意識や意欲を継続することができ、障害を抱えても生き生きとした生活を送ることができるのではないかと感じています。

(はりうりえこ みやぎ高次脳機能障害ピアサポートチーム七夕事務局長)