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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年10月号

フォーラム2016

社会を変える原動力

深沢智子

「小さな手でしょ。お金を掻(か)き集めることはできないけれど、たくさんのことを作り出してきた手です」

障害者自立支援法違憲訴訟団が、国と基本合意を交わし裁判を終わらせた2010年4月、原告団を官邸に招いた鳩山由紀夫首相は「自立支援法が、皆様の尊厳を深く傷つけたことを心からお詫びします」と原告一人ひとりに握手して廻り、娘直子の掌を握った時、私が鳩山さんに語りかけた言葉です。

裁判所では、直向(ひたむ)きに生きてきた直子の43年間がどんな意味をもつのか、私が意見陳述しました。乳幼児期には障害児を診てくれる病院はごく僅(わず)か、それも3時間待ち3分診療。通所施設もなく、母親たちが手作りの「リハビリ教室」の活動を始めました。子ども同士がふれ合うなかで、直子はかわいらしい発達の芽をみせてくれ、私によろこびと、障害の重い子ほど教育は必要だとの確信を持たせ、障害児全員就学運動に力を与えてくれました。

音楽療法に通う時、直子をバギーに乗せ小田急線のホームを歩くと、「バギーは禁止」と駅員に呼び止められ、「この子は歩けないし、17キロもあるのです」という私に「だめです。だっこして通ってください」。涙を堪(こら)えて従いました。でも帰りには、勇気を出して駅長室に行き、「車椅子はこの子の足です」の訴えに、本社と相談するから来週来てくださいとのこと。次週訪れると「右の者身体障害者により駅構内の利用を承認する」とのカードを渡されました。1972年のことです。言葉も喋れず、歩くこともできない障害児が街へ出ることにより、親を強くし、周囲の気付きを促し、駅長の意識にも働きかけ、それは社会を変える一つの力にもなっているはずです。

養護学校では「電車に乗りたい」という生徒のささやかな願いに応(こた)えようと、PTAは駅の改善運動に取り組み、地域の人々、行政、企業を動かし、1981年西武小川駅にエレベーターが設置され、35年後の今、みな当たり前に利用しています。

役に立たないと思われがちな重度障害者が生きることが、当たり前の社会をつくる原動力になっているのです。屈託(くったく)のない笑顔に家族は癒(いや)され、周囲は励まされます。

経済効率が優先される今、人の尊厳・人権が等閑(なおざり)になっていくのを憂います。

悲しくも突然人生を奪われてしまった19人の尊い命が、人間の悍(おぞ)ましい「差別」を世に炙(あぶ)り出してくださいました。どうぞ安らかにお眠りください。

傷を受けた方々、どんなに恐ろしかったでしょうか。穏やかな日々と笑顔を取り戻してくださるよう祈り続けています。

(ふかざわともこ 障害のある子どもたちの教育・くらしを豊かにする東京の会代表)