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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年12月号

情報のユニバーサルデザイン これまでとこれから

関根千佳

1 情報のユニバーサルデザイン これまでの20年

日本にユニバーサルデザイン(以下UD)の概念が紹介され、約20年が経った。駅や建物は少しずつアクセシブルにはなってきたが、情報や製品に関しては、欧米とはまだ大きな開きがある。日本の情報社会は、どうすればもっとUDになるのだろうか?

アメリカで、ICTなどの公共調達をアクセシブルなものに限るとするリハビリテーション法508条が最初にできたのは1986年である。この法律は99年に改正され罰則が強化された。建物や交通、サービスなどあらゆる場でのアクセシビリティを要求したADA(障害をもつアメリカ人法)は90年に制定された。Webサイトがアクセシブルでないとして、ADA法違反で提訴された事例は数知れない。字幕を表示するチップを14インチ以上のテレビに内蔵することを義務付けたデコーダー法は90年、放送もインターネットの放送も、すべての映像に字幕や音声解説を付けるというCVAAという法律は2015年に制定されている。

国連の障害者権利条約でも、情報やサービスのアクセシビリティが明確に定義された。欧米において、情報のUDは、法律で明確に定められているのである。

最初から多様性が前提になっている社会は強い。多面的なものの見方から、大きな社会変革が生まれる。電話やインターネット、音声認識や画面読み上げなど、障害者のニーズから生まれた技術の多くは、我々の生活を劇的に改善した。Googleの自動運転車の開発に全盲の人が参加するように、新たな技術を最初から障害者が使えることは当たり前とする意識が根付いている。あらゆる書籍、放送、ネット上のコンテンツなどを、最初からデジタルで作成し、かつ最初からアクセシブルに、とする、“Born Digital. Born Accessible”というキーワードも出てきている。

しかし残念ながら日本では、そのようなイノベーションが起きにくい。社会が多様なものを受け入れず、いまだにインクルーシブとは言えない環境だ。教育の場での分離政策や、特例子会社に障害者を集めることは、OECD各国では人権侵害に近いのだが、日本では容認される。女性の社会的地位が世界141か国中111位であることと同様に(2016年WFE)、障害者が本社で役職に就くことは、日本では稀である。教育分野ではようやく統合の方針が示されたが、実際には特別支援学校が新たに建設されており、子どもの時代から共に地域で生きるのが基本という発想は薄い。

2 情報のUDをめぐる新たな動き

だが新たなインクルージョンの動きも始まっている。一つは高等教育における障害学生受け入れの増加である。大学は、唯一「特別枠のない」インクルーシブな期間なのだ。多様な学生が、同じ教室で、共に学び、共に時間を共有する。入試や受験、受講や試験など、学生生活のあらゆる場面において、建物や情報のアクセシビリティを確保することは、当たり前になりつつある。

欧米の大学に比べれば人数はまだ100分の1かもと言われるが、それでも日本の各大学の整備は、2016年4月1日の障害者差別解消法の施行以来、進んできた。情報保障に関しても、少なくとも聴覚障害の学生に対しパソコンテイクを行なったり、視覚障害の学生に対し資料を電子化することは一般的になった。

技術的な進展も、この流れを後押ししている。たとえば京都大学では、授業での講義の声をリアルタイムで音声認識する技術の研究が行われており、辞書を鍛えることで認識率が向上するため、今後の展開が期待できる。他にもUDトークをはじめさまざまな製品が出ており、スマホのアプリで手軽に利用できるため、かなり実用レベルに近づいた。

2016年春からは、大学コンソーシアム京都の研究プロジェクトとして、同志社大学、京都大学、京都産業大学の3校で、障害学生支援や、建築、医学、政策などの専門家が、大学のアクセシビリティを推進している。建物や設備のハードウェア情報を学生たちがスマホで打ち込むと、Web上でその建物のUDデータベースを構築できるという優れた仕組みも、地元のICTに強い障害者団体が開発した。情報保障の制度などソフトウェア部分も調査している。この3校では、個別の学生への情報保障や、部門としてのWebアクセシビリティは万全だが、全学サイトの指針へ影響を及ぼせないなどの課題も見えている。

3 これからあってほしい未来

2020年のオリパラを越え、情報のUDはどのようになっていくのだろうか?日本の放送業界でも、字幕は当たり前のものになってきた。今後は高齢化や国際化への対応から、地方局を含め、100%へと進んでいくだろう。音声解説や手話放送、CM字幕は今はまだ少ないだが、今後は日本でも増えるはずだ。Webサイトのアクセシビリティも、良識ある企業では、顧客満足度の向上のためにも全社で指針を明確化するだろう。

日本の状況を、少しでも海外のレベルに近づけるには、情報のUDを推進するための、法制度やシステムの進展が必要である。

建物や公共交通におけるバリアフリーが、法律で義務化されたように、情報通信や製品に関しても同様の法律を作るべきだ。Webサイトや放送番組、ネット上の映像も、“Born Accessible”、最初から、UDなものしか作らないことを前提とする。調達要件にも明記する。作る側に研修を義務付ける。評価する当事者団体を育成する。それは日本の国際競争力を高めることにつながる。世界ではそれが入札条件になっているからだ。

日本の技術力を持ってすれば可能なものは多い。すでに、清水建設と日本IBMは、建物内外の情報をビーコンで視覚障害者のスマホに送り、行き先を詳細に音声で示す仕組みを開発している。いつか、誰にとっても、街の中や建物の中に、自分の通れる光の道が、すっと示される時代が来るのだろう。

やがて、講義や放送の音声は、個々人に合わせた形式に変換して提供されていくだろう。サーバーで認識されたデータは、視覚障害者や学習障害者にはテキストで、盲ろうなどには点字で、聴覚障害者には字幕や「やさしい日本語版」など、自分で形式を選んで表示やダウンロードができる。多言語や手話に変換できればなお良い。そしてそれらの情報は、テレビの画像の上ではなく、眼鏡型端末の中に、スマホ上に、またはそのスマホから投影された空間の中に、バーチャルに表示される。テレビ局側は、画像と字幕の兼ね合いに悩むことはない。ユーザー側は自分の端末の中で、どんな内容をどのように取得し、表示するか、自分で選ぶことが可能になるだろう。

将来的には、眼鏡や靴のフィッターのように、情報取得の方法のカスタマイズを行う専門のフィッティングサービスもほしい。私の見え方、聞こえ方、日本語やICTのリテラシーに応じて、周辺のあらゆる情報を受け取り、発信する際の方法を、私だけにカスタマイズしてくれるのだ。これが、ネットの画面やメディアの中だけでなく、公共空間を歩いている時やスポーツ観戦時などにも可能になっていくだろう。家も車も、公共空間も、あらゆるものがネット環境につながるIot時代において、最も恩恵を受けるのは、多様なニーズを持つ人であるべきだ。本当にユニバーサルな社会では、情報障害という言葉も消えてしまうのだから。

(せきねちか 同志社大学・株式会社ユーディット)