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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年12月号

1000字提言

ノーマライゼーションという言葉のいらないまち

戸羽太

「『ノーマライゼーションという言葉のいらないまち』って何?理解できないよ」

市民からお叱りを受けながらも私はまちづくりの一番の目標にこれを掲げている。

『男女共同参画社会』を目指す活動をされている方々がいるが、もし、日本の社会全体が『男女共同参画社会』をすでに実現していたらきっと誰一人としてこの言葉は使わなくなるはず。

私は『ノーマライゼーション』という言葉など意識しなくても、「わが町ではノーマライゼーションなんて当たり前だ」と言い切れるところまでを目指そうという気持ちでこれを推し進めている。

私が『ノーマライゼーション』を強く意識するようになったのは、今から約30年前にアメリカで暮らしたことがきっかけである。

私は若い頃にミュージシャンになる夢を持っており、矢沢永吉さんに憧れて音楽を始め、友人たちとバンドを組んで活動していた。

しかし、世の中はそう甘いものではなく、夢を諦め、バンドを解散したのがちょうど20歳ぐらいの時であった。

ちょうどそんな時、アメリカに進出した矢沢さんに感化され、全く英語もしゃべれない私は渡米することを決意、フロリダ州タンパにある南フロリダ大学の英語学校に留学した。

アメリカでは、見るもの聞くものすべてが新鮮であり、私はいろいろな場面でカルチャーショックを受けた。

一番衝撃を受けたこと。それは障がいのある方々がとても明るく前向きに社会参加していたこと、そして、その方々を周囲も特別な目で見ないということであった。

上半身しか体がない方が車いすでボーリングをしていたり、片腕の方がゴルフをしていたり。

ご本人も周囲もそれを当たり前のことと考えていることが、何とも日本人の私には衝撃的であり、かっこよくさえ思えた。

「日本にもこんな場所を創りたい。障がいがあっても歳をとっても、もっと人生を謳歌できるはず。もっと笑顔になれるはず」

漠然と私はそう考えるようになった。

2011年3月11日。東日本大震災発生。

陸前高田市ではたくさんの方が津波の犠牲となり市街地は壊滅した。

そして、まちが消え去ったことでゼロからのまちづくりが始まった。

ゼロからだからこそ可能なまちづくり。それがノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくりなのである。


【プロフィール】

とばふとし。陸前高田市長。1965年、神奈川県足柄上郡松田町生まれ。東京都町田市育ち。東京都立町田高卒。会社員を経て1995年4月から陸前高田市議を務め、2007年3月に助役に就任。その後副市長を務める。2011年2月の市長選に初出馬、初当選を果たした。市長就任直後に東日本大震災により壊滅的な被害を受け、復興に向けた新しいまちづくりを進めている。