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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年1月号

新春メッセージ

2020年東京パラリンピックに向けて
~リオから東京へ~

木村敬一

私にとって3度目の出場となったリオパラリンピックでは、「金メダルの獲得」を一番の目標とし、この4年間を過ごしてきた。「だれかに負けてもなれる」メダリストではなく、「だれに負けることも許されない」金メダリストが目標となったため、これまでとは比べものにならないほど強い気持ちで、現地に乗り込んだ。

今大会は5種目に出場、その中からひとつ以上の金メダル獲得が目標であった。しかし、3日目までの結果は銀・銅・銀。中でも3日目の100mバタフライは、世界ランキング1位の記録を持っていたため、もっとも金メダルに近い種目だった。しかし、そのバタフライも銀メダルに終わった。

翌日の100m自由形予選の時には、前日の敗戦に対するショックと、蓄積された疲労から身体が動かず、みっともない記録で、かろうじて予選を通過した。予選終了後にコーチから「このまま決勝を泳いでもいいレースはできないし、他の選手に失礼だ。パラリンピックの決勝の舞台に、心も体も準備できていない選手は泳ぐべきではない」との叱責を受けた。さらに、「どうしても泳ぎたいのであれば、決勝までの半日、できるだけの準備をしろ。それならばこちらも最善を尽くしてスタート台に送ってやる」という言葉をもらった。ちなみに、風邪も引いていたので、ドクターからも「7―3で止めておけ」と言われた。

それでも、私の中に「棄権」という選択肢はなかった。「なぜか」と聞かれても、「パラリンピックだから」という答えしか出てこない。そこには、結果だけではない、「この舞台で戦いたい」という自分の正直な気持ちが出てきたのだと思う。

今大会を改めて振り返ると、目標としていた金メダルに届かなかった悔しさは当然残っている。しかし、肉体的にも精神的にも自分の限界を超えたところで戦ってこられたことについては、素直に自分を誇りに思いたいし、戦いきったということが、自分に自信を与えてくれていると思う。そして、自分でも驚くほどぼろぼろの状態でも、メダルまで導いてくださった多くのサポートスタッフには、感謝の気持ちでいっぱいである。

2013年に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定して以来、パラリンピック選手を取り巻く環境は、急激に変化してきている。私が今回、栄養士やトレーナーなど、多くのサポートスタッフに支えてもらいながら戦うことができたのも、東京大会が決まったことによるところが大きい。パラリンピックの価値というものが、世界一のスポーツの祭典として認識され、オリンピックのそれに近づきつつある。まもなく訪れるそのビッグイベントが、国内でどれほどの盛り上がりを見せるのか、今から非常に楽しみである。

私たち選手の東京大会に対する希望はひとつ、「競技会場が満席になること」である。一生に1回、有るか無いか分からない自国開催の大イベントであるのだから、大勢の方に観(み)てもらいたい。そして、日本中が一体となって盛り上がっている様子を世界に発信したい。スタンドが観客で埋め尽くされたとき、それらは実現されるはずである。そのためには、選手たちに期待することと、一般のみなさんに期待することとの両面があると思う。

前者は、「観る人を熱狂させられるほど、圧倒的に強くなること」である。スポーツにおいて、そのすごさを伝える手段は、「世界を相手に戦う強さ」であると思う。観客の立場に立てば、やはり、「強い日本人を観に行きたい」と考えるだろう。応援してもらえる選手になれるよう、競技力を向上させることが何よりも必要である。

後者は、2020年の東京大会が来る前に、できるだけパラスポーツの現場に足を運んでもらうことである。パラスポーツを生で観られるというのは、パラリンピックに限ったことではない。日本中で多くの選手たちが、さまざまなスポーツに取り組み、研鑽の日々を積んでいる。そして、たくさんの大会が行われている。その頂点にあるのが、パラリンピックであり、まもなく東京にやってくる。それまでに、できるだけ競技会場に足を運び、パラスポーツに関心を持ち、その魅力を感じてほしい。

この両面が組み合わさり、世界中から「東京パラリンピックは最高だった」と振り返ってもらえるよう、私もさまざまな形でかかわっていきたいと思う。

●木村敬一(きむらけいいち)

1990年9月、滋賀県生まれ。生まれつき全盲。10歳で水泳を始める。

  • 所属:東京ガス
  • 出身校:筑波大学附属視覚特別支援学校(2009年卒)。日本大学(2013年卒)。日本大学大学院(2015年修了)
  • 国際大会デビュー:2005年IBSA世界ユース選手権50m自由形1位

パラリンピックでの戦績

  • 2008年北京パラリンピック:100m平泳ぎ5位、100mバタフライ6位、100m自由形5位
  • 2012年ロンドンパラリンピック:100m平泳ぎ2位、100mバタフライ3位
    (開会式旗手)
  • 2016年リオデジャネイロパラリンピック:50m自由形2位、100mバタフライ2位、100m平泳ぎ3位、100m自由形3位