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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年2月号

当事者・関係者の声

すべての子どもが分け隔てられることのない学校へ

川合千那未

私は小学校から大学まで地域の学校、いわゆる普通学校で学んできた。だが、そのうちの小学3年生から中学3年生までは、特別支援学級に通級していたため、普通学校に在籍していながらも特別支援教育を受けていた。

今回は、特別支援教育を受けていた義務教育期間と、中学校卒業後のインクルーシブ教育で学ぶ際の環境と心の変遷について書いていく。

小学3年生の時、それまで通っていた、学内での親の付き添いをなくすことを目的として、私のためだけに肢体不自由児の特別支援学級が設立されたことをきっかけに、特別支援教育を受けることになった。

当時、私と家族は、特別支援学級ではなく、スクールサポーターの派遣を希望したが、制度も確立していない時代のせいか、願いは受け入れられなかった。そうして、体育と書道と算数の授業を特別支援学級で受けることになったのである。

私は、同級生と教室が離れてしまうことを寂しく思ったが、休み時間や給食の時間等は共に過ごすことができていたので、それほど疎外感はなかった。

しかし、中学校に進学すると、特別支援学級の担任の給食を食べる場所がない、などという理解しがたい理由から、特別支援学級で、その担任と2人きりで給食を食べることになり、休み時間なども特別支援学級にいることが多くなったことや、校内の移動に教職員の手助けが必要なこともあり、同級生よりも教職員をはじめとする大人と接する機会が増加した。

私が大人に過剰な世話をされる姿を見て近寄りがたくなったのか、同級生との距離が徐々に開いていき、中学1年生の1学期末頃には最早、私は同級生にとってクラスメートではなく、授業にだけ参加をする、特別支援学級の生徒になってしまったのだと感じた。

もともとは、支援の必要な技能教科の不足を補うために普通学級から特別支援学級に通級していたはずが、その比重が逆転してしまったと気づいたときには言葉に尽くせないほど悔しかったことを覚えている。

その後、中学2年生に進級したことを機に、給食の時間や休み時間を同級生と共にしたが、1年の間にできた溝は大きく、中学校卒業までクラスに馴染むことはできず、心理的にも普通学級から分離された中学生活を送ることとなった。

中学校卒業後、環境が変わることで自身にも変化があることに期待し、高校に入学した。

高校入学後、私は、自分から積極的にクラスメートと交流するよう心がけた。そうしてクラスメートとたわいない会話をするようになった頃、教職員に特別扱いされることなく、他の生徒と平等に扱われていることに気が付いた。

努力すれば褒(ほ)められ、少しばかりのいたずらをすれば叱られる、そんな当たり前のことがうれしかった。それと同時に、自分から望まない限り、手助けされることはないのだと強く認識したのだ。

身の回りで困ることが多々あり、クラスメートの助けは必須だった。時折、負担をかけてはいないかと葛藤することもあったが、たいていのことを快く手伝ってくれた。そうした環境の中で、私も助けられるだけでなく、何か力になれることはないかという思いが芽生え、お互いにできる範囲で助け合っていくうちに、いつしかクラスメートが友人となっていた。

中学校生活のなかで置いてきてしまった同年代の友達との距離感や関わり方を少しずつ思い出しつつ、再度培っていく上で自然と築いた友人関係は、何物にも代えられない大切なものとなり、高校生活を謳歌することができた。

気のおけない友人たちと過ごした高校3年間の思い出と経験が糧となり、大学においても人々に恵まれ、今でも高校並びに大学の友人たちとの関係は続いている。

前記したような経験から、分け隔てのないインクルーシブな環境で学ぶことによって、積極性と社会性を身に付けることは、生きていく上で重要なことだと思っている。

障害者だからこそ、人と関わって、なにがしかのサポートを受けることは、生きていくために不可欠なのだから、幼少期から人との繋(つな)がりを育めるような環境で学んでいくことに意味があり、障害者の一生の生き方に大きく影響するだろうと考える。

特別支援教育とインクルーシブ教育の両方を受けてきた私が、今後の教育に期待することが2点ある。

1点は、本人以外の第三者が障害児・者と健常児・者を分離させないことだ。特に義務教育期の児童生徒は、自身の考えや、やりたいことがあっても表出できない場合があり、簡単に分断されてしまうことがある。一度分断されてしまえば、もう一度交わるには困難が予想されるため、初めから共に在(あ)ることが望ましい。

2点目は、子どもたち同士だけの時間が尊重されることである。子どもは、子どもたちだけの社会を作り、その中で成長するものだと考える。どんなに重度な障害があっても、周囲の大人に干渉されず、見守られるだけの時間も必要ではないだろうか。

最後に、近い将来、すべての子どもたちが分け隔てなく尊重される環境が作られることを願う。

(かわいちなみ 全国障害学生支援センター活動スタッフ)