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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年2月号

フォーラム2017

権利条約の実現のために障害者運動の果たす役割とは
―JDF全国フォーラム報告―

荒木薫

障害者週間(12月3~9日)に恒例の開催―250人が参加

日本障害フォーラム(JDF)は昨年12月6日、全国フォーラムを東京霞が関の全社協・灘尾ホールで開催した。2016年は国連・障害者権利条約(権利条約)採択から10年、国内では障害者差別解消法(差別解消法)が施行され、日本が権利条約を批准して初の政府報告が国連障害者権利委員会(権利委員会)に提出された年であった。4月の熊本の大地震ほか、複数の自然災害に見舞われた。リオパラリンピック、視覚障害者の駅ホーム転落事故、日本の負の歴史に刻まれた相模原市の知的障害者施設での殺傷事件(相模原事件)など、ざっと振り返っても障害分野はめまぐるしく動き、厳しい現実に直面させられた1年であったと言えよう。

JDFは、以上を踏まえつつ、政府報告に対して市民団体が権利委員会に提出できるパラレルレポート作りを視野に入れた活動を開始し、今回のフォーラムもそれを念頭に開催した。阿部一彦JDF代表は、冒頭あいさつで熊本地震と相模原事件に触れ、障害分野の関係者が取り組みのあり方を真剣に考え直さなければならないことなどを述べ、会場の全員で犠牲となった人々に黙祷を捧げた。

相模原事件を考えるディスカッション

フォーラムの柱は2つのディスカッションであった。午前のテーマは「相模原事件を考える」。コーディネーターを務めた藤井克徳JDF幹事会議長/日本障害者協議会(JD)代表は、事件の風化とタブー視化への対峙が重要であるとし、5人の登壇者の思いを聞いて、容疑者がくりかえし発言しているという「障害者は生きていても仕方がない」への挑戦と、そこから何をどのように導いていくかを考えていきたいと述べた。

東洋英和女学院大学の石渡和実教授(JD副代表)は、事件の起きた神奈川県の検証委員会の委員長を務め報告書を出したところだが、これからどうすべきかが大切であり、本人の意思を尊重した当事者主体の地域生活、優生思想、福祉人材の養成を課題としてあげた。そして、障害者の生きる権利が否定されない人権教育の重要性を指摘した。

尾野剛志さんの長男一矢さん(43歳)は事件の起きた施設に入所中で、重傷を負い一時意識不明にもなったが歩けるまでに回復した。事件後、初めて「お父さん」「お母さん」と呼んでくれるようになったと言い、親子の愛情を実感していると話した。尾野さんは、被害者家族で唯一(当時)、実名を公にしているが、匿名報道についての藤井議長の問いに、重い障害のあるわが子を大切に育てていても、地域住民や親戚にも受け入れられない過酷な現実があり、家族の“そっとしてほしい”との切なる思いから、名前も顔も出さないでと警察に強く懇願したことを明かした。藤井議長は、社会の問題であり、重く受け止める、と応じた。尾野さんはまた、警察が衆院議長に宛てた手紙を、施設には内容を伝えただけで見せなかった情報提供のあり方に納得していないことも率直に述べた。

三宅浩子さんは、グループホームで暮らし、豆腐を製造販売する作業所に通う知的障害の当事者。容疑者の「障害者がいなくなればいい」の言葉に酷(ひど)く傷つき、不安で怖い気持ちになっているという。豆腐販売の時におつりの計算に時間がかかることもあるが、何もできないわけではない。将来の希望や夢中になれることもある一人の人間であり、殺された人たちにも夢や好きなものがあったと思う、と犠牲者に心を寄せた。障害者のことを理解してもらうために地域で活動し、顔も名前も出して取材を受け、今日もこの場に来たと堂々と話した。

神奈川県手をつなぐ育成会の依田雍子(ちかこ)会長は、インクルーシブ教育の重要性を述べ、特別支援教育も「特別」というところから差別が始まるとして「支援教育」と言い換えているという。幼い時から障害のある子もない子も共に育つ環境作りなど、共生社会の具体化のために運動していくことが大切であると話した。

DPI日本会議の尾上浩二副議長は、これほどの重い事件が、特異な犯人による特異な事件として矮小化され、風化しかけていること、1996年まで優生保護法が厳然と存在し優生思想を払拭しきれない日本社会のあり方、国の検証・再発防止検討が精神科の措置入院や施設の防犯対策を焦点化していることなどに懸念を表した。そして、この事件を、権利条約の基本理念「私たち抜きに私たちのことを決めるな」に基づく、だれもがあたり前に地域で暮らせるインクルーシブ社会に向かう転換点にしていきたいと述べた。

藤井議長は、経済最優先のグローバリゼーションにより排外的な動きが国際的に強まるなか、障害者は不要な存在だと思わせるような構造があるが、権利条約第17条・障害者の心身がそのままの状態で尊重されること、第8条・既成の観念や偏見と戦うことを引き、すべての人が多様な存在として尊重し合い、共に生きていく社会に変えていこう、と日本から発信していくことが大事であり、優生思想との向き合い方、障害者のあるべき地域生活の議論が必要であると述べた。

国際条約に関する特別報告

林陽子国連女性差別撤廃委員会委員長/弁護士の報告内容を紹介する紙幅はないが、国際条約に対する日本の姿勢が消極的であることや、政府の重要な立場にある男女比の悪さなどを指摘、同時に、障害者権利条約の実現に向けてNGOがなすべき活動のヒントも盛り込まれた興味深いものであった。

権利条約の目指す社会に向けてのパネルディスカッション

午後のディスカッションでは、まず、大胡田(おおごだ)誠弁護士(全盲)が、政府報告は現状とかけ離れており多くの嘘があるとバッサリ。権利条約との関連では、国会のALS患者の参考人招致取り消し(第5条)、解消されない精神科病院の社会的入院(第19条)、進まないインクルーシブ教育(第24条)、GDP比の障害予算がOECD諸国比で格段に低いことなどを指摘した。

DPI日本会議の平野みどり議長は熊本在住。4月の地震による避難所の様子を写真で紹介し、東日本大震災の経験が活かされず、当地での防災意識が甘かったことも認識しつつ、避難所の障害者配慮の欠如や市の情報提供のあり方の問題を指摘し、車いすを使用する東俊裕弁護士の精力的な働きかけで改善していった経過を紹介した。

地方行政から富山県の齋木志郎障害福祉課長が登壇し、「障害のある人の人権を尊重し県民皆が共にいきいきと輝く富山県づくり条例」を、差別解消法を踏まえ全国で10番目に施行したことを報告した。県の条例では、対象を「何人も」とし、行政・事業者共に合理的配慮を「義務」づけたことなど、国の法以上に踏み込んだ県独自の取り組みを紹介した。

朝日新聞の森本美紀記者は、マスメディアとして、記事にする時には、取材対象者の意向に沿うことを基本としていることを述べた。

国連の次期権利委員である静岡県立大学の石川准教授は(指定発言者として)、日本の制度と国民の意識の乖離の現状などを述べた。コーディネーターの久松三二(みつじ)JDF幹事会副議長/全日本ろうあ連盟事務局長は、みんなの一歩が自分が踏み出す一歩につながる。排除意識に屈しないことを糧にして進んでいこうと述べた。

最後に、森祐司JDF政策委員長/日本身体障害者団体連合会常務理事が、差別解消法施行の年に相模原事件が起きたことを重く受け止め、時代を逆戻りさせてはならず、多方面から優生思想に立ち向かっていくべきであると述べた。そして、権利条約で共に生きる社会に変えていくために、あらゆる立場の人が参加するJDFにしていくことが大事であると締めくくった。

(あらきかおる NPO法人日本障害者協議会(JD)事務局長)