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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年3月号

時代を読む89

チェアスキー発祥の地は神奈川県

現在、世界トップクラスの性能を誇る日本製のチェアスキーは神奈川県で生み出されたものである。

1976年、神奈川県総合リハビリテーションセンターリハ工学科(1973年開所)の職員であった、田中理氏、飯島浩氏らによってチェアスキーの開発が始められた。当時の日本の障害者スキーは、故笹川雄一郎氏によりカナダから持ち帰られたアウトリガーを使って下肢切断者がスキーをするようになって間もない頃であった。車椅子などの福祉機器を研究・開発していた田中氏らの「脊髄損傷者などの車椅子使用者であっても、座ったまま滑ることのできるスキー用具を開発すればスキーができるようになる」といった単純な発想がチェアスキー開発のきっかけであったと聞く。

そして試行錯誤の後、1980年に実用に耐えるチェアスキー1型機が完成し、チェアスキーヤー15人を含む総勢40人で第1回チェアスキー・ツアーを開催した。この年、日本チェアスキー協会を設立し、以後、チェアスキーの普及に邁進することになる。当時は車椅子使用者が問題なく宿泊できるホテルほとんどなかった時代で、それが雪山(スキー場)となると、加えて周辺環境もバリアばかりであった。また、1型機はスキー場のリフトを利用できる構造ではなく、宿泊も含めてスキーをする環境を整えることが普及のための課題であった。

1983年、リフトにはまだ乗れなかったが両手にアウトリガーを持って滑るタイプのチェアスキー2型機を開発し、翌1984年にスイスのサンモリッツにて今後のチェアスキー開発と発展、また海外の障害者とのスキー交流を目的にチェアスキー国際ミーティングを開催した。この会にはスイスから12人(うち障害者3人)、ドイツから10人(うち障害者5人)、日本から41人(うち障害者13人)が参加。各国のデモンストレーションや試乗会、技術ミーティングと2日間にわたってヨーロッパの現状を知る良い機会となった。

一方、1972年の札幌オリンピック以降、スキーブームが到来し、1987年の映画「私をスキーに連れてって」の大ヒットによりスキー人口は増加の一途であった。こんな状況が影響したのか、チェアスキーを受け入れてもらえるスキー場は数少なく、1986年に開発した3型機はリフト搭乗も可能にしたが「チェアスキーヤーは安全で高い技術を持ったスキーヤー」であることを理解してもらうために労力を費やしていた。日本チェアスキー協会の普及活動は、スキー場や関係者に理解を求め共存する道を探りながら進めるというスタンスであった。

1980年に第1回目を開催したチェアスキー・ツアーは、現在は日本チェアスキー大会と名称を変え、2017年に第38回を迎えた。今後も継続して多くの方に雪山を楽しんでもらえるよう進めていきたい。

(沖川悦三(おきがわえつみ) 神奈川県総合リハビリテーションセンターリハ工学研究室主任研究員)