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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年3月号

当事者活動・支援活動

一人ひとりに寄り添う支援
~地域活動支援センタートークゆうゆう

田中加代子

開設の経緯

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。未曽有の震災でボランティアを体験して、コミュニケーションが難しい失語症の夫が地域で孤立しないよう人の支援の必要性を感じ、同じ障害をもつ人の集まり(友の会)を作りたいと考えるようになった。私自身も「こんなにしんどいのに誰にも分かってもらえない」という夫同様に家族であるが故の悩みを抱えていた。

その年の7月には、地元に住む5人の失語症患者と家族に出会うことができた。「家から一歩外へ出よう」と参加を呼びかけ、悩みを分かち合える失語症友の会を設立することができた。会の名称は、「三田失語症の会グループ・しゃべろーよ」とした。

設立から6年目頃には、当事者家族の会として発展。会員は徐々に増え、毎週1回の例会と親睦会、失語症の啓発事業(京都・舞鶴・三田)で作品展を定着させ、仲間・目標・安心を実感できたことが、次へのステップにつながった。

小規模作業所の設立

そんな時、会員から「妻が仕事に出ているので、弁当…寂しいわ」「…ことば…しゃべれへん…」「家に帰ったら一人ぼっち…」と、こころの中の本音を聞いた。失語症だからと分かっていても言いたいことが伝わらない。ことばが理解できない苛立ちがあった。「毎日行くところをつくろう」「一緒にご飯を食べよう」「いつでも出会える場所をつくろう」と走り出したのである。そして、公共交通機関が利用できること、自力で通うことができる場所探しを始めた。助成金情報で、開設資金の獲得や作業所開設の理解を行政に求めての書類作成と準備は多岐にわたった。半年を要した借家の改装も行い、2004年6月に、失語症者の視点を中心に据えた作業所トークゆうゆうを開設した。 

作業所の活動日は、月曜から金曜の週5日。10時から16時である。作業内容は、ギャラリー喫茶の運営と創作活動。コミュニケーション障害である失語症者にとって、苦手な人と出会う接客を仕事とした。創作活動は、作品展で培ってきた絵画・書・陶芸を取り入れた。絵画は絵はがきになり、陶芸のコーヒーカップは喫茶のお客様のカップとして利用、商品となった。ギャラリー内には出来上がった作品を展示している。

人生の途中で、身体のマヒと失語症を後遺症にもった苦しみは計り知れない。もどかしさと絶望感、今までできていたことができなくなった喪失感は、容易に受容できるものではない。「作業所を知らなかったら、今も毎日寝ていたかもしれへん」「ここに来たから、自分の失語症のことが分かった」という。「仲間・笑顔・役割」がここにもある。元気がある。

制度の改正で地域活動支援センターに

2011年、障害者自立支援法に基づく地域活動支援センタートークゆうゆうに移行し、新たにスタートした。

現在の利用者は17人である。内訳は、失語症者12人・知的障害1人・聴覚障害1人・精神障害2人・発達障害1人、職員は常勤1人・パート職員2人が中心で、地域のボランティアさんの支援を得て活動している。

作業内容は、就労支援を目指し、工賃アップを図ろうと、企業の下請け作業と菓子パンの製造販売(毎週水曜日に200個のパンを焼く)にも力を入れている。工賃は20日通う利用者で、月額約1万円を支給している。

その他、絵画教室・パソコン教室・音楽療法・STによるコミュニケーション支援にも取り組んでいる。パソコン教室では、キーボード入力は失語症者にとっては難しい作業だったが、販売シールや絵はがき・メモ帳作成ができるようになった。パンの販売では、苦手な計算や近隣や施設に出向いて販売も行う。特徴は個々にあった作業を自分で選択できることである。これらの作業を通して、達成感や持続性・積極性・責任感に効果が表れている。

課題とこれからのこと

作業所運営を始めてから12年になる。社会参加ができた喜びを糧にして、就労意識を持った事業所に、利用者とともに再構築していくための時期を迎えている。

課題は、補助金や助成金頼みの運営に対する不安や、専門的な知識を持った人の雇用と指導員の育成、医療や介護、福祉関連事業所との地域での連携などがあげられる。

小さな事業所にとって課題は多いが、全国に数少ない失語症者の社会参加や就労の場、親睦・交流の場としての意義は大きいと自負している。これからも失語症者が安心して参加できる場の提供と、就労支援、家から一歩外へ出るきっかけづくりを応援していきたい。

(たなかかよこ トークゆうゆう所長)