「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年4月号
当事者の声
障害の「見えにくさ」について
片山春菜
私はCIDPという病気の確定診断を受けてちょうど丸6年になる。就職も決まった大学卒業直前のことで、東日本大震災を横目に、私は私でひっそり局地的天変地異に見舞われていた。CIDPは免疫が末梢神経の髄鞘を構成する成分を攻撃する自己免疫疾患で、主に体の動かし難さや手足の痺(しび)れ等を引き起こす。難病で根本的治療法は無く、基本的にはステロイドや免疫抑制剤、または血漿(けっしょう)交換で免疫を抑えるか、免疫グロブリンで自分の免疫を薄めるかのどちらかである。
最初に就職した会社は、残念ながらオーバーワークの末、見事に増悪して退職してしまったが、免疫抑制剤に落ち着いた現在は別の職場で何とか働いている。この職場に入って2年目に障害者差別解消法が施行され、難病も対象となり、まさに施行前後の変化を比較し得る環境にあることから日々の体験を書いておきたい。
施行前後で何か変化があったかと言えば、正直思い当たらない。残念なことに法律自体があまり知られていないことと、私がこの法律でいうところの障害者に当てはまると認識されていないからだろう。難病においては障害が見えないことの難しさが一番である。体力という資源が乏しい、疲労蓄積で増悪の可能性が高まる、筋力が弱い、易感染性があり、かつ風邪などで容易に増悪し得る。これらについては採用面接、配属後の面接、人事ヒアリング、通常の会議、果ては歓送迎会の挨拶と繰り返してきたが、大体週明けには忘れられる。当初こそ重い物の運搬も免れていたが、その年の終わりには事務机を乗り越え埃にまみれつつデスクトップパソコンの設置作業に携わっていた。
実は、私自身この原稿を書くまでこの状況と差別解消法が全然結びついておらず、「そうは言ってもやろうと思えばできるのだから、しょうがない」との認識であった。恐らく見えない障害は、難病者本人にとっても見えにくい。何か不具合があったとしても、自分で処理できる範囲の事柄であれば、それが本法の対象になるとは認識しにくい。結局、仮に差別解消法を知っていても、自分のことと関連付けて考えられないままになってしまう。これが周囲からの見えにくさと相まって、難病者の困難の不可視化を助長している部分があるのではないか。今後本法律を通して、自分の困難が少しでも見えるようになり、また配慮を求めることは、決して自身の努力や能力の不足を表すのではないのだと思えるようになれば、と考えている。
(かたやまはるな 難病の制度と支援の谷間を考える会会員)