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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年4月号

知り隊おしえ隊

西アフリカ訪問記

木島英登

西アフリカの未訪問国を制覇すべく、1か月間の旅に出た。コートジボワール、リベリア、シェラレオネ、ギニア、ギニアビサウ、カーポベルデ、セネガル、モーリタニアと巡る。数年前に訪問したかったが、エボラ出血熱の騒動で渡航を自粛していた。

車いすでなくても旅行するのが困難な地域になぜ、お金も時間もかけて、わざわざ行くのか?訪問国を増やすだけの自己満足。それでも現地に行ったからこそ理解できることや新たな発見があるため、旅がやめられない。

渡航するうえで、最初のハードルは、ビザの取得である。空港や国境でアライバルビザが取れるのなら簡単だが、大使館で申請するとなると面倒である。

大阪在住の私は、まず東京の大使館に出向くことが大変。アフリカの国の中には、日本に大使館のない国もあるため、旅行先でビザ取得ということもある。ところが、大使館は玄関前に段差や階段がある建物が多く、車いすの私は入れない。警備員や他の訪問者に担いでもらったり、職員の方に外に出てきてもらい、玄関先で申請手続きをしたりする。大使館もバリアフリーになってほしいなあ。

次にホテル。良いホテルを予約しても、途上国では、入口に段差があった、エレベーターまで階段だった、バスルームが内ドアで車いすが入らない、など問題は多数。でも段差や階段があっても、アフリカでは警備員や職員が気軽に車いすを担いでくれるので大丈夫。でもやっぱり自分で動ける方が気楽である。

アフリカの地方都市では、予約なんてない。そもそも電気がなかったりする。バスターミナルの周辺にホテルは多いし、平屋の造りが基本なため、車いすでも泊まれたりする。シャワーは、トイレの便座に座って浴びるか、バケツに水を入れてもらうことも。中庭に椅子を置き水着になって座って、ホースで水浴びしたこともある。

現地での移動。バスは少なく、ワゴン車やハイエースの乗合タクシーが主流である。特等席は当然ながら助手席。コートジボワールでは、常に助手席に座らせてくれた。人数が集まったら出発のシステム。最初に来た人、つまり一番長く待つ人が、助手席に座るのが基本。運行本数が多いなら次の車を待つ。日本では車いすで電車に乗っても、ドア付近を空けてくれなかったり、スマホばかり見て他者に関して無関心なのとは対照的。アフリカ人は困っている人への共感度が高く、手助けをすぐしてくれる。

ハイエースでは助手席に2人座るので、2人分の料金を支払い、1人で使うことも多い。車いすは他の荷物と一緒に天井に縛られるので、乗りっぱなしになる。

飲み物や食糧は、道中に売り子がたかってくるので問題はない。小銭を用意しておくとすぐ買える。ミカンをよく買った。ちょっと種が多いが日本と同じ味。はっさく、オレンジなども美味しかった。ギニアの村で完熟マンゴーが3つで10円だったのは衝撃だった。運転手と共に笑顔で素手でしゃぶりついた。ゴミはそのまま窓からポイ捨て。鯵のような小魚のフライも美味しかった。駅弁ではないが、その地方特有の名物も売られていたりする。水はビニールパックで450ミリリットルが5円とか10円で、そこらじゅうで売っている。歯で穴を開けて飲む。尿はこっそりジャンパーをかけて隠しながら、容器にとって済ませている。

アフリカといえば、貧しいイメージしか浮かばない人は多いだろう。障害のある人も悲惨な暮らしをしているのでは?まだ日本に産まれただけ幸せと優越感を持つ人もいるだろう。実際のところ、どうなの?

少年兵など悲惨な内戦のあったシェラレオネ。殺すより、障害者にした方がダメージが大きいと、ゲリラは腕や足を切り落とした。腕や足のない人が路上で物乞いをする姿を見るのは心が痛い。

国境を超えてギニア。アフリカの中でも最も貧困な国の一つ。道路はガタガタ、車はボロボロ、バスには天井にまで客が乗る。首都コナクリでは、多くの障害者が路上にいた。交通量の多い交差点などで物乞いする人も多い。ポリオの人が目立つ。自転車型の車いすに乗る人も多い。全盲の人も一緒にいる。アルビノ(先天性色素欠乏症)が何人もいた。知識では知っていたが、実際にこの目で見るのは初めてだった。黒人の中で肌が真っ白。髪も金髪をこえて白熊のように透明だった。障害のある人が固まって物乞いをしたり、ご飯を食べたりしていた。

未舗装の道路しかない地方では、車いすで生活するのは困難である。まず動けない。大都市では道が舗装されているし、人が大量にいるため、小銭を恵んでもらえることが多いのだろう。支援する人や、家族と共に、あるいは家族から離れて、障害のある人たちが集まって都市部で共同生活をしていると推測される。

西アフリカでは発展するセネガル。首都ダカールは、世界で最も障害のある人を見る街だと思う。交差点ごとに車いすに乗った物乞いがいる。悲壮感がないのが、良いところ。自然な風景として成り立っている。女性の物乞いも多い。ビジネス街では、バスケットボール用の車いすに乗った男たちも見る。車いすバスケットのチームがあり、練習をしている。共同生活をしているのだろう。

後ろに補助輪が付いた四輪バイク、あるいは三輪バイクがセネガルでは走っていた。台湾やマレーシアで見たりするが、アフリカにも普及している。両手片足がない人が、左手で操作できるように改造した三輪バイクに乗っていた。格好よかった。

旅の最終目的地モーリタニア。セネガルとの国境である河を超えると砂漠になる。黒人とイスラムは結びつきにくいかもしれないが、西アフリカはイスラムの国ばかり。イスラムの教えに喜捨(ザガート)があり、施しをする人が多い。

モーリタニアに入ると、アラブ人と黒人が半々になる。そしてよりイスラム色が強くなる。地方は砂漠なので車いすでは動けない。首都ヌアクショットでは、やはり障害のある物乞いが目立った。道路や交差点をふさいで施しを得ようとする車いすや全盲の人がいた。交通の邪魔だなと、正直なところ不快な気持ちになったが、現地の人は気にもならないのか、日常なのか、うまく避けながら通っていく。もちろん小銭をあげる人もいる。

アフリカを旅していると、現地の車いすの人に出会うと笑顔を向けたり、手をあげて合図したりして挨拶をしている。エール交換なのだが、アジアや欧州などでは発生しない光景で、リアクションもない。モーリタニアでは、路上の物乞いさんたちと目が合うことはなく、可哀想(かわいそう)な感じが伝わった。セネガルやギニアなどは、もっと明るかった。

物乞いという社会構造の最底辺かもしれないが、少なくとも社会に障害のある人が存在している。存在自体が隠されたり、社会から隔離されていたり、なるべく見えないようにしているのよりは自然である。

西アフリカは、インフラが未整備で、バリアフリーの設備や福祉機器も貧弱かもしれないが、街中で多くの障害のある人が見られるのは、インクルーシブな社会なんじゃないかと思う。心はそこまで貧しくはない。

ただ多くの人が、クレクレ星人で、チャリティ(慈善)にしか頼っておらず、仕事をしていないことは問題である。南米では、車いすの人が路上でよく宝くじを売っている。アフリカのコンゴ民主共和国では、国境で車いすの人が物資の運び人をしていた。ニジェールでは、サッカーボールを縫っていた。タバコを売るとか、ガムや飴を売るとか、ちょっとでも仕事をしたらいいのにと思う。

国際援助も同じこと。ただ物資やお金をあげるだけだと何も解決しない。自立する方法や教育を与えないと、貧困や差別は連鎖する。

街は段差だらけ。お店やビルも階段ばかり。声をかければ気軽に手伝ってくれるアフリカだが、スロープが整備され、車いすでも確実にアクセスできる場所がある。役場や郵便局などの公共施設ではなく、銀行である。

個人的な印象として、日本で銀行はバリアフリーなイメージから遠い。支店こそ段差解消されたりしたが、出張所など入れないところも過去は多かった。ATMはいつまでたっても車いすでは使いにくい。液晶が見えない。足元が狭くてボタンが押しづらい。ただ、アフリカの銀行がバリアフリーといっても、車いすトイレはありません。

(きじまひでとう 車いすの旅人、世界150か国以上を訪問、バリアフリー研究所代表)