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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年8月号

視覚障害者の移動における今日的課題と展望

西田友和

視覚障害があって困難なことは多々あるが、行きたい場所に行く自由が制限されている、すなわち移動の問題を感じている人は少なくないだろう。

その対策として、歩行訓練による技能の習得や同行援護制度の利用といった従来の方法に加え、外出先の情報をインターネット等で事前に収集したり、GPS機能を活用して経路探索を行うなど、テクノロジーを活用した新しい方法も誕生してきた。また、昨年4月に施行された障害者差別解消法は、障害者が外出することへのコンセンサスを確実に高めたと言える。

こうした変化にのみ着目すれば、問題は改善に向かっているようにも見えるが、その一方で、視覚障害者の駅ホーム転落による死亡事故が相次いで報道されるなど、種々の改善とは逆に、むしろその問題の深刻さが浮き彫りになってきている事実も無視できない。特に、ここ最近、このような事故が増加している背景には、大別して、以下2点の理由があると考えられる。

一つは、視覚障害者の高齢化、中途失明者の割合の上昇といった母集団全体の変化である。高齢化は社会共通の課題であるが、加齢に伴う身体機能の衰えなどを理由に個々人の歩行技能が低下することは免れない。

また、失明した時期が後期であるほど単独歩行の訓練を受ける機会は少なくなるばかりか、習熟にも限界がある。先天的な障害や若年層での発症による疾病であれば、盲学校等で手厚い歩行訓練を受ける機会に恵まれる上、訓練を受けるのが早い時期であるほど習熟や上達が円滑に進むが、そうした人は少なくなる傾向にある。

もう一つは、近年の社会意識の変化が挙げられる。感覚的な言い方になってしまうが、私が失明した時代(1990年代)は社会の障害者に対する風当たりは厳しく、一人で外出するとなれば、相当な心理的ストレスがあった。しかし最近は、一定の理解や配慮を受けられるようにもなってきているし、そうでない場合に権利を主張しやすくもなっている。こうした社会的・心理的障壁が下がったことにより、これまでであれば外出を躊躇(ちゅうちょ)していたような人でも社会参加しやすくなっていることが想像される。

以上の考察から、単独歩行をする視覚障害者の歩行能力の質的な変化に加え、その裾野(すその)が近年著しく広がってきたため、これまでにない新たな課題が生まれてきたものと推測できる。

そうした状況下において、歩行時の課題を解消する方策として、現時点でどのような配慮がなされているのかを、公共交通機関を例に見てみよう。

車や自転車などの手段が使えない視覚障害者にとって、公共交通機関の役割は極めて大きい。そのためか、駅周辺では点字ブロックや音響信号が整備されていることが多く、駅構内においても、点字案内板や触地図が配備されているところが少なくない。こうした点は、諸外国に比べても決して劣っているものではない。

しかし、一見十分に見えるこれら配慮にも問題がある。こうした設備の多くを有効に活用するには、視覚障害者としての優れて「専門的」な技能が求められる点である。

たとえば、点字案内板や触地図は点字利用が前提であるが、そもそも点字を利用できる視覚障害者は全体の1割にも満たないと言われている。また、ターミナルなど大きな駅での歩行は、たとえ経験を積んだ上級者であったとしても相当に難易度が高く、一様に点字ブロックや音響信号を敷設するだけで問題のすべてが解決する訳ではないのである。

前述のとおり、視覚障害者の状況は以前に増して多様化しており、一枚岩でない。そのことからすれば、従来までの特殊かつ限定的なインフラの整備では対応が難しくなってきている。つまり、障害者問題を社会全体の課題ととらえる根本的な発想の転換が必要なのである。

その好例となり得るのが、一連の事故とともに議題に上るホームドア設置の是非についてである。

ホームドアは視覚障害者の転落防止というだけでなく、高齢者や小さい子どもにも便益がある。それのみならず、自殺者低減という観点からも、社会的に少なからぬ効用があるという点で意義深い。障害者からの視点はもちろん重要であるが、狭い枠に留(とど)めず、さまざまな立場の人を巻き込んだ幅広い議論を期待したい。

ここまで、主にインフラの整備について触れてきたが、それには自ずと限界があることも知っておきたい。当事者の内実が多様化している状況にあっては、最大公約数を対象とした大きな設備や制度を作るだけでなく、個々のニーズにあった対応を可能にする仕組みづくりが重要である。そのためには、受け身の姿勢で社会に配慮を求めるのでなく、当事者自らが課題を的確に伝えていかなければならない。同じ視覚障害者であっても、抱えている問題はそれぞれ違うのだから。

ある意味で、問題はますます複雑化してきた。それを創造的に解決していけるかは、個々人の主体性にかかっている。

(にしだともかず ロゴス点字図書館)