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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年8月号

1000字提言

身体拘束

迫田朋子

精神科病院で身体拘束をされたあと、肺塞栓症(エコノミークラス症候群)で亡くなったという話を複数例、聞いた。ただごとではないと思う。詳細を明らかにして、何が起こっていたのか、やむをえないことだったのか、示す必要がある。

弾性ストッキングをしていれば防げていたはずだという単純な話でもないようだ。夫婦げんかで警察が介入し、自傷他害のおそれがあるとして措置入院のすえ身体拘束された女性もいる。今、緊急で入院すると有無を言わせずにそういう事態になりうる、ということを図らずも表している衝撃的な事実だ。

先日骨折で入院した際、手術後に麻酔がきれる際の状態でやむをえず身体拘束をする可能性があると、説明された。手術を受けるために必要だということを自ら理解し、納得したうえでサインした。

しかし、精神科病院への入院は違う。措置入院でも医療保護入院でも本人の意思はない。いつ解除されるかわからない。自傷他害のおそれがある、不穏、多動、といった理由で、ベッド上に拘束される。

この問題を訴え続けている杏林大学教授の長谷川利夫氏によれば、11の精神科病院(合計3610床)で調査したところ身体拘束されていた人は245人、拘束されていた期間の平均日数は96.2日だという。

いったい精神科病院で何が起きているのか。こうした実態に、私たちはあまりにも無関心すぎたのではないだろうか。行動制限をする場合は、人権を制限するのだということを医療者はどのくらい認識しているのだろうか。

先にあげた、夫婦喧嘩がきっかけで措置入院となり身体拘束を受けたという女性は「自分の意思が一切無視され、どんなひどい扱いを受けても病気扱いされてしまう」と語った。そして「身体拘束された人間の底なしの絶望、人間不信を克服する術はあるのか」と訴えている。入院自体がトラウマとなり、もう二度と精神科にはかかりたくない、という患者の声も聞いた。

精神保健福祉法の36条では「医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる。」として、身体拘束や隔離を例外的に認めている。本来ならゆっくり話を聞いたり、見守ったり、する必要があるときに、転倒防止や命を守るためという理由で、安易に身体拘束が行われていることはないのか。何よりも患者の心を扱う医療で、医療行為自体がトラウマになるような事態を引き起こすような現実であってよいのか。

実態を明らかにして、オープンな議論をする必要があると思う。


【プロフィール】

さこたともこ。ジャーナリスト。1980年、日本放送協会入局。アナウンサー、解説委員、エグゼクティブ・ディレクターなどを務める。専門は、医療、福祉、介護、市民活動。NHKスペシャル「人体~脳と心~」、「セーフティネット・クライシス」などの番組を制作。現在はビデオニュース・ドットコム プロデューサー。