「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年10月号
報告
「第23回夏季デフリンピック」の報告
山根昭治
1 はじめに
第23回夏季デフリンピックサムスン2017は、2017年7月18日から30日までの期間で、トルコ・サムスンにおいて開催された。夏季大会としては、過去最多の97か国から3148人選手が参加し、21競技〈陸上 バドミントン バスケットボール ビーチバレーボール ボウリング サイクリングロード サッカー ゴルフ ハンドボール 柔道 空手 自転車 オリエンテーリング 射撃 水泳 卓球 テコンドー テニス バレーボール レスリング(グレコローマン) レスリング(フリースタイル)〉が最高峰を目指し熱戦が繰り広げられた。日本からは、11競技(右の太字)に全日本ろうあ連盟デフリンピック派遣委員会で定めた基準を満たした108人を選出し派遣した。
2 盛大な壮行会とその結果
国会議員によるデフリンピック支援ワーキングチームを発足し、6月28日、参議院議員会館において、日本選手団の壮行会が開催された。丸川珠代東京オリンピック競技・パラリンピック競技大会担当大臣、鈴木大地スポーツ庁長官、衛藤晟一デフリンピック支援ワーキングチーム座長をはじめとする役員の皆様等に激励のご挨拶をいただいた。その後、10社を超えるマスコミの記者会見に臨み、選手たちにとっては、今までにない夢と熱気あふれる壮行会となった。そして、その場で「日本代表としての自覚と責任を持ち、チームワークに撤して臨み、メダルの目標は、金メダル5個、銀メダル10個、銅メダル10個計25個以上とする」と決意を述べた。
その結果、金メダル6個、銀メダル9個、銅メダル12個と過去最高の27個を獲得することができた。国別金メダルランキングは、6位。前回の16位より大きく躍進した。デフアスリートの競技環境が十分良いといえない状況の中で、過去最高のメダル数を獲得したことは、最後まで諦(あきら)めずに頑張り続けてきた選手たちを誇りに思う。
3 メダリスト一覧 →別表参照
表 メダリスト一覧
金メダル(6個) | ||
競技名 | 種目 | 選手名 |
女子バレーボール | 団体 | 尾津愛実・髙良美樹・三浦早苗・村木玲奈・前島奈美・畠奈々子・中田美緒・宇賀耶早紀・長谷山優美・安積利絵・平岡早百合・山崎望 |
男子水泳 | 400メートル自由形 | 藤井慧 |
1500メートル自由形 | 藤井慧 | |
400メートル個人メドレー | 藤井慧 | |
男子陸上 | 4×100メートルリレー | 山田真樹・三枝浩基・設楽明寿・佐々木琢磨 |
200メートル | 山田真樹 | |
銀メダル(9個) | ||
競技名 | 種目 | 選手名 |
男子水泳 | 4×200メートル自由形リレー | 藤井慧・金持義和・茨隆太郎・津田悠太 |
4×100メートルメドレー | 藤井慧・金持義和・茨隆太郎・津田悠太 | |
200メートルバタフライ | 藤井慧 | |
200メートル自由形 | 藤井慧 | |
200メートル背泳ぎ | 金持義和 | |
100メートル背泳ぎ | 金持義和 | |
200メートル個人メドレー | 茨隆太郎 | |
男子陸上 | 円盤投げ | 湯上剛輝 |
400メートル | 山田真樹 | |
銅メダル(12個) | ||
競技名 | 種目 | 選手名 |
男子水泳 | 4×100メートル自由形リレー | 藤井慧・金持義和・茨隆太郎・津田悠太 |
50メートル背泳ぎ | 金持義和 | |
400メートル個人メドレー | 茨隆太郎 | |
200メートル個人メドレー | 藤井慧 | |
混合水泳 | 4×100メートルメドレー | 金持義和・茨隆太郎・藤川彩夏・久保南 |
女子卓球 | 団体 | 亀澤理穂・川﨑瑞恵・髙岡里吏 |
ダブルス | 亀澤理穂・川﨑瑞恵 | |
女子バドミントン | シングル | 長原茉奈美 |
女子サイクリング | 個人タイムトライアル | 箕原由加利 |
女子マウンテンバイク | クロスカントリー・オリンピック | 早瀨久美 |
男子陸上 | ハンマー投げ | 石田孝正 |
女子陸上 | 棒高跳び | 滝澤佳奈子 |
4 各競技アスリートの活躍ぶり
16年ぶりに金メダル奪回した女子バレーボールは、予選リーグから決勝トーナメントのすべて、オール3対0で勝った。日本は、徹底的に守って拾ってセッターに繋(つな)いでいくプレーが安定していた。ベテラン、中堅、若手のチームワークが素晴らしく、10代が4人いるので、次回が楽しみ。
水泳男子は、3人の選手の頑張りで、連日メダルラッシュが続き、15個も獲得した。3人の選手は、これから職活シーズンに入るが、デフアスリートをバックアップできる企業が現れることを願っている。
陸上は、ニューフレッシュな選手が現れ、男子4×100メートルリレーでは、アジア界で、日本が初めて金メダルを獲得した。リオオリンピック日本男子リレーが再現されたようにバトンタッチが見事で快挙であった。日本選手権でベスト3の実力を持つ円盤投げ選手は、デフリンピックは甘くないと思い知らされ、次回でリベンジを果たしたいという決意を固めていた。
卓球とバドミントンは、かつては、メダルの常勝だったが、最後まで諦めずにそれぞれ2個と1個獲得でき、面目を保つことができた。今後、若手の育成及びエースが輩出されることを期待したい。
自転車は、女子選手たちの活躍でメダルを2個獲得した。メダルを期待されていた男子選手は、転倒された前方に巻き込まれるというアクシデントで悔やまれる。今後、自転車には年齢制限がない、夢を追い求めていく決心に敬意を表したい。
男子バレーボールは、最後まで諦めない粘り強さで8年ぶりに決勝トーナメント選進出を果たした。試合中、元気良いパフォーマンスを演じ、トルコの子どもたちにも伝わり、日本選手団は人気者となった。
男子サッカーは、4年間、強化合宿等で体幹トレーニングを中心に鍛えた効果から、前回2位のウクライナに勝ち、番狂わせが起こった。最終戦のイタリア選では、ロスタイムで惜敗。日本は、僅(わず)かの時間で初決勝トーナメント戦進出という夢を砕かれ、芝生の上で仰いでしばらくは立てなかった。まさしくドーハの悲劇のごとく、サムスンの悲劇でもあった。しかし、アジア以外の国と互角に闘えるようになったことを称(たた)えたい。
ビーチバレーボール、空手、テニスの参加国は、国際的に力が高まってきている。日本は、一生懸命闘っていたが、世界の壁が厚く厳しい状態だった。その教訓を次世代の育成に活(い)かしていくことを期待したい。
5 総括
一つは、今大会をきっかけに、大会が始まる前から国内におけるデフリンピックの知名度が高まるとともに、デフアスリートに対する公的なサポートの規模が大きくなったことである。朝日新聞社、読売新聞社が初めて、現地に取材人を派遣していただき、連日、リアルタイムで報道していただいた。鈴木大地スポーツ庁長官、薬師寺参議院議員、在トルコ中村公使が日本選手団の結団式や開会式、また試合会場へ応援に駆けつけていただいた。このようなデフリンピックを取り巻く一連の動きが大きな波となり、社会を動かすに至った。そして、トルコの組織委員会は各競技を生中継で配信した。
金メダルを獲得した日本女子バレーボールの決勝戦は会場が満員となり、1点を取るごとに声援が上がっていた。フェイスブックやツィッターで、これまでにない盛り上がりで、日本国民が応援してくれていること、デフリンピックに対する認知度が上昇していることを改めて実感した。
二つは、日本選手団の結団力である。大学の寮を充(あ)てた選手村の同じ棟で生活した。スタッフ本部前のロビーや本棟に向かう185階段の通路で、「おはようございます」「お疲れ様です」「今日も頑張れ」「メダルおめでとう」とコミュニケーションを交わす姿が日常的に見られ、日本の持っている和の精神の素晴らしさ、日本選手団が一つにまとまっていく姿に感動を覚えた。選手村の食堂で、食べ終わった食器を選手が下膳したのをトルコ側に称えられたことを誇りに思った。
三つは、選手が自国の誇りを自覚しながら臨んだことである。金メダルを獲得した日本女子バレーチームの選手全員が表彰式で君が代を手話で謳(うた)う姿に涙が止まらなかった。東京オリンピック・パラリンピックのスタジアムで、聞こえる人も聞こえない人も一緒に手話で君が代を歌うことがあるかもしれない。デフリンピックを通して、国の将来を担う聞こえない聞こえにくい子どもたちに夢や希望、誇りを与えられることを理解していただきたい。
四つは、デフアスリートの競技環境が良いといえないことである。仕事を休めない日本選手は、仕事を終わってから黙々と夜遅くまで練習する、合宿できるのは土・日だけ、しかも合宿場所としてナショナルトレーニングセンターを使用させてくれない。選手の所属している職場へのデフリンピックの理解促進を図るとともに、オリンピック、パラリンピックのアスリートとの競技環境の格差を解消し、金銭的な負担解消、休暇取得の整備、報奨制度の構築等に努めていく所存である。今後ともデフスポーツの振興へのご支援とご理解を重ねてお願いしたい。
(やまねしょうじ 第23回夏季デフリンピック日本団長)