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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年11月号

「この街で良かった!」とみんなが思えるように

岸田あすか

わが子はふたりとも自閉症スペクトラムである。そしてふたりとも学校へ通学していたのは6年間前後で不登校の期間が長かった。わが子たちが幼児期、学童期は「発達障害」という言葉も珍しい時代だったので、造詣の深い専門家に出会うこと自体稀(まれ)であった。「早期発見早期療育」と言われたのはかなり後であったし、運よく療育の専門家と出会っていても、教育の現場と「連携」を取るということが至難の業だった。そんな療育教育現場が「発達障害混沌時代」だったので「不登校」となった期間が長かったのだと感じている。

長女の時はまったくくだらなかった。給食指導という拷問がまかり通っていた。毎日、クラス別の温食の残飯量を校長室でグラフに付けて管理していた。低学年の担任ほど、完食した子どもには日々シールを与え、残す子どもはシール無しで誰の目からも非難される指導だった。どんなに徒競走で足が速くても、音楽が得意でも、すべての評価は「給食を残さず食べること」だった。

娘は小学校2年で不適合を起こし、拒食症になり、ひと月で10キロやせこけた。てんかん発作と医者が間違えるほどの運動チックとボイスチックが止まらないトゥーレット障害を併発して、やがて不登校になった。娘は小2から向精神薬の使用が始まり、いまだに精神科へ通院している。今の時代のように特別支援教育が推進され、合理的配慮が求められる時代であれば、ここまで人として壊されなくて済んだのにと悔しい思いもある。

息子の不登校になった原因は、「学級崩壊」の原因となるような状態になってから、学期途中で特別支援学級へ編入してくる子どもが多くなったことだ。物心ついたときから障害のあるお友達と過ごしてきた息子にはとても刺激が強すぎた。

特に中学校入学時は、「小学校を卒業するまで何とか普通クラスで過ごさせたい」と「頑張ってきた」子どもたちが「中学からは特別支援学級に行きましょう」と怒涛のように押し寄せてきた。

そのような選択をされてきた保護者の方は「みんなと同じように通わせる」ことが第一義で、他のことにはあまり目を向ける余裕がない。普通クラスで生き延びようと身に付けた高度ないたずら騒ぎで、特別支援学級なのに予測不可能な毎日が続き、息子から「僕は紙になりました」「身体に力が入りません」「学校に行けません」と訴えられ、私は「壊される」ことを恐れ、学校で学ぶことを諦(あきら)めた。

当法人は、山口県で初めて発達障害に特化したNPOとして設立した。早期療育をしてきたたくさんの親から学校生活の相談が舞い込んだ。早期療育をしてきた自分の子どもが不登校でも、いや不登校だからこそ、学校への不条理さを理解できた。そして協力してくださる療育、教育、医療の専門家の皆様と、筋を通して諦めることなく問題に対応していくと解決できることもあるということを学んでいった。

下関は小児科の先生と親の会の関係が良好で、親たちの不安や不満の改善策を小児科医会と連携して行政へ陳情していく動きがあった。昼でも夜でも、小児科の一室に親から療育から医療から議員まで一堂に会し「この問題を解決するための陳情」を2年くらい掛けてしていき、特別支援学級の設置に柔軟に対応できる教育委員会になってくれた。教育、療育、医療、親が会合できる「特別支援教育推進委員会」を教育委員会が設置し、年間2回委員会を開催し、保護者の意見を取り入れた予算を組むように教育委員会が動く流れができた。

また、各保育園や幼稚園に専門家と医者が訪問でする「5歳児発達検診」が機能しており、保育園や幼稚園の先生がお医者様と勉強や研修を進めており、早期発見、早期療育率は非常に高い。それゆえ正式に「診断名」が付いた状態で小学校に入学してくる子どもも多いので、特別支援教育の推進には力が入っているわけである。

だから私が悔しい思いをしたようなことは、現在の学校現場では起こっていないと思いたいのだが、いまだ「お残し許すまじ」といったような未熟な給食指導をしている教員もいるらしい。自分が受けた指導法を繰り返すのであれば、娘の頃の教育を受けた世代が先生になって繰り返しているのかもしれない。「輪廻」である。

発達の特性からくる「味覚」「触覚」「嗅覚」の過敏は12歳頃になったら落ち着いてくる。現に、娘は27歳の今は何でも美味しくいただける身体だ。私は、無理な給食指導で人間を壊さないでほしいと、次回の「特別支援教育推進委員会」で意見を言おうと思う。

親は「〇〇ちゃん、今日は学校に行くから今から「教育」で、昼から言語訓練だから「療育」ね」なんて考えながら日々を生きていない。大切なわが子の将来が生きやすくなるように最善を尽くそうと悪戦苦闘しているのだ。だから、わが子を取り巻く社会全体が連携してほしいし、教育を離れた年齢になってもなお、連携をして親の思いに応えてくれるような街になってもらいたい。

(きしだあすか NPO法人シンフォニーネット理事長)