「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年11月号
ワールドナウ
今夏のドイツ旅行から見えたこと
~機内でのインスリン使用と視覚障害者の鉄道移動についての日独バリアフリー度合い比較~
戸塚辰永
はじめに
私は、今夏(2017年)8月20日~27日まで夏季休暇を利用し、北ドイツに住む友人を訪ねた。
まず、私の自己紹介から始めることをお許しください。私は、23年来糖尿病を患っており、15年前よりインスリン注射と経口薬を用い、血糖コントロールを行なっている。また、9歳に失明し、全盲でもある。
そんな私の楽しみの一つが、旅だ。一人旅で最初に訪れた土地は、熊本県水俣市であった。そこで、胎児性水俣病患者の方々と出会い、話をしたことが、今もなお、一人旅の原点として、強く心に残っている。
それ以来、ドイツ等々、バックパッカーとして一人旅を続けてきた。
インスリンの機内持ち込み
今夏のドイツ旅行では、インスリン注射器とディスポーザルの注射針の航空機内への持ち込みに大変骨が折れた。というのも、ここ数年ヨーロッパ各地で、頻発するテロの影響であろう。航空会社が、インスリン注射の持ち込みにかなり神経をとがらせている雰囲気を、私は今夏のドイツ旅行で強く感じた。それは、まるで、非常事態下にいるようでもあった。
これまでは、あらかじめ航空会社に機内でインスリンを使用する旨を伝え、当日、搭乗手続きカウンターで、医師の英文の診断書、インスリン注射器、ディスポーザル注射針の入った透明な袋のジップロックを見せるだけで、すんなりと許可されてきた。
ところが、今夏の旅行では、まず医師の診断書を先に航空会社に送り、機内と主に乗り継ぎ空港内での介助申請を受けるためのうんざりしてしまうほどの大量な質問事項に答える必要があった。さらに、インスリン注射の形状(長さ、直径)、注射針の持ち込み本数、形状(針の長さ、形)までも尋ねられ、搭乗カウンターで、それが正しいか、実物を提示して、私が答えて、ようやく機内持ち込みが許可されたという次第であった。
EU入国にあたっても、私がインスリン使用者であるからだろうか?かなり厳しい入国審査を受けた。たった3人が入国審査を受けるのだが、私だけは、入国審査官からねちねちと質問された。
これまでは、「いつまで滞在しますか?ビジネスですか?旅行ですか?」くらいの質問に答えるだけで、入国スタンプを押してもらうことができた。
ところが、今回は、違った。「旅行ですか?」「はい、そうです」「泊まる所は、ホテルですか?」「いいえ、友人宅です」「それなら、友人からの招待状を見せてください」「そんなものはありませんよ。よかったら、私のパソコンに入っているから、お見せしましょうか?」
そこで、私の介助をしてくれていた、オランダ人の若い女性スタッフが、入国審査官の中年男性を睨(にら)みつけたのだった。30秒くらい後に、その男は、仕方がなさそうに、ガチャンとスタンプを押したのだった。
いかに、ヨーロッパが、テロに対して、まるで戒厳令下のような状況にあることを否が応でも、肌で感じさせられたのだった。
全盲の障害者政策担当官ドクター・ヨアヒム・シュタインブリュック氏
ドイツへ到着すると、友人がブレーメン空港に迎えに来てくれていた。空港職員に、スーツケースを捜してもらい、友人と抱擁を交わしあう。テロに対する危機意識は、ほとんど感じられない。
今回の旅の目的の一つは、ブレーメン州障害者政策担当官のドクター・ヨアヒム・シュタインブリュック氏(全盲の元ブレーメン州労働裁判所裁判官、ブレーメン盲人協会会長)の仕事を見たいという私の要望に、彼が答えてくれたことである。
日本ではなじみのない障害者政策担当官とは、ドイツの各16州に一人ずつおり、州議会に所属し、障害当事者と州政府、行政との間に立ち、障害者の意見を行政に提言する立場にある。
他の州のことは分からないが、高度に自治権が確立されている自由ハンザ都市のブレーメン州では、2006年から、障害者政策担当官を市民の選挙によって選出している。そこで、仲介の専門家であり、同州差別禁止法を立案した、法律家のシュタインブリュック氏に白羽の矢が立ったのであった。彼は、裁判官の職を辞し、以来、障害者政策担当官として活躍している。
何といっても、裁判官のキャリアが物を言う。行政と当事者両者の意見を聞き、いいあんばいで、障害当事者に添った落としどころを提案、勧告するのである。
日本には、全盲の弁護士はいるが、まだ全盲の裁判官は一人もいない。一市民として、社会で暮らし、誰とでも気軽に話ができる、ドイツの裁判官がうらやましく思う。なお、私は、ヨアヒム・シュタインブリュック氏夫妻とは、29年来の親友である。
8月22日の午前9時半~正午まで、ブレーメン州議会議事堂に欧州議会議員2人、ブレーメン州州政府閣僚、州議会議員、ベラルーシ障害者来訪団15人を招き、EUとブレーメン州におけるバリアフリーについてのシンポジウムが、シュタインブリュック障害者政策担当官の下、開かれた。
ベラルーシでは、農村体験ツーリズムと宿泊場所、交通手段のバリアフリーを模索し、ブレーメン州の先行事例を視察することが目的だそうだ。
ドイツ語とロシア語の通訳が入るため、私には、内容を把握するのに、とても疲れるシンポジウムだった。
シュタインブリュック氏が、歓迎のあいさつで、私を紹介してくださった。「日本から来たゲストがここにいます。彼は全盲で、チェルノブイリ原発事故により、放射性白内障で失明した視覚障害者を助けたいと思っています」と語った。シンポジウムはバリアフリーの問題が中心であったが、チェルノブイリ原発事故により、障害を負った人々への補償についても、議論が交わされた。
ドイツの鉄道バリアフリー事情
日本の鉄道は、「omotenashi」という面では、世界一であろう、というだけで終わりにしたくない。まず、ドイツの鉄道移動の使い勝手の悪さから、融通の利かなさから紹介しよう。
ドイツ鉄道の介助を受けるには、出発前日の18時までに、どの列車に乗り、どの駅を経由して最終目的地まで行くかを、中央指令に伝える必要がある。これは、大変面倒くさいことである。駅の切符売り場でお願いしたら、優に30分も手配にかかった。その他の方法は、コンピュータで介助を予約する方法があるが、これも大変である。
列車の物理的バリアとして、プラットホームから鉄製の階段を何段か上って、列車に乗り、数段降りて客車に入らなければならない。今回は、スーツケースに白杖の移動だったので、かなり乗車と下車に苦労した。
しかし、ローカル線での移動だったため、車掌や乗り合わせた客が手伝ってくれたため、その点、助かった。
ここで強調したいのは、日本よりはるかにドイツでは、障害者や女性、お年寄り、子どもに、親切に声をかけてくださり、助けてくださることだ。日本でも、ぜひともドイツに見習ってほしいものである。
そのほか、ドイツやスイス、オーストリアには、バーンホフ・ミッションというキリスト教の団体が駅構内にあり、障害者などの鉄道移動を介助している。同団体は、中規模から大規模な駅にしかないが、当日鉄道に乗りたいと言っても、快く引き受けてくれるので、ドイツ等に旅行される方にお勧めしたい。
今回の旅行で、ローカル線に久しぶりに乗った。30年前は、触読式時計の針を触りながら、後何分と数えながら、原っぱの真ん中の駅に飛び降りるという経験もした。だが、今回の旅行では、アナウンスもあり、「列車とホームに隙間が空いていますので、注意してください」と言うアナウンスも流れていたのには、隔世の間があった。
最後に、ちょっとした文化の違いを紹介したい。
日本では、「傘などのお忘れ物にご注意ください」と言ったアナウンスが流れるが、ドイツでは、「あなたの向かい側に置いた帽子を忘れないように気を付けてください」と言うアナウンスが流れていたことに文化の違いに気づかされたのであった。
(とつかたつなが 『点字ジャーナル』編集部デスク)