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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年11月号

フォーラム2017

東日本大震災 被災当事者による支援活動の現状と課題

畠山輔

ボランティアステーションin気仙沼の立ち上げと活動の概要

「ボランティアステーションin気仙沼」は、東日本大震災発生から9か月を経た2011年12月11日、気仙沼市で被災した住民同士で設立した被災者支援団体です。

震災後、避難所から仮設住宅へ入居した当団体の代表理事である菊田は、ボランティアの受け入れ調整や物資の仕分けなどを行いながら、仮設住宅における自治の必要性を強く感じ、自治会設立に奔走、初代の自治会会長になりました。

仮設住宅で新たな生活を送る中、支援でいただいた家電製品を使えない高齢者が多いことや、希望もなく、隣に誰が住んでいるのか分からないという生活環境において、住民が孤立する傾向にあることに気づきました。

そこで、自らが挨拶や声掛けすることで住宅内の雰囲気を明るくし、何か交流するきっかけを作れば、自然とその輪が広がるのではないかと考え実践しました。また、他の仮設住宅でも同じような状況や課題を抱えているのではないかとの想いから、市内全仮設住宅の訪問を開始しました。

そんななか、2011年12月にオープンを控えた「気仙沼さかなの駅」にボランティアのためのスペースが開設される計画を知り、活動を重ねてきた中でその必要性を強く感じてきた、住民が抱える問題に対応するための支援組織「ボランティアステーションin気仙沼」を立ち上げました。

気仙沼市では、仮設住宅や災害公営住宅への入居が抽選式で決まるため、避難所から仮設住宅、仮設住宅から災害公営住宅、または、防災集団移転や既存地域への再建と転居するたびに人間関係が途絶えてしまう状況にありました。スタッフは、気仙沼市の被災状況や地域の実情をよく理解しており、同じ被災者だからこそできる細やかな支援活動を開始しました。

仮設住宅への支援と仮設住宅代表者交流会

阪神・淡路大震災の経験者から、花は見るだけで心が和み、水をやる作業で癒(いや)され、生きがいを感じるといったお話をお聞きし「花プロジェクト」を行いました。全国に支援を呼びかけたところ、プランターや土、種をたくさん寄付していただき、翌年には仮設住宅の方からの要望で野菜も作りました。

また、ボランティアセンターで受け入れられなかった個人ボランティアの受け入れ、住民が主体となり自主的に行えるようスタッフと住民が一緒に企画・準備する見守りサロン「輪ちゃ会」の開催、行政では対応できなかった仮設住宅の結露問題解決のための工事、同時に、各仮設住宅での課題や問題点、情報共有を図るための「仮設住宅代表者交流会」を開催しました。特に、要望が大きかった「お風呂の追い炊き機能の追加」や「風除室の設置」の2点を行政に陳情して実現のきっかけを作りました。さらに、士業専門家派遣や災害公営住宅入居に向けての勉強会等、需要のある事柄に対しては積極的に行動しました。

仮設住宅からの移行期

仮設住宅から災害公営住宅、防災集団移転先への移行が始まると、転居後は復興したとみなされ、仮設住宅では、見守り対象者が減少したということで住民に対する支援が縮小する傾向がみられました。それと時を同じくして、活動資金の枯渇と活動計画の終了を理由に、民間や外部からの支援団体の多くが撤退していきました。そのほとんどは、地元団体が活動を担える仕組みを作らずに年度末を区切りに撤退したため、混乱状態に陥ってしまった地域もありました。

さらに、仮設住宅の担当課と災害公営住宅・防災集団移転等の担当課が別々という行政の縦割りシステムの弊害で、情報の共有が円滑に行われず、支援が上手く機能しないという状況も起こりました。その中で、当団体は、仮設住宅入居当初から支援活動を開始し、災害公営住宅や防災集団移転先でもスムーズに入居・交流ができるよう、顔見知りのまま支援活動を継続している唯一の団体となりました。

震災から6年半。現状の課題と支援者の状況

現在も「輪ちゃ会」というコミュニティサロン活動を行なっています。入居者が数世帯となってしまった仮設住宅では、参加者が一人でも出てきてくれる限り継続していく予定です。災害公営住宅や防災集団移転先の集会所でも「隣に住んでいる人が誰だか分からない」「交流する場がほしい」「日中何もすることがない」という多くの声に寄り添うために開催しています。これから転居してくる人が戸惑ったり、困らないように、顔が見える支援を継続していくことができると考えています。

活動を行なっている中で、個人情報保護法の影響で継続した支援が難しいという他団体の声をよく聞きますが、住民との何気ない会話の中から得られる情報は必ずあります。地域を回っていると、どのような状況であるか、今何が必要とされているかなど、信頼関係ができているからこそいろんな情報は集まってきます。日頃から住民が集まる場に足を運んで顔なじみになることこそ、今の被災地において、とても重要な支援活動の一環となっているのです。

震災から6年半が経過した今も、気仙沼市にはまだ仮設住宅があります。しかし、時間の経過とともに、被災地支援の矛先は復興計画から地域の創生へと移り変わり、まちづくりや子ども支援等へとシフトしてきているのが現状です。

今現在、仮設住宅に住まわれている人たちは、高齢者や次の再建先がいまだ決まっていないなど、いわゆる社会的弱者と言われる人たちです。復興先進地である兵庫県神戸市では、災害公営住宅入居後に住民の孤立や孤独死が社会問題となりました。継続した支援でなければ、近い将来、必ず同じことが起きてしまうと懸念しています。しかし、当団体の支援活動に対する理解や共感は、地域創生という波に打ち消されつつあるのが現状です。

2013年から、「みやぎ地域復興支援助成金」という助成金を基に活動を行なってきました。申請内容は、一貫して「見守り支援」を通してのコミュニティ再生の必要性を訴え続けていますが、近年では、地域おこしや、職作り、移住者促進等が多くなり、「見守り支援」という立ち位置は当団体だけになってしまいました。

全国各地で大きな災害が多発しており、報道される機会もめっきり少なくなり、東日本大震災に対する風化は進んでいると感じていますが、気仙沼や被災地の現状を改めて知っていただければ幸いです。

仮設住宅はまだ残っており、災害公営住宅や防災集団移転は復興ではなくスタートライン、コミュニティづくりはそこから始めなくてはなりません。コミュニティがなければ、今後の防災・減災に繋(つな)げることもできません。我々、地元に残った住民、地元団体はこれからも気仙沼で生きていきます。住民主体の活動を育みながら見守り続けていく支援活動は、これからが正念場であり、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、今後も長く継続していかなければならない活動であると考えています。

最後の一人が仮設住宅を去り、そして地域コミュニティ再生を願いつつ、当団体は今後も支援活動を続けていきます。

(当団体HP:http://vsk311.com/

(はたけやまたすく (一社)ボランティアステーションin気仙沼事務局)