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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2018年2月号

当事者の声

ちょっと待った! IT

尾上裕亮

私は、歩くこと・口で話すこと・手で作業することができない。会話やパソコン操作は、「オペレートナビ」という入力支援ソフトウェアを、スイッチ等で用いて行う。11歳からパソコンでさまざまなことを行い、ITの幅広い可能性を経験してきた。

しかし一方で、怖さも感じざるを得ない。障害者や高齢者を隔離・管理する道具になるからだ。私たち障害者が長年、主張してきた「どんどん街に出よう」、「必要な公的介護をうけて生活しよう」ということを大きく後退させることもできるのだ。たとえば、実際に買い物に行かなくても、インターネットで物を見る・買うことができる。VR技術などを紹介するテレビでは「これは高齢者・障害者に役立ちますね」と紹介しているシーンをよく見かける。

私の場合、オペレートナビを使い、メールをする・ネットをする・文章を書く・電子書籍を読むこと自体は自力でできる。十分なセッティングさえしてくれれば、介助者には数分おきの身体の調節と水分補給の介助を頼むだけだ。今後、体位交換や水分補給をしてくれるロボットができたら、パソコンをしている時は介助者がいらなくなるかもしれない。それは良いことなのだろうか。私は全くそう思わない。

どのように進化しても、ITはある条件下で、しかも設計された範囲のことしか行えない。ITは私の外出介助をしてくれない。私は毎日、いろんな所に出かけ存分に活動したい。その生活には人の手が絶対必要である。「プログラミングされた生活」は、御免だ。どんなにネットショッピングが発達しVRが進化しても、モニターの前では目的地までの道中を楽しみ、人と面と向かって会話し、新しい出会い・発見をすることは無理である。

ある人は、市役所に「重度訪問介護の時間を増やしてほしい」と言ったら、「機械を使えば一人でもできるのでは」と言われたという。おそらく、社会保障の削減の大きな“空気”のなかで、このようなことが増えていくのではないだろうか。前述の「これは高齢者・障害者に役立ちますね」というコメントには、この市職員と一緒の、安価な障害者・高齢者隔離の論理があることを見逃してはならない。

人間は、可能性・選択肢を拡げるためにモノを作り技術を革新してきた。重要なことは、逆転現象を生じないこと、モノによって人間の可能性・選択肢を制限されないようにすることだ。「自分らしく暮らすためのIT」を私たち障害者から、より強く発信していく必要がある。

(おのえゆうすけ 障害連(障害者の生活保障を要求する連絡会議))