身体障害者・社会的障害者のリハビリテーション事業における新局面

身体障害者・社会的障害者のリハビリテーション事業における新局面

New Dimensions in Rehabilitation Services for The Physically and Socially Handicapped

Ann Campbell

著者について…

 Mrs. Campbellはコロンビア大学(政治科学)およびカリフォルニア大学社会福祉学部で学び修士号を得た。現在彼女はEmanuel Hospital-Oregon Society for Crippled Children and Adults Continuity Care Program(エマニュエル病院とオレゴン肢体不自由児・者協会共同継続ケアプログラム)のプロジェクト部長であるが、この論文もその経験に基づいて書かれた。このプロジェクトは4 年目を迎えたが、ポートランド州エマニュエル病院を中心にして行なわれている。

社会の評価体系と障害者の関係

 社会事業、リハビリテーション事業の目標は、障害によってもたらされたハンディキャップを最小限にすることである。この目標を達成できるか否かは総合的社会資源の配列方法にかかっている。これは社会が何を優先的に考えるかによって決定される。資源の配列方法を失敗することは、社会が障害者をつくり出しているのだといっても過言ではないであろう。これによってその社会の持つ価値体系がはっきりわかるのである。

 古代ギリシャでは障害児が生まれるとすぐに遺棄し、エスキモー遊牧民族は老いた障害者を置き去りにし、西欧社会においては障害者を施設に入れることにより一般社会から隔離してしまう。このような障害者の扱い方をみれば、その社会の価値体系がはっきりわかるのである。工業化された西欧社会のドイツナチズムは障害者の場所を排斥するという価値体系を持っていた。

 これらと反対の価値基準を持つ社会では、数多くの障害者を援助するに必要な資源を整えるために大きな努力を払っている。障害者の持つハンディキャップを最小限にするために、援助を必要とするすべてのひとびとを見い出し、手を差し伸べようとする運動が行なわれている。

民主的価値体系に必要な理念

 こんにち伸びつづけている民主主義宣言もまだじゅうぶんに効力を発揮しているとはいえないであろう。

 E. B. Whittenはこの見解を要約して次のように述べている。「社会的不利な立場におかれているひとびとに、生活し生産するという平等の機会を確保することを、その社会の義務と考えるならば、このようなひとびとが必要とするすべてのサービスを用意しなければならないであろう」

 従来のサービス体系において、ほとんどのひとびとはニードをある程度満たせるわけであるが、そのニードが非常に複雑な場合、従来のヘルスサービス、教育制度、家庭の経済体系の域を越えてしまうであろう。また雇用、住宅、交通機関、レクリエーション、その他の社会生活などにおいても、自分たちが隔離されていることをまざまざと感じさせるシステムもあるであろう。これらのシステムは正常という範ちゅうに置かれているひとびとを対象としているのである。障害者を援助するために総合的アプローチが必要とされている。障害を持つひとびとがこれらのシステムの中に自分を適応させるのは容易なことではない。Whittenはリハビリテーションの概念を強調し、リハビリテーションはそれ自体で大きなサービス体系であり、ほかの体系に従属するサービスではないと説いている。

 社会福祉分野におけるこのような概念的基礎工作がWilenskyとLebeaux,またのちにはGrosserによってなされた。彼らは社会福祉における二つの対立する基礎理論を定義した。それは剰余理論(the residual theory)と制度理論(the institutional theory)である。

 剰余理論とは家族の一般的構造や経済体系がくずれたときに社会福祉体系が必要となるのであると考える。この見解によると、社会福祉とは一般体系の恩恵をこうむることのできないひとびとを援助する諸活動である。この理論を支持する人は、サービスの受益者を一般社会から離れ一般の人とはちがう人であると考える傾向がある。この理論はフロンティア民俗学に基づくアメリカ神話においてもまだゆらめいている。

 第2の見解、制度理論によると、社会福祉とは一般体系で間に合わないために必要とされるようなものではない。全くその反対であり、工業化された近代社会において非常に重要な機能である。工業化された社会においては個人や社会で解決できない困難なことがいっぱいあるのである。これらの問題のなかには、疾病、障害、老齢などによって窮地におちいる賃金問題も含まれている。農業を基盤とした従来の小さな地域社会にはあった家族や地域社会の援助が、今の社会においてはなくなってしまったために、数多くの問題が生まれてきている。このように制度理論における社会福祉は、近代的工業社会におけるすべての個人、団体の社会的水準を高めることを意図している。この見解からもわかるように、社会福祉の受益者はそれを汚名、異常なこと、特別なことと思う必要はない。

 剰余理論においては、社会福祉およびその一部門としてのリハビリテーションは、社会主流の外におかれている。社会福祉の制度理論およびリハビリテーション体系理論は社会におけるその他の理論と同等に位置されるものである。それらは社会の剰余物として扱われるのではない。ゆえにあまった資源を恵むといったものではないのである。

 われわれの社会を永続させるには、社会福祉制度をその他の制度と同等に扱わなければならないであろう。これこそ社会における指導的立場にたつ制度であり、社会の資源を最大限に配分する必要があろう。

機能的でない社会福祉事業制度

 われわれがすでに持てるもの、われわれが必要とするものをしっかり見つめることよりも、現行諸機関、現行事業をよりよく構成することにより現存の社会資源を最大限に生かすことをまず第一に考えるべきである。

 よりよい連絡調整・計画によって構造を改善する方法についてすでにたくさん書かれている。しかし実際にはほとんど何もなされていないといってよいくらいである。

 この分野に実際たずさわっている人は、この分野にもある言語上の問題をまず解決しなければならない。これは非常に重要な問題である。原始人は予測しがたいほどの恐ろしい自然に直面すると、魔法の言葉を使いそれを克服する前に絶望感をとり除いたものであった。われわれも障害者の持つ多くの問題に直面すると、ことばの魔術に逃げ場を求める傾向があるようである。

照会referralサービスの不足

 われわれの思いのままになる資源は限られており、照会という方法によってはじめて総合的なサービスになるのである。照会によって、個々の問題に関連する種々の制度から必要資源をひき出し活用するのである。

 機関で一連の照会制度を設置し必要な資源に対する総合的アプローチを試みているようである。しかし不幸なことにこれはじゅうぶん成功しているとはいえない。照会という制度を経るために1歩1歩一つ一つの関門を通らなければならないクライエントの姿を想像してごらんなさい。

 何回も何回も照会を行なっていると、かえって複雑になり問題を混乱させてしまう傾向もある。クライエントが必要とするときにその資源が手にはいらない場合も多い。複雑な問題をかかえているひとびとの場合この現象は大きな問題である。

 最近のモデル都市報告書Model Cities reportでは、文化的に不利な立場にあるひとびとに対するソーシャル・サービスの効果を論じている。「多くの問題をかかえている家族のニードを満たすために意図された公・私サービスの複雑な配列が体系化され、広い範囲に普及するようになった。従来は、家族や個人を全体像として扱おうとする態度に欠けていたようである。その結果、家族・個人は混乱におちいり、機関が彼らのニードに対して手を伸ばしてくれるのではなく、彼ら自身が機関に近づき手さぐりでサービスを求めなければならない状態にある。」

 Michael Marchは現行制度の非機能的性格を次のように要約している。

 「サービスはそれを必要とするひとびとがすぐに手を届かせる範囲内にあるのでなく、ずっと遠くの“下町”にあり、そこに行くまでが一苦労である。機関から機関へと照会され、何度も何度も面接を受け、そしてそのたびに評価が異なるのである。機関はその近隣に住むひとびとのニードにあったものではなく、彼らを疎外し言いのがれをいう機関を信用できなくなってしまう。このような分割化、複雑性、連絡調整不足などが大きなギャップを生み、サービスの効果を下げている。」

 Simon Olshanskyは照会について次のように付け加えている。

 「照会プロセスは絶望の状態に置かれている人間に対してひきにげする車のようなものになりがちであり、ひいては彼らの自尊心を傷つけフラストレーションを増すばかりであろう。」

コミュニティー・ケア・プロジェクト

 オレゴン州のイースターシール肢体不自由児・者協会では、このようなソーシャル・サービス体系の批判を絶えず検討してきた。特に重度身体障害者に関連して、非効果的な照会制度、コミュニティー・ケアの不足、系統的社会計画の不足などが批判の対象となっている。

 同協会は重度障害者が必要とする数多くのサービスを行なってきた。これらの事業としては、設備のよい大プールの貸出、理学療法サービス、レクリエーション・サービス、特殊学校の設置、情報サービスなどがある。

 障害者のニードを満たすため種々の事業を経験してみた結果、オレゴン州イースターシール肢体不自由児協会は諸機関の間における連絡調整・計画の欠陥に注目しはじめた。この連絡調整・計画は、クライエントの障害がはじまった時点が特に重要なのであり、協会は総合的アプローチの必要性を痛感した。

 障害がはじまった時点においてそのクライエントの総合的生活設計を考えてくれるような機関が一つもないことがわかった。この総合的生活設計がもっとも必要なときは、クライエントがはじめて病院を退院するときであろう。この段階で一つか二つの問題分野に対してなんらかの援助が与えられることもあったであろう。しかしそれが総合的であったり、定期的にフォロー・アップされたものであることはまれである。

 この状況に対処するために機関の資源を有効に使うにはどうしたら一番いいかを研究した結果、パイロット・プロジェクトが企画された。このプロジェクトは探究的な試みであり、障害がはじまったばかりで困難な状態におかれている重度障害者のケースを見い出すよう試みた。はじめて病院を退院し家庭に復帰する段階にサービスがゆき届くよう意図するのである。プロジェクト担当職員は個々の問題を総合的にアプローチし、コミュニティー資源を効果的に活用し、継続的なフォロー・アップをするのである。

 オレゴン州イースターシール協会はオレゴン州においてもっとも大規模のリハビリテーション・プログラムを行なっている病院にアプローチした。これはポートランドのEmanuel病院であった。病院に長期にわたり入院し多大な費用をついやしたにもかかわらず、病院プログラムがうまく計画されていないために、成果があげられていないことを発見した。患者、医師、リハビリテーション・ナース、理学・作業療法士などによる何か月にもわたる努力のたまものが、数週間貧しい家庭に帰っていただけでムダになってしまったケースもあった。リハビリテーション部門の監督者およびメディカル・アドバイザーはイースターシール協会とEmanuel病院が共同コミュニティー・ケア・プロジェクトを行なうよう奨励した。

 イースターシール協会は、常勤医療ソーシャルワーカーを就任させた。彼女はまず、はじめて危機の状態に置かれた患者および家族についてじゅうぶんな知識を持ち、病院を基盤として働く。毎週開かれるリハビリテーション職員のチーム・ミーティングに参加したり、患者や家族を訪問し、患者の担当職員たちと話し合い医療・身体状況をじゅうぶんに理解するのである。そして患者の生活設計に際しては、その社会的側面に関して意見を述べるのである。医療ソーシャルワーカーは個々の患者のニードに合うようコミュニティー資源を最大限に活用することをその任務とする。これは広範囲にわたった資源を最大限に活用することであり、ただ単にサービス源を照会することではない。これが成功するか否かは次の4項目にかかっているであろう。1).総合的計画,2).照会機関の計画的・継続的利用,3).諸機関における連絡調整,4).充実したフォロー・アップ。ソーシャルワーカーは病院と家庭とのギャップ、危機状態と長期の治療・回復期間とのギャップをうめる責任を持つ。

 このようにして、イースターシール協会はソーシャル・サービス制度の中でより重要な役割を果たすようになり、病院は患者の健康のみでなく患者の全体的問題を扱うヘルスセンター的な役割も果たすようになった。このプロジェクトは、病院がコミュニティー諸機関とより密接に結びつくことを要求している。このように病院は治療だけを行なうのではなく予防的役割も果たし、イースターシール協会と同じように社会諸機関のネットワークの一部分となるにいたったのである。

 障害者となったばかりのひとびとにサービスを行なう社会機関の代表が病院を訪問し、病院リハビリテーション・チームとの会合がしばしば持たれた。あるケースでは、四肢マヒ患者が退院するにあたり7つの機関から11名の代表者が集合した。そしてみな医療、教育、理学療法の問題を詳細にわたって学んだ。お互いどうしを知り合うとともに、全体計画におけるそれぞれの責任を確認したわけである。この会合に出て刺激を受けた大学の学部長は、大学構内の要所にスロープを設置すると約束した。

 この種の会合に出席した代表は、自分たちの資源をこのように共同事業として使えば、最大限に活用できることを知り、資源利用の拡大化を約束することもしばしばある。

総合的計画

 イースターシールとEmanuel病院共同コミュニティー・ケア・プロジェクトの最低目標は、病院内で得られた身体上の成果を維持することである。プロジェクトの最高目標は総合的ケアの確保である。

 退院後の段階に力が集中される。この段階におけるケアを達成するための骨組を設定すること、またはそのために何を結合させたらよいかに力が入れられる。次に重要なことは、家族の協力態勢を確立したり、患者自身から協力を得られるかどうかということである。それから医療、費用、その手続きなどが行なわれる。次に経済上の問題が扱われる。すべての患者はその障害にかかわらず、経済援助を受けるに適当か否かの選択を受ける。設備に関するニードも考慮される。“Hoyer lift"は患者を家に帰すかナーシング・ホームに入所させるかの決定要素となる。次に教育計画、職業計画、家庭看護の指導、などの問題が出てくる。社会生活、家庭生活、レクリエーション、教養文化活動、交通機関の問題なども出てくる。個人的な問題もたくさんあるのである。

効果的な連絡調整

 このプロジェクトにおける新しい要素は、総合的サービスの連絡調整に強調が置かれていることである。プロジェクトを実際に行なった結果、このサービスの総合性を達成するために数多くの主要な手がかりを発見した。

1.情報を体系的に収集しなければならない。これは患者およびその家族に関する情報であり、それによって彼らがどの程度協力できるかわかるのである。危機の状態にあらわれた種々の現象から方針を決定してはならない。医療に従事している人はその医療分野における情報を体系的に収集することに慣れている。社会研究や社会事業関係の計画も同様であり、他の分野と協力し合い、系統的に扱わなければならない。

2.患者、家族、職員が協力し合い、無理のない計画をたてる。

3.計画を実施するにあたり、患者が入院している期間内に、できるだけ早くコミュニティー諸機関へ照会すべきである。照会とはワンステップのものではない。照会とはステップがいくつもあるプロセスと考えるべきである。まず最初に患者を動機づけなければならない。患者が照会された機関も動機づけなければならない。機関の動機づけは患者の動機づけより早くできるものである。照会を開始し発展させ、そしてフォロー・アップしなければならない。プロジェクト・ソーシャルワーカーは照会された機関のワーカーと協力し、照会を実際に行なえるまで患者とともに興味、責任を分かち合うよう努める。

4.よくあるケースであるが、患者のプランに参画する機関が複数である場合、それぞれの機関の機能を他の機関との関係において定義しなければならない。病院のリハビリテーション・チームと地域社会機関との間に継続性がなければならない。これを実行するには、病院で共同ミーティングを開き一つの機関または一人の代表者が連絡調整を担当する。この役をひき受ける適当な人がいないときは、プロジェクト・ワーカーがこの役をつとめる。

5.フォロー・アップも必要不可欠のものである。ほんのささいなファクターが、全体の流れを妨害することもよくある。この場合、プロジェクト・ワーカーがこのような妨害を起こさないよう注意し、妨害が起きてしまった場合、それを解消するために相当の努力を払わなければならない。

6.医療や社会的側面に大きな変化が起きた場合、関係あるすべての機関に連絡し計画を修正しなければならない。プロジェクトを実際に経験してみてわかったことであるが、数多くの機関が参画している場合、計画の段階において継続的にステップをふめるよう時間をじゅうぶん確保すべきである。複雑なプランの場合、失敗したり改正しなければならないことがいっぱいある。従来の機関のサービスでは間に合わないケースがいっぱいあった。ユニークなケースの場合はなおさらである。このような資源を開発するために、これからするべきことがたくさんある。

7.照会とはソーシャル・サービスへの照会ばかりでなく、人生を豊かにし視野を広める広範囲の教育文化サービスへの照会も含まれている。身体障害を持ったために自分の中にとじこもり、視野をどんどん狭くしている障害者が多いので、このサービスも重要である。

8.従来と全くちがったアプローチも必要となろう。規則など考慮に入れず個々の状況に合うアプローチをすべきである。疾病、事故などにより障害者となったひとびとで経済的・文化的に不利な立場におかれている者に対して新たなサービスを研究する必要がある。

9.身体的・社会的障害を持つひとびとにとっては、従来の非個人的アプローチよりもっと個人的関係が必要とされている。

J君のケース

 J君の場合、このプロジェクトによって地域社会機関のネットワークを結びつけ、それらの機能を最大限に生かしたのである。

 J君は恥ずかしがりやで性格の明るい17歳の少年であった。家庭は移住農民で両親と6人の子供がいた。J君は事故の結果四肢マヒ者になった。

 3か月のリハビリテーション・プログラムを終え、J君は病院を退院した。両下肢は完全マヒ、両上肢は不完全マヒであった。自分自身で自分の健康に関する注意事項を良く守り、家族、住宅、学校、近隣社会の状況が良好であるなら、ハンドリムに推進ノブが付いた車イスを使えば、一日中なんでも自由にできたのである。練習を重ねた結果、タイプライターに特殊な道具を使えば、ゆっくりとしかも正確にタイプを打てるようになった。尿路感染、皮膚損傷、筋拘縮などを防ぐための訓練を母親とともに受けた。

 J君の家族はしょっちゅう旅をしているため、J君は学校を何回も転校し、その間長期にわたり学業を受けていないことがあることを、彼の入院期間中に知った。そのうえ、彼の家族の生活様式が影響し、せっかく学校に通い勉学を行なってもそれをじゅうぶんに生かすことができなかったようである。彼のリハビリテーション・プログラムもかなり盛りだくさんで忙しかったが、入院期間中巡回教師が来てくれた。この教師は有能であり、J君の学力を高めたばかりでなく、ソーシャルワーカーと協力し合い、彼が新しい趣味や興味、そして職業に意欲をもつよう動機づけた。

 医療ソーシャルワーカーがJ君の家庭を訪問し、8人の家族は農村地域の粗末な借家に住んでいることを知った。その小さな借家はどろ沼にかこまれていた。トイレも水飲み場も外にあった。家のなかには家具は一つもなく、またこの家族は住居が定まらないために福祉措置も受けられなかった。彼の父親は小学校3年で中退し、その後事故のためにトラック運転手をやめざるをえなくなり、移住民グループの流れに合流したのであった。

 J君の家族のようすを知るために、病院の食堂で昼食をともにしたり、体育館または作業療法室でJ君の進歩をいっしょに観察したがJ君の家族は人間的つながりがとても強いことを知った。母親は献身的で信頼できる人であり、家庭看護の経験もある。父親は家族に対して誠実な人である。母親も父親もこの事故に大きなショックを受けていた。10代の兄弟も学校をすでに中退していたが、とても器用で思慮深く、障害を受けた兄に対しても献身的である。

 患者が何に興味を持つかがむずかしい問題である。一つの機関が従来の方法で照会をしているかぎり、関連する多くの局面を打開していくことは不可能であろう。

 患者の入院期間内でできるだけ早い時期に会合が開かれ、このケースを解決するにあたり一役をになってほしいと思われるすべての機関に参加してもらった。

 その参加者は病院チームのメンバー、J君の家族が住んでいた地域の公衆衛生福祉部の代表者、州当局肢体不自由児課、地方学校、地区学校特殊サービス部、州教育局肢体不自由課などであった。そのほか、Economic Opportunity program, VISTA(ボランティア組織)プログラム、イースターシール協会の代表者が出席した。(その後、計画の段階で救世軍および職業リハビリテーション課、シェルタード・ワークショップの出席も要請された。)

 この移住家族が定着するよう援助する共通の第1目標に、すべての機関が力をそそぐよう指導した。これが達成されなければ、いくらほかの点に力を入れてもムダになってしまうであろう。この主要目標から個々の目標、すなわち、住宅、所得、教育、人材、保健などが設定された。機関の代表者が病院職員や医療職員と直接コンタクトをとることは新しい試みである。このような会合を持つことにより、医療問題や福祉問題をより深く理解できるようになる。病院が主導権を握るようすは一つもなかった。

 フォロー・アップにも力が入れられた。VISTAのメンバーはJ君の家族に福祉措置が行きわたるよう力を貸した。この作業にはずいぶん時間をかけた。次に父親が有給人材訓練プログラムに参加するよう援助した。母親もEconomic Opportunityの成人教育プログラムに参加し、高等学校修業認定書を取得するよう努めた。

 10代の兄弟たちはNeighborhood Youth Corpsプログラムに参加し、その後、学校にまた戻れるよう取り計られた。家具も救世軍によって確保・設備された。J君にとって必要な車イス、および理学療法士の訪問サービスなどがイースターシール協会によって交付された。肢体不自由児課が入院・医療費をカバーした。普通学校へ通えるよう特別な計らいがとられたが、それは結局実現しなかった。あまり厳しくない教科プログラムが組まれ、家庭教師も配慮され、タイプライターも用意された。学校に対する情緒問題も解決された。地域社会の一団体が発行しているニュースをタイプするという夏期仕事が与えられた。公衆衛生看護婦が予防保健サービスを担当した。医学的ケアも継続して実施できた。患者はAid to Disabled(障害者援助)プログラムから年金の交付を受けた。そして彼は家族のなかでは一番はじめに高等学校を終了できたのである。彼は現在大学に通い、健康状態も良好である。

 このようなケースが成功したのは、患者や家族のなかに強い力があったためだけであるとは信じがたい。社会的な障害を持つ人、およびその家族がストレスの限界に達しているとき、大きなハンディキャップのストレスにたちうちできないものである。プロセスとして照会、よりよい連絡調整、諸機関の協力、リーダーシップなどがなかったなら、このような計画を達成することができたであろうか。

システムの体系化

 収入維持、雇用、保健サービス、教育、住宅など生活に関する種々のサービス・システムは、それぞれが他のシステムと関連し共通部分を持つものである。

 しかし、もう一つ違った定義をすることもできる。それは機能上の定義である。そのうちでももっとも簡単な定義は、システムとは物事を秩序正しく処理するものである、ということになる。ここに二つの重要な考え方があることに注意してほしい。その一つの考え方は“orderly"秩序正しく)ということばに集約されている。第2番目の考え方は“getting things done”(物事を処理する)ということばである。このどちらのことばでも、片方だけでは機能上のシステムを意味するのにじゅうぶんではない。秩序正しくても物事が処理されなければ意味はないし、物事を処理しても秩序が乱れていては無意味である。システムを機能的なものとするには、この両方の理念を包括しなければならない。

 この定義によると、お互いに関連し合っている社会福祉とリハビリテーションは、機能的システムとして性格づけるのは不可能であると、認めざるをえないであろう。このように記述的システムを機能的システムに変えるには多大の努力が必要とされよう。

 こんにち、リハビリテーションおよび関係分野における諸要素が、多様・複雑になっているので、われわれの活動も非機能的になりつつある。もちろんある程度の秩序はクライエントの立場にたって“物事を処理”しているだろうか。残念なことに、多くのクライエントは「ノー」と答えるであろう。

現行法制および政策における総合性・調整の概念

 こんにち、現在の事業は総合的に連絡調整がとれよく計画されたものにしなければならないという声をよくきく。問題に対して総合的にアプローチしなければならない。学者がするように大量の書物を分類し、コピーしたりする作業をする必要はない。われわれは混乱状態にある社会福祉システムから秩序をつくり出さなければならないのである。

 それでは、総合性、連絡調整、計画の概念を簡単に検討してみよう。われわれは人間に対するサービスを抜本的に改善しようとするなら、これらの概念をもっと効果的に使わなければならない。

 概念は道具にたとえて説明できる。道具とは何かをつくるときに使われるものである。ノコギリやハンマーをじょうずに使えるか否かはわれわれの技術的能力にかかっている。知識と練習によってのみその技術的能力が身につく。

 こんにち、人間に対するサービスにおける総合性の概念を使用するにあたり、よい例はなんであろうか。

 その一例は公衆衛生法、1966年のPriority Statement of the Partnership for Health Programにあらわされている。それによると、公衆衛生はもはや疾病やその対策に追われるのでなく、個人個人のニードに基づき、高度の保健サービスを総合的・継続的に行なわなければならない、とのべている。総合的コミュニティーサービス・プログラムを企画・実施するにあたり、連邦政府が州当局に援助を与えている。

 地域社会保健サービス委員会は総合的保健サービスを次のように定義している。

 「健康の増進、従来からある予防方法の適用、早期発見、迅速・効果的な治療、障害に対する身体的・社会的・職業リハビリテーションを目的とする。これには地域社会におけるすべてのグループを効果的に使わなければならない。」

 1964年のEconomic Opportunity Actおよびその改正法は総合性をめざした試みの一例である。この法令の前文のなかにその目的として、「貧困を克服するために国家の人材源と財源を活用する」とかかれている。このように社会福祉と経済を結びつけ、個人の自活を達成するのである。

 1964年のUrban Renewal Amendments(都市改造改正法)によっても明らかなように、貧困地域にあったひどい住居を新しく建て直したことにより、生活状況が非常に改善された。この改正法により身体に関する計画に社会計画の局面も加えられ、はじめての試みとして住宅の面にも総合的アプローチがとられたのである。

 1966年のModel Cities Legislation(モデル都市法)は人間の諸問題を解決するために総合原理をとり入れ、特定地域における社会・経済・身体的諸問題に対し総合的対策を行なった。Economic Opportunity Actの社会・経済的アプローチとUrban Renewalの物理的アプローチが合流することにより、より総合的方法がとれるのである。モデル都市の目標を達成するには、調和のとれたマスタープランを必要とし、多くの問題をかかえている地域の生活状況を改良しなければならない。消費者もこれに参画することがこの計画の主要要素となる。

 多目的サービス・センターmultiservice centerは、社会福祉および関係分野の調整と同じように、総合性の概念を応用しようとしている。

 多目的サービス・センターはまだまだ改良すべき点がたくさんある。その問題の一つは、住宅、保健サービス、リハビリテーション、収入維持などのシステムを全体的に取り扱えないことである。もう一つの問題としては、この種のシステムはこのサービス・センターに来る前に照会された組織に対して、なんら影響を持たず、また連絡調整もとりにくい。主要な諸機関に基本的資源が不足していたり、中央機関における財政不足などがよくある。諸機関が行なった機能の再評価をしなかったり、地域社会のニードに関連して機能の再構成が実行されていないことがよくある。これらの短所を持っているにもかかわらず、この多目的センターの概念が導入されたことは画期的な事業である。

 Concentrated Employment(雇用促進)プログラムのように人材に関係するプログラムは、総合的サービスを調整する努力として重要な一例である。この目標はいわゆる底辺にある失業者の職業訓練と就業達成である。このサービスを受けた人は、総合的保健サービス、すなわち眼鏡給付、歯科治療、法律上の措置、児童介護サービス、交通機関サービス、家庭教師などの基本的教育サービス、カウンセリングなども付随サービスとして受けられる。

 職業リハビリテーション課もこの総合性をめざすにあたり重要な部門である。

必要とされる新技術

 簡単な問題にも、広範囲にわたったアプローチが必要とされる。またそれぞれのシステムが独立していなければならないこともわかった。総合性、企画、連絡調整などを行なうアプローチをする場合、絶えず特殊な技術が要請されてくる。もしわれわれが数百万人いる障害者の諸問題を解決しようとするなら、この新しい技術を修得しなければならないであろう。

 総合性とは継続的・同時的なアプローチを行なうことであるなら、連絡調整とは諸要素の調和がとれ、相互に関係あるように適切に配置することを目標とするのである。

 連絡調整を成功させるに必要な要素をじゅうぶんに理解していないために連絡調整が成功しないことがよくある。たとえば、同じ価値体系を持つ個人や機関と協力するよう努めなければならないのである。連絡調整を成功させるには、これらの価値を動かす強い意志を持たなければならない。これにたずさわるすべてのひとびとの間に積極的な相互関係が必要とされる。そして関係者はどのプロセスが適切であるかに関し、共通の見解を持たなければならない。コミュニケーションもスムーズに行なわれなければならないし、正しい方法をとるようよく認識しなければいけない。われわれが行なっている連絡調整をたえず再検討する必要がある。連絡調整の原理より、総合性の原理のほうがより早く活用されているようである。

 企画と連絡調整はどのようにちがうのであろうか。企画とは連絡調整より先に行なわれるのである。企画のなかには問題の定義および個々の目標なども含まれる。そして目標に向かって継続的なステップをふまなければならない。特定の目標を設定し、その目標月日も決め、それに基づいて諸活動を行なう。そしてその進行状況を評価しなければならない。

 こんにち、種々の専門的事業が行なわれるようになったが、数多くの障害者に真の援助の手をさしのべようとするなら、総合性、連絡調整、継続性、よい企画を行なうよう力を入れなければならない。

身体障害者と社会的障害者

 リハビリテーション分野の体系化に関しこれらの概念を適用するとき、リハビリテーション分野が体系化されたのはつい最近であるので、いろいろな問題に直面せざるをえない。

 近代において「リハビリテーション」という名称は、中世で使われたと同じ意味の矯正という意味で使われた。次の段階では身体障害者の身体的回復の意味に使われた。そして最近では一目見たところではわからないような障害者、すなわち脳損傷者、情緒障害者、精神薄弱者、慢性病患者などにも適用されるようになった。そしてもっとも最新のグループは、貧困によって苦境におとされているひとびと、いわゆる「貧困者」「文化的障害者」そして1968年の職業リハビリテーション改正法では「被差別者 the disadvantaged」と呼んでいるひとびとも含まれている。

 この改正法には身体・精神障害者のほかに次のようなグループが含まれている。すなわち、

「若齢、老齢、教育不足、倫理・文化的要素、犯罪、不良行為または就職するにあたり障害となるようなその他の条件によって被差別者となった個人」

である。

 Michael Harringtonは「被差別者」という範ちゅうの中に次のようなひとびとを含めている。技術を持たない人、少数民族、農村の貧困者、アルコール中毒者、ヒッピーや移住民のように一時的に貧困者となるひとびと。

 Louis Levineは「社会的障害者」を次のように定義している。

「『社会的障害者』とは貧困、教育不足、失業者などアメリカの生活の主流にとけこむことのできないひとびとを意味する。このハンディキャップは国家にとっては人材源の喪失を意味し、個人にとっては自由の喪失、制約、非人間性、非道徳性を意味するであろう。この社会的障害者はその結果として低く社会に位置づけられ、それに対しなんら抵抗することもできず、屈辱の生活を余儀なく強いられてしまうのである。」

 従来のシステムに加え、じゅうぶんな財政に裏づけされた援護施策が必要とされている。

社会的ハンディキャップと身体的ハンディキャップの共存

 いままで述べてきた原理は、重度身体障害者のリハビリテーションに適応できるばかりでなく、身体的および社会的ハンディキャップの両方を合わせ持っているひとびとにも適応できるのである。このような状況におかれているひとびとに対し、真の援助の手をさしのべるには、クライエントひとりひとりの状況とそれを取りまくひとびとの協力態勢を体系的によく理解しておかなければならない。総合的企画を行なうには、クライエントの状況、家族のようすなどを考慮に入れる。クライエントはじゅうぶんに動機づけられていなければならないし、協力する諸機関に関しても同じである。プランは個人個人に合ったペースで進めなければならない。サービスの全期間にわたって、クライエントを援助し、連絡調整やまとめる役にあたる専門職員が必要である。

 J君のケースは、多くの社会的ハンディキャップのうえに、重度身体障害が課せられた場合に必要とされる連絡調整や総合的サービスを示している。その連絡調整や援護の手が長期にわたって行なわれなければならないことも示唆されている。J君には適当な収入、定まった住居、よい健康状態、力となるような親戚・友人など、どれを考えても何一つそろっていず、社会に出て働くすべとなるようなものも何一つ持っていなかった。社会資源がこのようにうまく組織化されていなかった場合でも、彼は同じように成功したであろうか。身体的障害が起きたその時点から、しかも病院においてサービスが始められたことがこの重要要素であり、また病院がリーダーシップをとってくれたことも成功の一因であった。

 J君と同じような身体障害を持ち、かつ数多くの社会的欠陥を持っている場合、そのクライエントは健康状態においてソーシャル・サービス・システムをどのように活用したであろうか。J君と同じように成功するであろうか。答えは残念ながら「ノー」である。コミュニティー・ケア・プロジェクトの監督者のような専門職員は実際にいるが、しかし身体的・社会的障害を合わせ持ったひとびとに対するアプローチ、連絡調整、計画などにおける総合性はまだじゅうぶんとはいえないであろう。

 

 社会がこれから踏まなければならないステップは、このようなひとびとを位置づけし、サービスを行なうに必要な広範囲にわたったプログラムを拡充することであろう。クライエントのニード全体を把握し、過去行なわれてきた分散したアプローチとは対照的に、全体としてそのニードに取り組んでゆく新しい方法や構造をつくり出さなければならないであろう。

 われわれがすでに説明した価値体系と関連する新しい構造、方法、資源、技術などを用意し、継続的ケアと総合的企画の概念を実施できるなら、新しい生活を設計しようとしている重度障害者に対して、われわれは次のように確信を持って述べるであろう。

「わたくしはあなたの長い旅路の最初の1マイルをともにするだけではなく、全行程をあなたとともにまいります。あなたが前進するためにはいつでもあなたのそばで援助の手を差しのべましょう」と。

(古山英子訳)

参考文献 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1971年1月(第1号)4頁~14頁

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