随想 リハビリテーション・ホーム

随想

リハビリテーション・ホーム

―生きがいを与えてくれる場―

Rehabilitation Homes―Opportunities of Personal Satisfaction

Betty Ruth Pumphrey

 アルバートンにあるGood Shepherd Home(よき羊飼いの家)が私の第2の故郷ともいうべき家です。中年の女性ともいうべき私は、1963年以来、この身体障害者および老人のためのすばらしい家で暮らしています。ここでは、私は挑戦に満ちた生活を送っています。

 私の知っているかぎりでは、この種のホームは米国でただ一つしかなく、このホームにはいりたくて、空きができるのを待っている人がたくさんいると聞いてます。この広い国のなかにこのようなホームをもっとたくさん建ててほしいと思います。その理由をこれから簡単に述べさせてもらいます。

 私の障害は脳性マヒですが、それはここでは少しも苦になりません。まず第一に、ここでは電動車イスを使い、ホールも広く、エレベーターは自動であるなどとても便利なので私たちの生活は制約されず、それだけ独立しているのです。だから私たちは自分の持つ潜在能力や人格を伸ばせるのです。

 このホームの魅力は、ここにいるすべての人が活動的であるということです。ある人はこのホームに秘書として、電話交換手として、受付係として、相談員・職業カウンセラーとして雇用されています。裁縫婦長もいれば、衣服・寄贈品担当者もいるのです。私はGood Shepherd Rehabilitation Centerの医学図書館で働いており、いろいろなひとと接触したり、職務そのものを通してたくさんのことを学んでいます。

 この図書館はときとして教室になったり、職員会議に使われることもあります。ここで行なわれる講義の一つに看護学生のクラスがあります。私はよく講義に耳を傾け、その結果、いろいろなことを学び、自分の健康状態をよりよくする方法も知ることができます。

 ときどき私は、理学療法、作業療法の学生さんたちに私の障害の状態を説明してくれと頼まれます。そしてバランスや協応を保持するための治療プログラムを話したりします。このようなコミュニケーションを持つことにより、自分がリハビリテーション・チームの一員であると感じられ、とてもうれしいのです。同時に学生にとっても生の見解を聞けるという利点があるのです。

 私が満足しているもう一つの点は、筋コントロールができることです。車イスの足台をうしろに倒して車イスをできるだけ書棚に近づけブレーキをかけます。そうすれば、狭い所や高い棚に雑誌などを配列でき、また私の機能訓練にも役だつわけです。

 リハビリテーションやリハビリテーションのプロセスに、自己を全体的人間として受け入れなければならない時期があります。これは日常動作訓練よりもむずかしいものです。自己を尊重する気持をもち、市民としての自覚や責任感をもち、思慮深くそして人のために役だつようにならなければいけません。リハビリテーションの一つとして、われわれは自分の体力や能力の限界を知らなければなりません。自分でできることは自分でし、自分の体力以上のものをするときにはじょうずに人の助けを借りるよう、プライドを持って行なうべきです。医療分野のかたがたがその対象である人間をまず第一に考え、その次にリハビリテーションを考えてくれるならば、もっと理解が深くなるのではないでしょうか。

 リハビリテーションの目標をよく知っていれば効果ももっとあがるのではないでしょうか。これを理解するには、ただことばだけで説明してもらうのではなく、示範をしてくれたほうがわかりやすい。このホームを訪問すると、いつでもリハビリテーション・センターやその他の建物も見学でき、そこでの生活、学習、訓練を知ることができます。しかし毎年一日特別に設定されているその日は、創立記念日曜日で、一般のひとびとに新しい設備や最近行なわれていることを見てもらいます。

 このホームに住んでいるひとびとの多くはこの日をきらいます。ただ面倒なだけで何の意義もないと考えるひともいます。自分たちはオリにいれられた動物のようにじろじろ見られているように感じるひともいます。ここに住んでいるひとは同情の目をそそがれるのがいやなのです。しかし私はこのように消極的な考えかたをしません。ここで行なわれていること、達成されていることを一般のひとびとに知ってもらういい方法ではないかと思うのです。同情されるという件についてですが、数年前にこのホームで同情の目をそそがれたことがありました。そのとき私は電動車イスに乗り医学図書館にいました。そこで訪問者たちにあいさつし、図書館やそこでの私の仕事について説明することになっていたのです。一組のご夫婦がはいって来ました。そのときご主人のかたが、「肢体不自由者になるということは恐ろしいものだね」とおっしゃいました。

 私はいいました。「いいえ、ちっともたいへんではありません。私には仕事があるのです」といいながら机の本を指しました。「私には電動車イスがあります」コントロールノブを操作し、車イスを前後に動かして見せました。「私には家族もいるし友だちもいます」といいました。

 彼の奥さんはすぐ理解し、ご主人にいいました。「そうですよ、彼女には生活も楽しみもたくさんあるのです」

 このとき、私は同情を尊敬にまで変えることができ、とてもうれしかったのです。私はわざとひとに見せようとするのはきらいです。障害者は自分の障害をカバーするためにわざとおおげさな態度をとることがよくあります。自然な態度をとるだけでいいのです。このホームを訪れた見学者の多くは、興味、賞賛、理解し尊敬の気持を表わします。

 われわれはここで、同じような背景、興味、希望をもつ友達とともに責任と楽しみのバランスがとれた生活をしています。お仕事が同じ仲間とはよい友だちになりやすいのです。これは一般社会ではあたりまえのことですが、重度障害をもつひとにとっては、とってもめずらしいことなのです。お部屋のとなりに住んでいるひとや同じ階にし住んでいるひととは、マヒがひどかったり言語障害があるためにあんまり接触がありません。年齢が高い場合は友情をつちかう努力をするひともいます。私は仲のよい4人グループに属し、そのうち2人はポリオ、あとの2人は脳性マヒで、障害も似ており、同じ宿舎に住み、リハビリテーション・センターでの訓練も共通なのです。

 仕事の上でもわれわれは助け合います。裁縫婦長は5才のときポリオにかかり、その後裁縫の訓練を受けデパートで寸法直しを担当していました。彼女はここではわれわれの衣服に関する問題を扱い、着脱しやすいよう改良してくれます。たくさんの衣服、ゲーム用具、本などが寄贈されますので、それらを置いておく場所にこまるほどです。本の場合は私が図書館に運び一時預かることもあります。

 私の仲間には大学のコースで書写を習ったひともいるので、私の図書館報告書や紀行分を校正してもらったりします。もう1人の友だちは言語療法を手伝ってくれます。彼女は50代後半ですが、われわれのよきアドバイザーです。

 くだものなどが自動車で届けられるときには、2人が電動車イスに乗り、1人がイスをおして来て、紙袋のなかに好きなくだものを入れ、自分たちの階に持っていきます。

 このホームで私たちはたくさんのことを発見しました。ホームが拡張したために中年に達した女性8名は身障者女子棟から老人棟に移りました。身障者女子棟での生活も快適でしたが、老人棟に移るのも苦ではありませんでした。一般のひとは老人のなかで暮らすのは楽しくないだろうと思われるかもしれませんが、とてもいいグループができれば楽しいものです。

 Good Shepherd Homeで経験したもう一つのいいことがあります。個人的なことですが、私は自分に自身が持てるようになりました。

 われわれは理論や技術を学ぶことができますが、それを応用することこそがわれわれの人生に生きがいを与えてくれるのです。障害者と障害を持たないひとは、リハビリテーションおよび人間尊厳のためにチームとなって協力できるのです。この理想を達成するためには、おとなの障害者のためのホームをもっとたくさん作ってほしいのです。

<この寄稿文について>

 Miss. PumphreyはGood Shepherd HomeおよびRehabilitation Center for Crippled Children and Old Peopleにおける個人的体験や自分の仕事に対するプライドについて書いている。このホームはどのような信条、民族、経済的状態にかかわらず障害者を収容し、保護とリハビリテーションを与えている。ここのすべての患者は理学・作業療法を受けられる。職業カウンセリングも行なわれる。1958年に設立されたGood Shepherdワークショップは下請契約で仕事をとり障害者の能力を生かす機会を与えている。

(古山英子訳)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1971年1月(第1号)20頁~21頁

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