世界を広げよう

世界を広げよう

―在宅障害者サービスにおける最近の進歩―

Exploring the Widening Circle

Recent Developments in the Rehabilitation of Homebound Persons

Herbert Rusalem,Ed.D.

山下皓三*・武田洋*・細村迪夫共訳

著者について…

 Dr.Rusalemはコロンビア大学教育学部の助教授である。種々の実験的プロジェクトを実施する大学、機関、施設などに協力する専門家でもある同氏は、コロンビア大学医学部、全国血友病財団、Industrial Home for the Blind,Federation of the Handicapped,Federation Employment and Guidance Serviceなどの諸機関のコンサルタントをつとめている。ニューヨーク市長事務所のアドバイザーとしても活躍し、アメリカ心理学会の会員であり、ニューヨーク州の公認ソーシャルワーカーである。
 本稿は1971年2月19~21日に開催された「在宅障害者のリハビリテーションに関する全国大会」において発表されたものである。

 本誌が在宅障害者のリハビリテーションに関する文献の論評を掲載した当時は、これらの人々に対する前途への見通しはあまりにも不確かなものであった。合衆国では、わずかの創造的な在宅障害者へのリハビリテーション活動を除いて、冷淡さと軽視との広大な荒地であったし、何十万という人が、自宅や施設、寄宿舎、病院の中にあって、地域社会でのリハビリテーション活動や職業活動に参加すべく有効な手だてをもって住まいを離れることができず、かれらの生活のほとんどを絶望的な無為と孤立の中においていたのである。1967年には、それ以後において何か変化がみられるであろうことを暗示するような社会的準備はほとんどなく、よりよき日々の到来を示すようなものは何もなかった。

 著者は103編におよぶ出版物の内容にもとづいて、以下の所見を述べたのである。

 1. 合衆国では、適切なリハビリテーション・サービスを受けていない在宅障害者が多い。これはある程度、在宅障害者やかれらの更生能力に関しての認識に、重要な情報の懸隔があるためである。

 2. 在宅障害者の社会心理学側面が、この問題におけるもっとも肝要な、しかももっとも研究されていない側面である。

 3. 在宅という状況は、孤立や軽視がよりいっそうの孤立と軽視をもたらすといった縮小化している円にたとえることができ、この縮小化が、広範におよぶ個人と社会との遊離を結果するのである。

 4. 在宅障害者は精神衛生の問題を提起すると考えられるが、かれらの情緒やニードに関する有効なデータが存在しない。

 5. 在宅障害者に対するサービスの進展は、教育の分野でもっとも明らかであり、そこでは電子工学等の機器を使用した大規模で、想像力に富んだサービス・プログラムが発展している。

 6. 著しい進展のみられる第2の分野は、ホーム・ケアであり、保健に関したサービス(これは必ずしも社会心理学的なものに限らない)は、満足すべき水準に達している。

 7. 1967年の論評以前に、レクリエーション治療に関する専門家が在宅患者に強い関心を抱き、施設やリハビリテーション・センター、シェルタード・ワークショップ、長期間の看護施設に収容されている人々に対して革新的な活動プログラムを展開した。

 8. 在宅障害者の職業更生は、手工製品や家内工業的なものに限られていたが、いくつかの機関で成功していた。しかしながら、1967年では、全分野への普及とまでいかず、このようなプログラムは例外的なものであった。

 9. 在宅障害者の集団居宅プログラムは何年間も討議されてはきたが、これを実際に組織する試みは、非常に遅々としたものであった。

 10. 在宅クライエントの観点からみると、合衆国の多くでなされているサービスは満足のいくものではなかった。無統制で、局部的な地域の努力により問題を減じようとの現在の実践は、多くの在宅障害者の絶望的な状態を早期に改変するわずかの見通ししかないように思える。

 これらの概観をもとに、著者は1967年に以下の勧告をしている。

 1. 在宅障害者のリハビリテーション全分野を徹底的に調査・研究するため、計画的研究プロジェクトが、連邦財源のもとにただちに着手されるべきである。

 2. この分野における研究プロジェクトは、この問題に対して伝統的なアプローチとは異なる、新しい社会的準備やリハビリテーション技術を吟味するような創造的で、革新的なプログラムへと進むべきである。手工業や工業プログラムには長所があり発展されるべきであるが、しかし、これらの有効性は、特定のクライエントや地域に限られてしまうものである。

 3. いまだ文献に掲載されていない、在宅障害者に関するリハビリテーション・プログラムを発表する機会を与えるべきである。これらプログラムの多くは、刺激的な、新しい方法を開拓しているのであるが、スタッフがサービスに拘束されていたり、研究の報告や記録の保存等を回避していたため、それらの経験の実際が普及されないのである。

 4. 都市の在宅障害者に対して、以後もひき続いて関心が向けられなければならないが、地方に居住する者や施設にはいっている者、近隣以外に出られない者、それに知的、情緒的に制約をもつ在宅障害者に関する研究が必要である。

 5. このグループに対する治療リハビリテーション・サービスの効力に関しては、確かな証拠が必要である。リハビリテーションの可能性の範囲やサービスの効果を確認するデータがあれば、これらグループへの国家的委託を拡大しようとする努力に有効的に作用するのである。

 さて、在宅障害者のリハビリテーションに関する文献について、最初の論評が掲載されてから3年半後の1971年には、人々はリハビリテーション活動が、在宅障害者に対する長年の隔離を放棄していると感じるようになっている。この普遍化はほとんどわずかの作用しかなし得なかったが、ある事実にもとづいた根拠がそれを立証している。

 1. 1968年には、専門家による全国協議会が在宅障害者に関する二つの集会を計画し、一つの集会に6人、他に12人が出席した。また1970年9月、カリフォルニア州サンディエゴでのNational Rehabilitation Associationの例会における在宅障害者に関する集会では、リハビリテーションに従事する専門家がほぼ100人集まっている。

 2. 1967年には、在宅障害者の職業更生に関する文献に、10ほどの参考文献しか見られなかったが、1970年には、合衆国のリハビリテーション雑誌のうちの3誌がこれに関する記事を掲載している。

 3. 1967年にいたる10年間では、多分、一つないし二つの新しいリハビリテーション・プログラムが在宅障害者に対して始められたにすぎなかった。しかし3年あまりのちには、わずか1年間でこれら在宅障害者のための新しいプログラムが、少なくとも6州の諸地域でスタートしている。

 4. 1967年以来、在宅障害者への新しい職業の機会を開発するため、連邦政府の補助金が、Federation of the Handicapped、アビリティーズ、およびジョージ・ワシントン大学にそれぞれ与えられている。

 5. 概して、リハビリテーションのための資金がきりつめられているという危機に直面しながらも、リハビリテーションに直接たずさわっている人々の間に、在宅障害者もリハビリテーションの可能性をもっているという考えが急速に行きわたっている。

 6. ニュージャージー州Newarkにあるthe Mount Carmel Guildのような多くの民間団体が、在宅障害者の問題は、あまりにも複雑で、むずかしい問題をかかえているため、その解決は、精神衛生や家族のカウンセリング、住宅供給、福祉、職業の広範な方策等を有する地域社会を含めての周囲にこそ存在すると考え、在宅障害者のためのサービス・プログラムを始めている。

 7. 老齢者や慢性疾患および重度精薄者のための多くの施設では、いままでのプログラムの再評価がなされ、慈善事業的側面をあらため、そこに地域社会への参加を促進するようなリハビリテーションの要素を加えている。

 8. 研究は、特殊教育や職業リハビリテーションの分野から始まっている。たとえば、特殊教育の分野では、コロンビア大学教育学部の障害児教育研究所で、在宅教育プログラムを終了した116名について、かれらの現在置かれている地位や態度に関する研究を行なっており、また、リハビリテーションに関しては、Programmatic Research Project on the Rehabilitation of the Homebound of Federation of the Handicappedが、州立職業更生機関での在宅障害者のリハビリテーションの実際に関して、広範な調査を実施している(部分的には、連邦政府の社会・リハビリテーション庁からの財政援助を受けて)。

 9. 在宅障害者に関する一連の会議は、1971年においても開催されるであろう。Federation of the Handicappedでは、リハビリテーション事業管理庁や社会・リハビリテーション庁の援助のもとに、1971年2月ニューヨークでNational Conference on the Rehabilitation of Homebound Personsを開催しており、これにひきつづき、合衆国の諸地域で五つの地方会議が開かれることになっている。

 サービスや研究が急速に進められた一面には、研究プロジェクトや在宅障害者のための他のプログラムを援助しようとのリハビリテーション事業管理庁と米国社会・リハビリテーション庁の採った前向きの、勇気ある姿勢によるところが大きい。これら機関の働きは、大いなる前進のもととはなったが、この分野での現況は、革新過程における初期の段階として考えるべきである。70年代の10年間が、ほんとうの意味で在宅障害者の10年間であったらと考える。1970年から1980年にわたるリハビリテーションに関する歴史が書かれる際、在宅障害者は、おそらくアメリカでもっとも不利な情況下に生活するグループの一つとしては扱われないであろう。このようになるためにも、リハビリテーションの企画者、実践家、研究者はこのグループの現状を常に把握していることが重要である。そして最近の文献や報告の概観(1967~1970)は、実行への刺激として寄与するであろうし、アメリカでの在宅障害者に関する思索をより刺激することになるであろう。

リハビリテーションの可能性

 在宅障害者のリハビリテーションの可能性に関してこれを説得する有効なデータが、リハビリテーション機関や施設の日々の経験からもたらされている。1960年代の半ばから後半にかけては、在宅障害者のリハビリテーションに対する新しいプログラムがみられ始めたが、これのみならず、ニューヨーク州職業リハビリテーション事務所やウィスコンシン支部、Federation of the Handicappedなどで実施されていたそれまでのものにも、それぞれのサービスが拡大していったのである。これらの機関が当時こうむっていた経済的・社会的窮境という点からすれば、在宅プログラムにおけるリハビリテーションがその窮境のじゅうぶんなる根拠となるであろう。

 ところで、在宅障害者におけるリハビリテーションの可能性に関する研究はまだまれにしかみられない。しかしながら、文献によれば、移動性に制限のあるということが、在宅障害者におけるリハビリテーションの可能性の意味を明確にする唯一の要素を成しているという。Hoytは、ホーム・ケアを受けている在宅障害者の42パーセントが介助なしで移動することを知り、社会心理的要因もかれらの可能性を決定する際に考慮されるべきことを指摘している。またNashは,長期の慢性病の治療で施設にいる患者の22パーセントが、地域の保健衛生サービスの協力を得れば、社会生活を送りうる可能性のあることを報告している。しかしながら、リハビリテーションの可能性も、これら高度に可能性のある患者の90パーセントに戻るべき地域社会がなく、家族からも拒絶されているという理由から未開発のままである。これらのケースでは、在宅を余儀なくさせている社会的要因が、リハビリテーションの可能性実現の程度を決定する際に健康と同様に重要であった。

 社会・リハビリテーション庁とFederation of the Handicappedの援助を受けた長期研究プロジェクトは、以下の四つの在宅障害者グループについて、Programmatic Research Project on the Rehabilitation of the Homeboundとの共同研究を行なっている。すなわち、1)州立のリハビリテーション機関にいる者、2)これら機関のサービスを建設的に利用できないか、または利用しない者、3)長期療養施設にいる者、4)高等学校課程の在宅教育終了者である。著者とCohenは、最初の3編の経過報告から、訓練診断チームの研究結果を概観して以下の点に注目した(未発表)。

 1. このプロジェクトに参加した者のうち、地域社会に生活の基盤をもつ者の90パーセント以上、施設に在宅しなければならない者の60パーセント以上が、なんらかの職業に従事するじゅうぶんな身体的能力を有している。

 2. これら在宅障害者の半数以上の者は、早期における精神衛生の介在を必要としている。

 3. 在宅ないしは施設にいる期間が長くなると、知的水準が低下する傾向にある。

 4. これら多くの在宅障害者の特徴として、手先きの器用さに制限がある。たとえば、45パーセントの者が、手先きの巧緻性をみるテストを受けられないほど重度である。

 5. 地域社会を基盤とした者においては、職業活動に不適切な者がわずか12パーセントにしか過ぎなかったのに対して、施設に収容されている者では32パーセントであった。

 6. 崩壊ないしは不安定な家族の状態が、地域社会を基盤とした者の43パーセント、施設を基盤とした者では65パーセントにみられる。

 7. 経済的困窮は、地域社会を基盤とする者の62パーセント、施設にいる者の100パーセントと多くにみられる。

 8. 在宅障害者は、テレビ視聴、読書、会話、思い出にふけるといったようなすわった状態の活動が多く、するべきこともない自由な時間があり余るほどあり、長期にわたって孤立しているため、外界への関心がほとんどなくなってしまい、生活そのものをも不毛にしてしまっている。

 リハビリテーションの可能性に関しての著者とCohenのいくつかの結論は、リハビリテーションの計画において重要な意味をもっている。それらを以下に記してみる。

 1. 身体的・情緒的要因が、在宅障害者を不満足な社会的・職業的状況に結びつけてしまう。

 2. 在宅を余儀なくさせるところの多くは、適切なリハビリテーション・サービスを準備してやることで変わりうるし、取り除くことさえも可能である。

 3. 在宅障害者には広範で、複雑な問題が存在するゆえに、かれらのリハビリテーション・プログラムは集約的、包括的で長期にわたるものでなければならない。

 4. 特定の在宅障害者、たとえば長期施設入所者、盲人、精神遅滞者、高等学校課程の在宅教育終了者、および州立のリハビリテーション機関で定められた適格基準に合わない者にとっては、特別のリハビリテーション・プログラムが必要である。

 5. これら在宅障害者の多くは、極度の制限を有しているにもかかわらず、診断的になされるサービスを建設的に利用し、挫折や絶望に遭遇しながらも、自分たちの生活条件を変えようとの決断を示すのである。

 在宅障害者におけるリハビリテーションの可能性に関する文献は、断片的ではあるが、そこには首尾一貫したものが流れているといえる。ところで、組織的なリハビリテーション・プログラムが計画される際は、これらのプログラムには可能性の本質を明らかにするための診断期間が必ず含まれている。このデータによれば、在宅クライエントに対する適切なプログラムの不足している理由は、重度の不能というより他の要因にあることを示している。これは重度の制限を受けている在宅障害者でさえも、かなりの能力を残存させているということから知ることができる。

ホーム・ケア

 1960年代に、在宅障害者への他のリハビリテーション・サービスがゆっくりと発展していったなかで、保健衛生サービスは盛んに行なわれた。ホーム・ケアは、伝統的な医療・看護、集団指導、前払いによる医療計画といった国のほ保健交付制度にもとづいて実施されたが、この面での発展は、Edwardsの書誌のなかに、ホーム・サービス、家庭管理、家庭保健に関する援助、食事の世話、歯科的保護といったものと同じく、1960年から1967年におけるホーム・ケアに関する言及が多くみられる事実からも知ることができる。

 ホーム・ケアの価値はあまりにも自明である。しかしながら、最近の文献では以下の2点を強調している。すなわち、1)ホーム・ケアによって、真に保健施設を必要としている人たちがこれを利用するようになったということ、この事実を示すものとしては、ホーム・ケア・サービスにより入院期間が短縮したり、必要がなくなったということで、ほかの入院が必要な重症な患者のためのベッドが解放されたということ、2)全体的な医療保護の質が、ホーム・ケア要素の増加で改善されたということの2点である。これらホーム・ケアの価値については、保健や福祉の専門家が認めているのみならず、患者自身もこれを認め、このようなサービスを進んで価値あるものとしている。こうしてクリーブランドでは、このサービスを受けた入院患者の9パーセントがこれを断わったのみである。さらにホーム・ケアは都会および地方を含めての諸地域で取り入れることが可能である。

 ところで包括的で、整合したプログラムは、かたよったものよりすぐれているとの一般的な考えにたって、個々の訓練過程により、ホーム・ケアの前面にそれらの役割を明確にするための努力がなされている。たとえば、看護婦をケースごとに割り当てるという一つの指標がHollidayにより示されている。すなわち看護においては、公認看護婦が慢性疾患の子どもにむいているのに対して、公認ではないが事実上看護の仕事をしている者のほうは、より年長の慢性疾病患者にむいていると。そのほかホーム・ケアの構成要素としては、作業療法、医療、および食[餌]と栄養等が含まれている。

 ホーム・ケアとこれを構成する要素に関しての劇的ともいえる発展は、Ryderらの示した統計によって知ることができる。それによると、合衆国でのホーム・ヘルス機関の数は、1965年~1966年に1,356であったものが、1969年初頭には2,184に増加したのであるが、このように発展したのはMedicareの影響するところが大である。これらの機関のうち53.5パーセントのところでは、看護のほかにさらにもう一つのサービスを提供しており、26.6パーセントの機関で二つ、9.5 パーセントの機関で三つ、10.4パーセントの機関で四つ以上のサービスを別に提供している。なお種々な付加的サービスを別に提供している機関の割合は、PTが72.7パーセント、ホーム・ヘルスに関する援助が48.2パーセント、STが22.1パーセント、社会医学が20.0パーセント、栄養指導が18.2パーセント、そしてOTが16.3パーセントである。これらの結果は、在宅障害者の必要とする多様な助力に対して、整合した多くの訓練を準備するとの理想が、いまだわが国のほとんどの地域で実現されていないことを示している。

 ホーム・ケア・プログラムの成功は、おもに医師がサービスに参加しているか否かによるのである。MatherとHobaughは、Eastern Pennsylvaniaでの研究で、83人の地域の医師に面接し、そのなかの48人がホーム・ケア・プログラムを利用していることを知ったが、これらの医師の90パーセントは、その必要性が生じるならば再度利用する用意のあることを示していた。これらの医師は広い専門的関心をもった実践家として特徴づけられる。しかしながら、未利用の35人の医師も、その75パーセントが必要があれば患者をこのサービスに向けるであろう、と報告したことは注目されなければならない。ところで、医師はこのサービスを急速に利用してはいるが、その多くの医師は患者が真に必要としているほどにこれを利用させているかどうかはいまだ定かではない。

 この文献で報告されたホーム・ケアにおける他の傾向は、

 1) 少数者や不利な情況下の者にもより大なる成功のおよぶこと

 2) 「標準的」なプログラムを課すことよりも、むしろホーム・ケア要素の組み合わせによる個人的なプログラミングへの傾向

 3) 関節炎や老齢者への特別プログラムを作ろうとの傾向

 4) 保健に関する援助のより広範な利用

 5) 以下の領域におけるより以上の研究が要求されているとの示唆から、研究への関心の増大:ホーム・ヘルスの分野でのさまざまな交付制度の価値と限界、患者の選択基準、患者のニードに対する分類、費用等の研究

 上記の簡単な見本からも、ホーム・ヘルス・プログラムが、在宅障害者のリハビリテーションのもっとも積極的で、力動的な側面の一つであることが知られる。しかも、1960年代の現象的な発展は、ホーム・ヘルス・サービスが現在始められたばかりの領域と特に関連づけてみても、1970年代での発展によりじゅうぶんに調和したものとなるであろう。これらには下記のものが含まれる。すなわち、

 1. 多くの現存するプログラムを包括的で、整合した多様な訓練への転換

 2. 社会心理的サービスのプログラムへの結合

 3. 現在まれにしかみられないホーム・ヘルス・サービスと職業更生との結合

 4. 納得し得ない理由で、ホーム・ヘルス・サービスに適している患者を、これらサービスに向けるのを遅れさせたり、回避したりする医師の影響を減ずるために、現在のサービス交付制度の再検討

である。

 著者が理解するところでは、多くの例でリハビリテーションを単なる扶養に代えてしまうようなホーム・ケアに対する挑戦がなされなければならない。多分この努力の再指向は、ホーム・リハビリテーションと名称を変え、広範な訓練をその境界の中に組み入れることで促進されうるであろう。現代の研究は、社会心理や職業問題が在宅障害者の生活に強く現われていることを示している。そしてホーム・ヘルス・サービスとリハビリテーション・サービスとの分裂は、全体的なケアをなしているとは思えないのである。おそらく現在は、行動的な科学者がホーム・ケアの分野に進み、ホーム・ケアに従事する者が社会心理的側面に敏感になり、対処しうる能力をもつ絶好の時期であろう。

家庭管理

 家庭管理サービスは、しばしば在宅障害者のリハビリテーションを促進し、かれらが生活する家庭の状態を改善し、そして能力にそぐわない仕事から解放してくれるのである。概して家庭管理サービスは、合衆国でドラマティックな発展を示しており、National Council for Homemaker Servicesの報告では、1963年から1967年にかけて、これらのプログラムの数は150パーセントの増加を示している。

 この動向の規模は、つぎの事実により知ることができる。すなわち1967年の理事会の報告によると、家庭管理サービスに参加した機関は800以上に及んでいるという事実である。家庭管理サービスに対する必要性の程度は、カリフォルニア州のContra Costaでなされた研究結果で知ることができる。それによると、医療保護を必要とするクライエントの63.9パーセントが、第1の要求として、家庭内のことに対するなんらかのサービスを要求し、他がホーム・ヘルス・サービスを要求したということである。

 特殊教育の観点からみれば、家庭管理サービスが価値あるのは、5才以下の遅滞児のいる家庭に対してであり、その効果としては、家族の結びつきの強固さ、遅滞児に対する態度の改善、地域社会による施策をより以上利用する等がみられた。

 ところで、ホーム・ケアや家庭管理、特殊教育およびリハビリテーション・プログラム間の調整に関しては、いくつかの例が報告されてはいるが、これらはいまだ常態のことではなく、むしろ例外として考えたほうが賢明である。なお家庭管理サービスは、あまりに多くの例で、もっぱら危機への仲裁とか家族の扶養プランといった形で利用されており、家庭管理者のサービスが、この範囲内で果たす重要な役割をもっていることも確かなことである。しかしながらそれらの可能性が、個人や家族のリハビリテーションにどれほど貢献するかについては、それほど多くは知られていない。それゆえに、主要な成功を成すための、総合的なリハビリテーションやクライエントおよび家庭環境の諸タイプに対して、家庭管理サービスの貢献しうるものをじゅうぶんに調査する評価が必要とされるのである。

特殊な援助

 在宅障害者のために進められてきた活動の割合には、文献は少ないしまたその内容もその活動にじゅうぶんそったものではない。住宅の問題でいえば、実際にたくさんの新しい公私の建物が、今や重度障害者にも使用しやすいように、特殊なやり方で企画されるほど、建築上の障害を取り除けという主張が、その影響力を静かに、また着実に広げてきている。同時に、大学やその他の研究機関が、障害者のために広く住宅を供給できるようにするため、住宅の居住の障害を取り除くようにいろいろの苦労をしてきている。

 在宅障害者が住んでいる私営のアパートや家の使いにくさを解決することに関しては、それほどのことは行なわれてきていない。

 地域社会の住宅事情を改善するのに、どうしても民間の建物が必要であるとすれば、在宅障害者は、つぎの二つから選択をしなければならない。つまり、一つは家が不足しているということから、なんらかの困難をもたらすと思われる問題を少なくするために、障害者が互いに住宅を交換しあうということ、もう一つはあまり機能的でない現在の住宅構造を大いに利用するということで、つまり、リハビリテーションの観点から、現在の住宅事情を緩和するという選択である。在宅障害者がだんだん独立していくことを容易にするための、適切な住宅構造を与える方法を考えだしていくことが、1970年代の挑戦ともいえるであろう。

 評価に値するような報告はまだ現われてはいないが、在宅障害者のための特殊な集団のための条件づくりは、最近着実に前進しているものの一つといえるであろう。ここでいう条件というのは、系統的に制度化していくという落とし穴を避けてはいるものの、まだ在宅障害者が必要とするような特殊な援助を備えていない。このように新しく作られたタイプの便宜は、雇用、レクリエーション、補助的な医療、家庭への世話、精神衛生、カウンセリングの機会、教育を受ける機会を与えることを前提としているか、またはそれに近いものを与えるものである。観念的には、このような問題は、障害者をいわゆる集団化して分離するという解決の方法で、リハビリテーションに従事する人々を不快にさせることでもある。

 しかし、これらの特殊なリハビリテーションにおいて、現実的に重度障害者のリハビリテーションと幸福を促進する程度と比べて、純専門的な観念の世界でのケアーと養護は、なんら適切なものをもたらしているとはいえない。施設あるいは無計画的な家庭の状態が変化しうるものであるとき、特殊な住居の条件がその変化のために大きく働くであろうと考えることは、論理的だといえるであろう。しかし、最終的な判断は、感情的ではない価値評価と、このことの研究の限界をまってなされるべきであろう。今のところ、このような住居に関する利点や欠点に関する文献をみても、なんらの実際的な手がかりは得られないのである。

 障害者のための適切な輸送手段がないということも、在宅障害者にとって、単純にしてもっとも重大な支障をきたしているということができる。アメリカ合衆国じゅうで、州や地方団体が、この非常に困難な問題ととりくんでいる。しかしその進歩は遅々としたものである。この問題については、文献は少しはある。それによると、この分野では進歩がのろいことが何かあたりまえのように思われているふしがあるようだ。リハビリテーションに飛躍的な進歩があるときには、つねにリハビリテーションに関係のある公的機関にも、盛り上がりが認められるものである。しかし、このことは、輸送の問題になると、必ずしもそうは言えないようである。しかし、もし現在の関心のレベルが維持されるならば、また資金がじゅうぶんに得られるならば、さらにまた電子学その他の技術的なものの改革がこの問題の解決のために導入されるならば、進歩の度合いには拍車がかけられるであろう。現在の関心とは、新しいタイプの乗り物、連絡調整がじゅうぶんにとれた地域社会全体にわたる輸送手段、在宅障害者に対して適切なプログラムをもたせるための援助を行なう「人工衛星」のような役割、などがいかにしたら用意できるかということにある。こういうことがらの実験の報告や他の領域での輸送手段の報告が、在宅障害者への援助に革命をもたらす前ぶれとなる時がくるであろう。

 もし、最近この分野で躍進が起こったとするなら、それは在宅障害者に対する援助のための、訓練されてはいるが、専門家とはいえない助手を用いることである。いくつかの機関で、似たようなプログラムを現在実験しているところではあるが、Federation of HandicappedのPATH(Personal Aidesto the Homebound Program)がこのやり方の先行的なタイプといってよいだろう。これは、Milton CohenとHerbert Rusalemが考案したものであり、New York City Human Resources AdministrationとU.S.Office of Economic Opportunityが、先行的な例というだけの意味を越えて支援してきた。

 このプログラムのなかでなくてはならない要素は、在宅障害者を家庭訪問するために、老齢者を訓練し、雇うことである。そのためにはつぎのようなことを行なわなければならない。リハビリテーションに対して動機づけをし、そしてリハビリテーションの援助機能を遂行させることである。つまり、リハビリテーションの初期の段階で、在宅障害者に安心感を与える準専門的な関係を確立するようにする。そして近隣の関係機関と協力するようにする。家庭外の世界と連絡をもたせる。リハビリテーションの準備が整ったときには、在宅障害者に職業のためのチームを作らせるようにしむける。そして、公的なリハビリテーションの過程にはいる前に在宅障害者の能力を発揮させるように援助する。1966年の1月から1969年の6月30日の間に、173人の助手(そのサービスのために必要な給料をじゅうぶん上まわる金額が支払われてきた)が、1,000人以上の在宅障害者にリハビリテーション訪問を行なって援助してきた。

 ニュージャージー州保健局が育ててきた、ボランティアの友情訪問プログラムは、従来のリハビリテーション援助とそれほど似ていない。この経験は、このようなプログラムが州の資金で行なうこともできることも示している。しかし、それが障害者へのプログラムに影響することを示す資料は、今のところ手にはいっていない。このプログラムを強調しているのは、Duffyの論文“Volunteer Friendly Visitors Bring Sunshine to Shutins”であり、題名に用いられている用語が示している。

 在宅障害者に医療的な援助を行なうについては、近年に焦点をあててみると、さきにのべたグループ内では歯科的な問題をいくぶん怠ってきたようである。しかし、進歩はみられる。オハイオ州クリーブランド地区での経験の報告によれば、WaldmanとSteinは、私設の住宅、保護施設、さらに外来患者のための診療所が行なっている重度障害者への治療を行なう手続きなどをみると、もっとも重要なことは、歯科医師、歯科学生などを含めた地域の機関や人々との協力であるといっている。在宅障害者に対する歯科の治療と慢性病の治療の全体的な範囲については、Workshop on Community Action to Promote the Oral Health of the Chronically Ill,Handicapped,and Agedとミシガン大学の年報にみうけられる。このワークショップは、在宅障害者に対して歯科治療を行なうことを確立し、地方のこのことに関するモデルがいろいろであるのは、地域社会の機関や人々とその条件に依存していることを示している。

 一人で住んでいる在宅障害者の心配していることのうちで大きいものに、緊急事態に際して、家の外にどうやって連絡したらよいかという問題がある。この問題については、アメリカでは二つの解決法が考えられている。一つは在宅障害者の家に定期的に訪問するための、その地域に住む人を用意しておくことである。もう一つは、一日に一度か二度、在宅障害者に電話をすることであり、そのために用意された中央の機関に常に人を配備しておくということである。非常事態というものは、必ず起こるというものではないにしても、このような準備をしておくことは、在宅障害者にある程度の安心感を与えるものである。電話があまり普及していないような地域では、別の工夫がなされている。その工夫のいくつかの例が英国で試みられて成功してきた。窓にカードをかかげて知らせる、光、ベル、ブザーを用いるなどのことである。在宅障害者に援助する人が「用心すべき」広い範囲に気を配っていれば、障害者個人の要求と地域社会の条件を念頭においておけば、特別な場合にもっとも機敏に防御手段をとれるような考えが浮かんでくるはずである。

 在宅障害者に宗教上の援助を行なうことについては、文献ではあまり重要視されて受けとめられている形跡は少ない。地方の牧師は、定期的に在宅障害者を訪問するのが当たりまえと思われてきたし、またラジオやテレビが在宅障害者に宗教的な利益をもたらすことについては、読書と同じ意味で当然と思われてきた。しかし、在宅障害者の精神的な要求は、このようなものでは満たされるものではない。それを満たすための一つの試みのうちで、United Methodist Churchが、1965年にDuke Universityで会議を行なった。そこでは在宅障害者、とくに老齢の人々のためのプログラムを充実したものにした。そのプログラムの重要部分のなかに、本、雑誌、映画フィルムがあるが、それは在宅障害者に対する精神的援助を与える技術もさることながら、有意義に用いることができる。私たちが望んでいる信条というものは、未来にわたって在宅障害者に対し義務を認識するであろうし、在宅障害者の心を動かすような新生面をひらく手段を考えだすであろう。

 以上のべてきたような特殊な援助は、皮相的なものではない。逆に輸送、建築上の障害をとり除くこと、非専門的なリハビリテーションの助手などの援助の方法は、在宅障害者の生活に幅広い変化をもたらすことができようし、彼らを文字通り地域の住民にしていく全体的な方法に貢献するものである。歯科治療のような援助は、それとは別に健康維持に重要な役割を果たすことができるものである。さらに、宗教的なまた精神的な援助は在宅障害者を、施設よりも地域のなかにとどめることに役割を果たすことができる。これらの領域のすべてにわたって進歩があったわけだが、在宅障害者が独力で住むうえでの問題を大幅に解決してきたという実績はほとんどない。

 この論文の勧告の一つとして、在宅障害者の身体的な拘束、輸送力の不足、これらのことと他の援助の解決がなかなか進まないことに対して、協力してとりくんでいくことを推進するための手段を心配するものである。

教育

 伝統的に、訪問教育は在宅障害者に対する援助のうちでも、多くの進歩が認められる行動科学である。最近では、このことについて例外はない。地方レベルでは、訪問教育に子どもを配属させるための選択が多くなってきていること、情緒的・行動的障害児を家庭で教育するために判別するためのプログラムの発達、いく人かの身体的に限度のある子どもに家庭教育を行なう必要から、学校ならびに輸送手段を改善すること、また電子工学による備品など、すべてがこの分野の充実のために役にたってきた。Simches とCiceniaによる初期の研究に手を加えることによって、47州の在宅障害者に関する現段階の州レベルでの実践のうち、管理的な面がもっともよく報告されている。この研究によると、電話による教育についての認識が高まってきたことと、他方、社会的ならびに情緒的障害者への訪問教育による援助は、まだ州の内部では流動的な状態であり、重度な身体障害による限界を持たない子どもに応用することについては、疑問をもってみられる場合が多くなってきたと結論づけている。

 伝統的な訪問教育のプログラムについては、地域社会によって多様な報告が行なわれてきた。これらのプログラムの内容によると、教師と子どもの1対1の関係は、家庭環境の中できわめて流動的であって、その教育効果をそこなうことなしに、地域社会の多様性や家族の条件に適応することができるほどのものであることがうかがわれる。さらにプログラムの内容は在宅障害者である生徒と、その教師の関係の独得の性格からも影響を受け、またこの関係は実際の指導に用いられる時間が比較的少ないにもかかわらず、実に訪問教育のプログラムを成功させるための中心的な要因であることも示している。最後に、こうしたプログラムの内容は、一時的な障害を有する子どもたちや、それ以上長期間訪問教育を受けるようになる子ども、またそれが最終的な教育経験になってしまう子どもにとっても、同じく有効であることを示している。

 生徒、教師、教育体系、両親の間の訪問教育を行なうにあたっての特殊な性格については、Connorの、在宅障害者と入院児についての定義的な文献によって、正確に描写されている。訪問教育が単なる更生タイヤのようなものであってはならないことは、Connorの研究からも明らかである。逆にむしろ、訪問教育の教師は限定された家庭環境の中で、ひどく制約を受けている子どもと1対1の人間関係のうえで仕事をすすめるために、パーソナリティが高度に高められた人でなければならず、また学級の経験に代わって想像力や創造性を発揮できるようでなければならない。同様の流れに、Wolinskyがいるが、彼によると、訪問教育の役割と資質は幅広い教育の資本のうえに教育体系を再構成するという観点から再点検されなければならないと述べている。この再点検とは教師の資質の型、子どもの生活に起こってきたもののうちで、教育的にみて適切に切り捨てるときの程度、訪問教育の教師に対して現在行なわれている検定や免許のための実習などの領域で行なわれるべきである。訪問教育の教師の質についてのWolinskyの関心の中には、そういう教師のために現職教育が継続的に行なわれるべきだという忠告も含まれている。

 訪問教育の分野もだんだんに、便利な電子工学の備品をじゅうぶんに利用する方向へ向かうようになってきた。教材をテープにとっておくことは有望なやり方ではあるが、家庭から学校へ、また相互に無線電話を利用するように移行しつつあることが強調されているようだ。家庭から学校へという電話制度のある程度の発達が文献に報告されているが、この制度を作るための費用が高いので、いくつかの地域社会で、在宅障害児にその急速な受け入れを妨げる役割を果たしているようでもある。他方、合衆国のもっとも大きい学区のうちその二つ―ロスアンゼルスとニューヨーク市が相互通信の無線電話方式を採用してみて、じゅうぶん満足すべき結果を得ている。ニューヨーク市(VI Projectという題名の未刊の報告によると)は、そのプログラムのわくを年々拡大してきて、今は(従来の他の教科と同じく)外国語と理科の指導でもじゅうぶんな経験を経て、相互通信によるグループ・ガイダンスにまで移ってきている。

 ロスアンゼルスは、大都市としての見本的な相互通信システムを発達させた。それは実験的な段階から、日常的なものに立脚する全面的な操作へと長い過程を経てきている。Curnowは1964年~1965年度間に、338人の在宅障害者が24人の電話教室の教師(16人が中等段階で、8人が初等段階)に指導されたことを記している。この生徒たちのうち19人が学年段階の課題を解決するために電話教室に参加した。ロスアンゼルスにおけるこのプログラムの発達と在宅障害者に対する幅広い応用は、すべての発達段階の子どもたちに集団としての教育体験を与えることについて、その特殊な価値を確立している。しかし、電話教室のような電子工学的備品や、家庭から学校への電話、さらにはテープレコーダーの使用も、1対1の教師と生徒の関係の必要性をとり除くものではないことを指摘しなければならない。教育者たちは、これらの備品は補助的なものであって、生きた教師にとって代われるものではないことに同意している。たとえば、在宅障害児の教育に相互通信システムを用いることについて、ノースダコタは週に最低2時間の、教師による教育を行なっている。ニューヨーク市では、さらにそれ以上の時間を教師による教育のために必要としている。それはまた、ラジオとテレビによる番組の学校の時間に参加したほかにである。

 訪問教育のプログラムの公式の評価はまだあまりない。Lolisはニューヨーク市でSchool of Air-Teleclass Programという総合型の教育を受けている子どもたちの研究から、つぎのような発見をし報告している。つまり、この結合型のプログラムによる子どもたちは、家庭で訪問教師の指導を受け、放送教育を受けているが、Teleclass には参加していない子どもたちに比較して、知的な課題、つまり読みや算数、言語行動、教師の評価点などではよくない結果を示した。しかしTeleclass の子どもたちは社会的関心、自己尊重感、動機づけの点ではよりすぐれていることを示している。Teleclass の内容を成す、測定できるおもな影響力は教科的なものよりも、社会性の面であることがわかる。この研究の結果は教科的なものを高める点で欠点があるのか、またこの特殊な研究対象と教育条件にのみ限定して解釈されるべきなのかを確認する必要にせまられている。

 Rusalem (未刊)はTeachers College およびColumbia University Research and Demonstration Center for the Education of Handicapped Childrenによる研究によって、116人の長期の高等学校の訪問教育の卒業生を追跡研究し、彼らの大多数が雇用され、大学にはいり、リハビリテーション訓練を受け、卒業後まで継続して家庭にいることがないことを発見した。この研究結果に対して唯一の例外は、「情緒障害の」男子たちで、実際は行動問題を示し、学校にいることができず、他の教育手段が閉ざされて訪問教育に配属されたものである。これらの例によって、訪問教育がもっとも適切な教育的配慮であるとは必ずしもいいがたい。この人たちの場合、就職がうまくできなかったし、地域社会でも成人としての役割を果たすための準備ができていたという痕跡は、ほとんどみられなかった。

 Rusalem は、高等学校段階の訪問教育を修了した者で、大学に進学している者がその仲間と同等に活動していることを報告している。重度な身体障害者と情緒的・行動的な障害のある者たちは成人としての活動(大学、訓練、雇用)に従事しないままになっている。現存する地域社会の援助は、この後者のリハビリテーションにとって、効果的ではないように思える。

 いくつかの地域社会においては、在宅障害児としての生徒に対して、その生徒が受けている訪問教育と結びついた、訓練的な内容を多く含んだ指導を行なう傾向が出てきはじめた。ニューヨーク市教育局は、Federation of the Handicappedとニューヨーク州職業更生局と協力して、10年以上にわたって、重複したまた複雑な適応上の問題をもった在宅障害児に対して、学校外の生活に基づいた精神衛生のためのグループ指導と、職業指導を行なってきた。このプログラムを定期的に評価したところによると、このような補助的な援助は教科的なものの進歩と、大学に進学したり就職したりする卒業後の適応を促進することに役だったことがわかる。Curfman とArnoldはソーシャルワーカーと作業療法士とが、重度精神薄弱児とその家族に援助するためのプログラムについて述べている。このプログラムは適切な訓練プログラムに配属されるための、両親と子どもの準備に役だってきた。またこれはこういう子どもたちが家庭にいる間に、必要な技術を身につけることができるようにもしてきた。

 すべての点で在宅障害児にとって、訪問教育は生き生きとしたよいものである。今日、合衆国のほとんどの在宅障害児は、教育の過程に参加している。これは成人の在宅障害者とは、現在の状況では対照的であるようだ。成人の在宅障害者はリハビリテーション・プログラムにはほとんど参加していない。今のべたことは、在宅障害児の訪問教育には問題がないことを意味していると考えてはならない。逆に、財源が制約されている点、管理的な体系が旧式なままになっている点、単純な教育技術が残存している点、訪問教育から子どもが除外されている場合があると同じく、学級からもいく人かが除外されているという独断と不合理な手続きが用いられている点、電子工学的な備品を今まで以上にじゅうぶんには使いこなせないという点、さらにはこの分野での研究の欠如など、すべてが教育者、両親、リハビリテーション従事者による、今まで以上の具体的な活動を思いとどまるような状況を生みだす役割を果たしている。

 全体的にみると、もっとも重要な挑戦とでもいえるものに、初期により多くの子どもたちに訪問教育を受けさせる手段を発見するという課題があろう。最初は、こういう子どもたちのうちでいく人かは、訪問教育の名簿に登録されなかった。そのため、あまりにも多くの子どもたちが学級にできるだけ早く戻ってくることができるように準備を求めているのに、集中的なリハビリテーション援助が行なわれることがなかった。最後に、学校への単純な適応問題が解決され、輸送手段が改善されるなどのことによって、集団学習に再参加することが促進されてきた子どもの場合でも、教師の側の偏見によって、いく人かを教室からしめ出したままにしてきた。リハビリテーションの従事者が訪問教育の高等学校のレベルの間は教育のチームに加わり、子どもの要求にみあった職業カウンセリング、職業前・職業訓練、職務経験などを与えるべきであることは、ほとんどの人が一致している。しかし、これを有意義に行なっている例はまだあまりにも少ない。

リハビリテーション

 1967年以前には、リハビリテーション機関と在宅障害者とのかかわりあいは、例外的にわずかな明るいきざしがみえただけで、機関自身は主として、世間の目にふれてしかも強い関心を引くような障害者グループにかかわっていた。リハビリテーションの立場からみれば、在宅障害者に対するサービスは、かれら自身と同じくほとんど世間の目につかないものであった。1971年の状況は、なお要望されるべきことが多く残ってはいるものの、変化は劇的なものである。すなわち、

 1.公的および民間リハビリテーション機関の数が増加するにつれて、在宅障害者のリハビリテーションに対するさまざまなプログラムが提供されつつある。

 2.在宅障害者グループに対する国の施策がふえてきている証拠がある。

 3.在宅障害者の分野における新しい計画に対する補助金が、1967~1970年度には過去25年間のそれ以上に認められた。

 4.1969年にGreystonでFederation of the Handicappedによって開催された在宅障害者に関する会議は、幸運にも30人の参加者を集めた。1971年2月のArden Houseにおけるthe National Conference on the Rehabilitataion of Homebound Personsは、発会時の2倍の入会申し込みを受けた。その会員名簿には、アメリカでもっとも著名なリハビリテーション指導者数名が含まれていた。

 5.在宅障害者のリハビリテーションを促進させるために、さまざまなリハビリテーション分野で新しい、創造的な計画がしだいにたてられていった。いくつかの州では、こうした計画を連邦政府が設けた補助基金の給付なしで実施した。

 6.在宅障害者のリハビリテーションに関連して、微妙な態度の変化が生じた。リハビリテーション・ワーカーたちは、以前はこの問題を避けたり、やっかいものと思っていたが、多大の希望と期待をもってながめ始めた。

 5年間という短い期間内におけるこうした変化の原因は、その時期に書かれた文献よりも、むしろ口伝えの中に深くとどめられている。これらの現象のほとんどは文献において詳細に検討されていない。したがって、以下のような現象は記録されたものというよりも、観察から出された結論である。

 1.社会・リハビリテーション庁およびリハビリテーション事業管理庁は、在宅障害者に対する進歩的な、そして広範なサービスをしようとしている人々に、数えきれぬほどの援助や指導を行なった。この援助は激励、指導、触媒・誘発行為、補助金、優先権のような形で表わされた。こうした国家的努力がなかったならば、その期間を通じて、ほとんどなにもなしとげられなかったであろう。

 2.公的および民間機関の拡大につれて、それらはより世間受けのよい障害分野のプログラムを発展させようとする傾向に抵抗し、在宅障害者のために活発なサービスを開始した。この動きは人道的で正義感のあるリハビリテーション行政官をはげまし、便宜主義や保守主義に立つ者の顔色をなからしめた。

 3.社会・リハビリテーション庁(SRS)から補助金を受け、Federation of the Handicappedによって主催されたProgrammatic Research Project on the Rehabilitation of the Homeboundは、多くの活動を開始したり、また多くの活動に参加したりして、その結果、合衆国の在宅障害者に変化をもたらした。このプロジェクトが実施したProgrammatic Research Studies and Demonstration は、究極的には、この分野に対して与えたもっとも重要な貢献になるかもしれない。しかし、現在のところ、その価値は主として、一般の人にも専門家にも同じく在宅障害者に関心を集中させて、在宅障害者は現存のサービス・パターンを大幅に修正することなしに、かれらのリハビリテーション能力を伸長させることができることを説得することにあった。

 4.Programmatic Research Project とその協賛団体から出される大会演説や出版物の流布とともに、これらの諸会議は在宅障害者のリハビリテーションに重大な衝撃を与えつつある。前述したリハビリテーション事業管理庁主催のNational Conference on the Homeboundに加えて、Programmatic Research Projectは、北東部、南東部、中西部、南西部、西部の5地区のSocial and Rehabilitation Service-funded Regional Conference を計画中である。1971年には、合衆国の連邦―州―民間機関のプログラムの範囲内で、在宅障害者のリハビリテーションが可能であると主張する人たち(リハビリテーション専門家や一般の人たち)が、文字どおり数百人に達するであろう。

 5.在宅障害者自身がこれまで自分たちのプログラムに対する刺激促進剤の役割を果たしてきた。これら非常に行動の自由を奪われ、あるいは制限された人々のためにサービスが確立されるときにはいつでも、サービスを利用するレディネスが整い、サービスから得られる利益も非常に大きいため、サービス担当者はほとんど必ず、驚異の念や満足感をもつものである。こうした情報を宜伝する適切な手段があれば、在宅障害者はこの分野における拡充されたサービスの絶好の宣伝として役だつことができると思われる。

 これまでこの論文のリハビリテーシヨンの部で論じられてきたものの多くは、逸話的なまた経験的な性質をもったものであるが、文献の重要な部分はこの分野の成長を反映する最近の5年間に現われてきたというのが事実なのである。この文献の重要な面は、在宅障害者のための成功したリハビリテーション・プログラムの記述に関している。Traxler はEaster Seal Society for Crippled Children and Adults of Iowa によって実施された州全体にわたる職業リハビリテーション・プログラムについて述べている。そのプログラムの特徴はクライエントの選択、評価、訓練、フォロー・アップに示された。この重要なプロジェクトは以下のことを実証した。

 1.多様な障害を有する在宅障害者たちは、集団として互いに生活し、作業し、学習することができる。

 2.サービスを受けた在宅障害者の80%以上の者が、売れる製品を作り出すことのできる技能を一つ以上習得した。

 3.このプロジェクトにおいて指導された技能のうち、もっとも成功したものは、木工、サンド・ペインティング、裁縫、織物、窯業であった。もっとも成功しなかった技能はろうそく製造、製図、宝石加工、人形修理であった。後者のうち、成功しなかった理由の一つは販売問題であった。

 このプロジェクトは、上述のごとくその目標を達成したので、現在もEaster Seal Agency in Iowaが実施しているサービスの一つになっている。

 Programmatic Research Project on the Rehabilitation of the Homeboundによって企図された研究の一つは、公的および民間リハビリテーション機関によって、在宅障害者グループのために開発された比較的豊かな地域社会プログラムの恩恵を得ることができなかった、非常に重度の在宅障害者たちのうちから抽出して、多様な仲介を実験的に試みたことであった。リハビリテーション・サービスを受けた56人の在宅障害者のうち、53人(94.7%)がそれを承諾した。プロジェクト・チームは当初59人をリハビリテーションの対象と考えていたが、そのうちの3人(5.1%)に対しては介入することができなかった。

 仲介サービスを受け入れた53人に対して、総計67件の主要なさまざまな仲介が用意された。これら仲介の分布は以下のとおりである。

 Federation of the Handicappedおよびニューヨーク州職業更正局によって共同運営されている総合的職業リハビリテーション・プログラムに登録 34

 工業およびエレクトロニクスの家内作業に登録 4

 精神衛生プログラムに登録 8

 レクリエーション・サービスに参加 11

 当プロジェクトによって他の地域社会機関との間に行なわれた保健、福祉およびカウンセリングに関するサービス 8

 特別自動車の取得などその他のサービス 2

 調査の時点においては、これら在宅障害者の事例の60.8%が雇用されていたか、あるいはその前段階の職業リハビリテーション・プログラムに参加していた。5.3%は職業リハビリテーション・サービスの開始を待っていた。3.8%は後期中等教育プログラムに参加していた。7.5%は健康上の、あるいは個人的な問題により中断の状態にあった。22.6%は在宅生活の状態にまだ変化をきたしていなかった。

 現存の地域社会プログラムに適合することができなかった在宅障害者たちとのこうした経験に基づいて、当プロジェクト・チームは以下のように結論を述べた。

 1. 地域社会に住む全在宅障害者人口のうち、もっとも困難な、「すべてのサービスから拒否された」在宅障害者でさえ、リハビリテーション能力を有する。このことはサービスの介入を正当化するものである。

 2. そのようなサービスは、適切なリハビリテーションの目標を追求する在宅障害者にとって建設的に役だつものである。

 3. 在宅障害者のための特別なリハビリテーション・プログラムのサービスを受ける者の少なくとも半数は、ある水準の報酬を得られる職業に就くことが期待できる。その後のフォロー・アップしだいで、この推定の割合は上昇するであろう。

 4. このような在宅障害者の4分の1以下の者は、適切なリハビリテーション・プログラムに参加しても、在宅障害者として生活する状態には実質的な変化を期待できないであろう。

 RusalemがNational Rehabilitation Association やAmerican Personnel and Guidance Associationやその他の団体を前にした演説において指摘してきているように、これら研究の結果は、これまで地域社会の保健、社会、職業に関する他のプログラムによっては部分的な自立さえもできなかった在宅障害者に、総合的なリハビリテーション・サービスを提供することが可能であり、しかもそれは経済的であることを示唆している。

 1969年、Programmatic Research Project on the Rehabilitation of Homebound Persons がその5か年計画の半ばに達しないとき、当プロジェクトは、プロジェクトの成果を検討し、それをできるだけ早急に適用するようにという社会・リハビリテーション庁の指令にしたがった。そして、その経験に基づいて、サービス段階のプログラムを強化するよう勧告した。このようにして、Federation of the Handicappedはニューヨーク州職業更生局と共同して、そのプロジェクト勧告を実行に移し、Higher Horizons for the Handicapped を設置した。これは現在実施中のサービス・プログラムを提供しているが、地域社会のほかのところでは比較的援助を得られない重度の、行動制限のある在宅障害者や盲の在宅者を受け入れて、サービスを与えるのが今や通例となっている。Higher HorizonsはFederation of the Handicappedによって運営されている在宅障害者のための6つの連続したプログラムの1つにすぎない。これら6つは以下のとおりである。

 1.Programmatic Research

 2.Higher Horizons for the Handicapped

 3.Homebound Employment Service

  各種の工業および事務的な職種の家内作業の機会を提供する。すべては機関の指導と管理の下に与えられる。

 4.The High School Homebound Program

  ニューヨーク州職業更生局とニューヨーク市教育局の共同運営になるもので、訪問指導を受けていない高校生に対して、職業前教育および精神衛生のサービスを提供する。

 5.Personal Aids to the Homebound

  老人を訓練し、在宅クライエントを助けるリハビリテーション助手として雇用する。

 6.The Homebound Recreation Program

  在宅障害者のために、余暇活動を用意する。

 リハビリテーション文献は、それらを年代順に詳しく記録していないけれども、ほかの多くの機関が適切な、そしてしばしば注目すべきサービスを提供している。たとえば、ウィスコンシン州職業更生局は、合衆国においてもっとも広範な技能訓練および雇用プログラムの1つを運営している。これら多くのプログラムの代表者たちは、1971年2月に、ニューヨークのHarrimanにおけるNational Conference on the Rehabilitation of the Homebound で初めて会った。これらプログラムの短い報告書が、会議の議事録にのっている。これらの紹介からみると、さまざまな団体が経済的にも、社会的にも可能な在宅障害者リハビリテーションの手段を見いだしていることが明らかである。したがって、在宅障害者に援助を与えていない地域社会は、適当な手本がないからという理由で、サービスを実施していない言訳をすることはできない。

 Programmatic Research Project on the Rehabilitation of the Homeboundは、この現象を研究するために特別な努力をはらってきた。Rusalemは、地域社会の人口統計上の特徴や社会的特徴が在宅障害者のための対策を左右することを発見し、力に敏感なリハビリテーション施設における在宅障害者の力のなさがかれらが軽視される原因である、と結論した。そして、在宅障害者グループを特徴づける力のなさを生ずる7つの要因を確認した。すなわち、

 1.後援者の力

  在宅障害者以外のいくつかの障害者グループは、著名な一族とかあるいは有力者、有名人といった後援者がいるが、在宅障害者にはそれがいない。

 2.首唱者の力

  リハビリテーション指導者の中で、在宅障害者の主張を自分たちの特別な使命として受けとめている者がほとんどいない。

 3.組織の力

  在宅障害者は社会の他のグループと取引をする際に、かれらを代表する、かれら自身の組織をもっていない。

 4.声を大にして叫ぶ力

  在宅障害者たちが、事を起こすことはほとんどない。かれらは示威運動をしないし、大声をあげて叫ぶこともない。また正常者に対して要求することもほとんどない。危機に反応する社会において、比較的に静かな在宅障害者グループは、かれらのための地域社会活動を促がすカギをにぎるものに接近することもほとんどない。

 5.報酬の力

  在宅障害者のリハビリテーションは困難で、特別の技能や創造性が要求されるにもかかわらず、かれらにサービスを実施するリハビリテーション・ワーカーをはげまし、動機づけるものがほとんどない。

 6.人気の力

  障害者自身がときどき、アメリカのリハビリテーション界の注目を浴びることがある。その結果、少なくともある期間、かれらのためのサービスが向上することがある。在宅障害者は他の多くの障害者グループと異なり、まだそのような人気を得たことがない。

 7.目につくことの力

  障害者グループの中には、日々、一般大衆と接触を保っているものがある。このように接触しているうちに、明らかにそれとわかるかれらの障害が世間の情緒的反応を引き起こし、やがてかれらのための活動におきかえられる。しかしながら、在宅障害者は世間の目にふれることもなく、また世間が気にとめることもないので、世間がかれらのことを心配する可能性は比較的に低い。在宅障害者は見過ごされやすいし、また忘れられやすい。

 Rusalem は地域社会の在宅障害者の力を増大させるためにProgrammatic Reseach Projectが用いた方法を記述した。それら方法には、在宅障害者の代弁者として地方の有力者、有名人の協力を得ること、在宅障害者にサービスする人びとに対して身分や報酬を用意すること、在宅障害者のリハビリテーションを開始する努力を地域社会が保証するような後援サービスを強化することなどが含まれている。在宅障害者への自発的な関心の増大が期待されえないという事実を考えて、Rusalem は、増大している力を賢明に利用することを力説した。現在流行している少数集団の社会活動をモデルとして用いて、かれは、地域社会の指導者やグループが在宅障害者グループに、より効果的なサービスをするように圧力を加えるような「力にものをいわせる方法」を提唱した。

 Programmatic Research Project 以外に、この分野への研究に対する関心の兆候がはじめてあらわれてくるが、これは在宅障害者のリハビリテーションにおける非常に将来性のある発展といえよう。まず、Gersten は、長期病弱者および身体障害者に対して、①病院外来患者センターで、②障害者の自宅で、の二つの条件の下でリハビリテーション・サービスを提供したコロラド州のデンバー・プロジエクトについて報告した。二つの場における進歩の程度に差異はみられなかったが、患者も専門家もともに①の場面を好んだ。しかし、治療結果、期間、経費に関するかぎり、障害者の自宅におけるリハビリテーションは、必要になったときにはいつでも、じゅうぶんな効果をもってなしとげられることができる。

 もう1つの新しい研究としてMcKenna 、Wilson、とFrumkinの共同研究があるが、かれらはオハイオのAssociated Health Industries of Akron の後援の下に提供されたさまざまな職種に対する在宅障害者の反応を研究した。かれらは関節炎や多発性硬化症の在宅障害者に焦点をあてて研究し、研究対象となった障害者たちが種類分け、スタンプ押しのような家内作業を好み、あて名書き、裁縫、組み立て、電話による注文取りのような作業をきらうことを見いだした。好ききらいの中間の反応を示した作業はテレビのモニター、包装、照合、封筒張り、荷札付けなどであった。一般に、好みは特定の仕事をする能力と関連があった。そこで研究者たちは家内作業をする者の好みは、仕事の割り当てをする際に考慮されるべきこと、および書くことあるいは手先の器用さを必要とするような仕事を含めて、ある種の仕事は在宅障害者へのサービスにおいて避けられるべきことを結論とした。

 いくつかの革新的プロジェクトがなお進展中であるが、以下のような試験的データは特に将来有望であると思われる。

 1. Federation of the Handicapped、ジョージワシントン大学、およびアビリティーズは銀行業務、保険、コミュニケーションのような業種に家内作業の可能性を探究している。すでに数多くの新しい雇用の機会が、これらおのおのの分野で開発されてきている。

 2. 在宅障害者住宅に関して新しいアイディアが生まれている。Federation of the Handicappedは、リハビリテーション施設に近接した普通の高層住宅の中に設立する在宅障害者のアパートについて実験をしている。また他の機関は、在宅障害者用の特別な住居の有用性と限界を研究している。このような実験の結果は、まだ初期の試験的な域を出ないが、将来性あるものと思われる。

 3. 在宅障害者のリハビリテーションにおける精神衛生の重要性が今や幅広い認識を得つつある。たとえば、Federation of the Handicappedは、在宅障害者のリハビリテーション・サービスにとって、集団精神医学療法が必要欠くべからざるものであることを発見している。

 4. 諸機関はリハビリテーション・プログラムに刺激を与えるために、組織を再構成することを考えはじめている。多くの場合、この新しいリハビリテーションは、保護作業の機会の拡充と在宅障害者の自己決定を強調しているところに特徴がある。

 5.閉回路テレビ、相談電話、短波ラジオ(オーストラリアでしばしば使われている)、などを含んだ、最近発達した電子機器を在宅障害者の問題に適用する可能性が検討されはじめている。

 以上述べたことは、静かな改革が在宅障害者のリハビリテーションに起こっていることを示唆する。この改革はプログラムの拡充にみられるばかりでなく、新しい方法や創造的なサービス・パターンが生まれてきている。現在在宅障害者は必要なリハビリテーション・サービスの充足度においては、他の障害者グループよりもまだはるかに遅れているけれども、そのギャップは初めて狭くなっているように思われる。

要約

 在宅障害者に対するサービスは、1967~1970年の間に、その数と有効性において成長してきたが、それは特に以下の分野においてであった。

 1.ホーム・ケアは非常なる発展を遂げているが、まだほかのリハビリテーション・サービスとじゅうぶんに統合されていない。

 2.ホーム・メーキングは在宅障害者に対する必須のサービスとしてますます認められてきているが、それもまだ、総体的リハビリテーション・モデルというよりも、むしろ医学リハビリテーションにかたよりがちである。

 3.歯科、建築上の障害、宗教のような特別なサービス分野においては、在宅障害者のためになすべきことが多く残されている。しかしながら、輸送は在宅障害者へのサービスの中心的な問題分野と思われているのに、この分野の進歩がひどく遅れていることを報告しなければならないのは残念である。

 4.在宅障害児の教育は現状維持かあるいはやや進展している。この分野におけるもっとも明るい兆候は、電子機器の使用が増大したことである。しかしながら、もっとも大きい問題は身体的に、情緒的に、知的に制限された在宅障害児にとって、学校をもっとはいりやすいものにすることであり、家庭でサービスを受けなければならない子どもたちの数を最小限におさえることである。

 5.在宅障害者のリハビリテーションにおける波動が高まっているように思われる。このことは、現在のような初期の段階では、業績によってよりも運動によってより明白である。しかしながら、この波動はしだいに在宅障害者に対する総合的リハビリテーション・サービスを用意するという真の業績をもたらすことが期待されうる。この重要な証拠としては、在宅障害者にサービスする機関の数、増大する研究の量、社会・リハビリテーション庁やリハビリテーション事業管理庁や州および民間のリハビリテーション機関などによって示されるこの分野への強い関心、現在試験中の、在宅障害者の生活問題への革新的な接近などをあげることができる。

 6.この分野における将来の発展のための確固たる基盤が1960~1970年の間につくられた。1970年代は在宅障害者のリハビリテーション転換期になるべきである。おそらく、1980年までには、在宅障害者は合衆国の他の障害者グループと、リハビリテーションにおいて同等になるであろう。

勧告

 在宅障害者に関してなされるべきことが非常に多く残されているので、穏当な勧告の要項でも多くのページを要するであろう。これらのうち、5項目が以下に討論と考察のために提示される。

 1.合衆国運輸省は、在宅障害者の輸送の問題に対して組織的に取り組むべきである。まずなされなければならないことは、そうすることができる在宅障害者のだれにも、職業・保健・社会活動に定期的に参加するため、家を出る機会を与える全地域社会の輸送網を実際に確立することである。

 2.合衆国住宅都市開発省は、建築上の障害に関する拡大された概念に応じて、行政的にその範囲を広げるべきである。この概念とは、公営住宅を使用する者はだれでもが、その位置、不適当な容ぼう、環境がなんであろうと、地域社会が提供しなければならないものすべてを利用できるようにする、ということである。Housing and Urban Development基金は、建築上の障害の除去に関する基準に合い、在宅障害者の居住者と自宅所有者に優先権を与える住宅ユニットにのみ援助を与えるべきである。さらに、在宅障害者が豊かな生活を送り自活できるようにさせる、リハビリテーション・センターやシェルタード・ワークショップの近くに住宅を建設しようとするリハビリテーション機関がHDD基金を利用できるようにすべきである。

 3.社会・リハビリテーション庁およびリハビリテーション事業管理庁と州のリハビリテーション機関は、在宅障害者にサービスを企図する機関に対して、特別の奨励制度を設けるべきである。これらの奨励方法はサービスに対する料金の引き上げとか特別助成金などが考えられる。

 4.社会・リハビリテーション庁の助成金は、在宅障害者に対する地域社会の冷淡さを克服する方法について実験するグループに対して与えられるべきである。そのような実験は地域社会の冷淡さを建設的な社会活動に変えることに関して、社会心理学の知識に基づくべきである。

 5.立法命令により、合衆国議会は在宅障害者の研究、訓練、サービスの中心となりうるCenters for the Rehabilitation of Homebound Persons を1か所以上創設すべきである。そのようなセンターが設立されるまでは、社会・リハビリテーション庁は、Programmatic Research Project on the Rehabilitation of the Homeboundを調整・促進機構として利用しつつ、この分野のプロジェクトを発展させるべく、地域のグループを督励すべきである。

(Rehabilitation Literature,July 1971 より)

参考文献 略

東京教育大学教育学部付属桐が丘養護学校教諭


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1971年7・10月(第3・4号)2頁~11頁・2頁~13頁

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