結婚と障害者

結婚と障害者

Marriage and the Handicapped

Miss Margaret Morgan*

奥野英子**

 「結婚と障害者」というこのトピックは、つねに複雑かつ強い感情をひきおこすものであり、そしてまた、これは障害をもたない人びとにも、強く左右されることがしばしばである。障害者の結婚や家庭生活に対する一般の人びとの反応は、昔とはもちろん変化してきているが、しかしその速度は遅々たるものである。どういうわけか、身体障害をもつ男と女の間に性的関係がありうると考えることは、多くのいわゆる“正常”な人びとにとって受け入れがたいことなのである。しかし、セックスに対する現代の風潮は、10年昔前のものとはかなり異なっているので、障害者どうしの人間関係に対する一般の反応ももちろん修正されるであろう。

 一方、専門家の意識はかなり高まってきており、これは一般の人びとの意識とはかなり違っている。障害をもつ男女は、ほかの人びとと同じような欲望、あこがれをもっており、性的衝動も基本的には同じである。結婚の権利をもっているのである。結婚についての個人の権利は、より広く認められつつあるが、その選択範囲は非常に限られ、ケースによってはそのかかえる問題は克服しがたいほど大きいのである。

 青年期にある脳性マヒ者の社会生活を詳細にわたり調査してみたが、想像していたとおり、彼らの大多数の社会生活は非常に限られており、自宅の外とはほとんど接触がなく、その結婚率を見てみても、一般人口の比率にくらべて非常に低い。状況が変化するきざしは見えており、近い将来には、もっと多くの若い障害者がプロポーズをしたり、結婚に進む人間関係を持つようになるであろう。「あなたがたが結婚なんて、とんでもない」、「こんな問題をここで再び言いだしたら、許しませんよ」、「障害者は普通の人と同じように、性的はけ口なんて必要ありません」などということばをこのごろは聞かなくなったが、これは非常に喜ばしいことである。この問題に直接関係する人びと、すなわち、自分自身が障害者である場合は自分で決断をくだせるのである。障害者の親たち、施設や学校の最高責任者、友人、ソーシャル・ワーカーなどにその決定をゆだねなければならないなどと考えなくていいのである。

 もし若い障害者に選択の自由がもっと与えられるならば、彼らは精神的にもっと成熟し、知識や経験も豊富になり、理性的かつ賢明な決断をくだせるようになるであろう。われわれにとってもっとも心配な要素の一つは、身体的な成長は普通の人びとと同じにもかかわらず、情緒的に未成熟な障害者があまりにも多いということである。これは、障害によって行動範囲と生活経験が非常に限られているためであろう。しかしまた、まわりの人びとが彼らをいつも子供として扱い、おとなとしての人間関係をもたないために、その精神的未熟を助長しているともいえる。

 多くの障害者は、おとなとしての責任・義務を学ぶ機会を全く持っていないことを、これは意味している。そして、結婚したときに生ずるギブ・アンド・テイクや責任の観念を全く持たず、結婚とはもっとも望ましいものであり、尊敬に値するものに見えるのである。

 残念なことに、多くの障害者は生理学に関する基本的知識ばかりでなく(昔の人びとは中年になるまで知らなかったことを現代の若者は11才か12才で知り尽くしているのに)、結婚や育児に付随してくる実際的・経済的問題さえ知らないのである。

 結婚を望んでいる若い障害者は、つぎのような現実的諸問題にぶつかっているのである。

 1.住居の問題

 2.家事の補助について

 3.職業の問題

 4.交通機関について

 5.経済問題

 まわりの人びとの時間とエネルギーを必要とする問題ばかりであるが、これらがもっとも困難な問題なのである。それでは、これらの事実についてまわりの人びと、たとえば親たちはどのように考えているのであろうか。驚くべきことに、若い障害者をもつ親たちの多くは、障害をもった嫁や婿を感情的に受け入れがたいのである。彼らはお互いに性的に満足できるのであろうか? 結婚関係をうまく維持できるであろうか? 性的不能者であったり、不妊症ではないだろうか? 生まれてくる子供は障害児ではないだろうか? 普通のバースコントロールでいいのだろうか?

 このように、障害が重ければ重いほど、親たちの心配は深くなるのである。これらの多くの問題は結婚を考える若い年代の人びとすべてに共通の問題であるが、障害者は、自分が障害者であるがために自分たちだけがもつ問題だと考えがちである。これは認識しなければならない重要な問題である。

 結婚したら付随してくる義務や責任を取ることができないならば、結婚外でのセックスはどうなのであろうか。これは道徳的・現実的立場から考えなければいけない問題であるが、もしあなたが障害者であったら性的衝動をどのように処理するであろうか。これは非常に現実的であり、むずかしい問題となろう。身体障害をもたないわれわれは、仕事、室外スポーツ、趣味、社会サービスや他人の子供に興味を向けたりすることにより、エネルギーを他の方向に向けられるが、もしあなたが障害者だったら、これらの機会はもっと限られてくるのである。

 障害をもつ青年男女は、人間関係分野において広範囲にわたる種々の問題を、個人的に、またはグループで話し合える機会をもっと必要としていることを、これらの問題は指摘している。障害をもたない若者、その親たち、教師たちとのコミュニケーションは非常にむずかしい。そして、多くの親たちや教師は、障害をもつ青年男女とこのような問題を直接話し合うとき、感情を押さえてしまうのである。ある学校では、より経験の深い外部の人や結婚相談員などの助けを求め、学校や訓練センターにおいてグループ討議を企画している。参加する人びとが、障害をもつ青年男女の諸問題を現実的に正しく認識しているなら、このような催しは非常に前向きのものであり、もっと奨励すべきである。

 1970年6月、Reading Universityにおいて週末会議が開催され、英国内および海外から250名の障害をもつ青年男女が参加した。この会議は、The Association of 62 Clubs(障害者による、障害者のためのソーシャルクラブ)が主催し、The Spastics Societyが後援した。この会議では二つの主要議題が討議され、その一つは「結婚と障害者」であった。本稿著者が導入演説をしたあと、参加者はいくつかの小グループに分かれて討議した。小グループで討議したあと、また全員が総会場に集まり、各グループの報告があった。総会においても質疑応答が行なわれた。会議に参加した障害をもたない人びとの反応も望ましいものであり、また障害者も非常に率直、誠実に、そしてかつ現実的に個人にかかわる問題を話し合えたことは、驚くべきことであった。参加者の質や、討議の内容も非常に高度なものであった。取材にきた新聞記者はつぎのように述べていた。「小グループでの話し合い、総会での討議は非常に多岐にわたり、率直な意見が出されていた。これは性教育改革の必要性を感じている専門家にとっても、望ましい方向ではないだろうか」と。

 しかし、参加者大多数の結論はつぎのようなものであった。特別措置や実際的・経済的援助によって障害者どうしの結婚が成立する例も多いであろう。しかしだからといって、障害者は一般の道徳規準や家庭生活形態を守らなくてよいわけではない。たとえば、試験的結婚が一般に認められていないならば、それをどうして障害者ができるだろうか。それを受け入れるにはそれ相当の正当化が必要であろう。子供を生むべきか生まざるべきか、の問題は自分たちで決定すべきことであると強く主張されてきた。これは親が決定すべきものだと考えられてきたが、まだ生まれていない子供のニードを考慮に入れなければならないのではないだろうか。一般的にいって、自分で子供の世話ができない重度障害者は子供を生まないほうがよいと考えられてきた。また、片親または両親が障害者の場合に、その子供は自分の親についてどんな感情をもち、またどんな問題が生まれるかも考えなければいけないだろう。

 討議の結果明らかになったことであるが、自分の子供を生みたいという欲望、また、障害があろうと自分は男性として、女性としての機能は正常なのだと実証したい気持は、だれよりも強いようである。

 障害をもち結婚している数名の参加者は、自分たちの子供について、「非の打ちどころのないほど健康である」とか、「今まで私が見た赤ちゃんのなかで、私の子ほどかわいい赤ちゃんなんて見たことがない」などと述べていた。車イスを使用し、子供をもつ母親は、「わたくしの母の手助けがなければ、子供の世話はできなかったでしょう」と率直にその点を認めていた。

 自分たちの生活力が低いため生活に必要な賃金を稼げないなどの経済的問題とともに、住宅問題、交通機関の問題などもみな非常に切実な問題であった。

 現状を改善するために現実的な提案がいくつか出された。ただ障害者であるという理由だけで不必要な特権を与え、社会から孤立させるよりは、障害をもつ夫婦をもっと地域社会に密着させるべきでないか、との意見が多かった。

 この会議から学んだ大きな教訓は次のようなことであった。障害者は、自分たちに個人的に、かつ深く影響する諸問題を話し合う機会がほとんど与えられていない。機会があれば彼らは、専門家が想像している以上にその状況を理解し、現実的にとらえているのである。障害者について話し合うよりは、障害者とともに話し合う時間を設けるべきではないだろうか?

(Rehabilitation in Australia,January 1971 より)     

*Head of the Social Work and Employment Department,The Spastics Society,United Kingdom.
**日本肢体不自由児協会書記


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1971年7月(第3号)12頁~14頁

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