Benjamin Pumo*, Robert Sehl**,and Floyd Cogan***
池田 勗**** 手塚一朗****共訳
障害者の就職あっせん業務は、人間の行動とか、常に変動する職業市場などの不確定要素を取り扱うだけに、この問題は何かひとつの解決策があればよいというものではない。はっきりとした物品を売るときは、製品の長所と限界をあらかじめ知っていることができる。しかし就職あっせん業務過程の場合にはいつも、そこでわれわれが売るのは、アイディアであり、サービスであり、多くの場合には非熟練・未経験な気の重くなる個人なのである。彼らは各種の技能面ではひととおり訓練されてはいるが、職業を選ぶこと、職場を決めること、適正雇用の維持ということについてはよく知らない人たちである。
われわれは、常にどこから始めたならばいいのかというディレンマに直面している。職選び、職場の決定、雇用関係の維持等に対する援助は、そのどれもが特に重要であるのだろうか。答えは明瞭で、この三つは同程度に重要である。ハンディキャップをもった労働者の身体的限界に注意を払うのと同様に、態度・くせ・願望・一般の職業が要求することや作業標準についての知識に関しても注意を払わなければならない。
選択就職あっせんの技法を適用する際にも、依然として個体の不確定行動という未知の要素に直面する。クライエントが雇用主と初めて面接するときに、自分の能力を過小に売りこむか、過大に売りこむかは、どのようにしたらわかるのだろうか。また、障害者が雇われたとしたならば、そこでの職業上のエチケット、安全基準、作業方針、手順に適合していけるかどうかについて、どうしたらわかるのだろうか。
われわれにできるのは、評価・訓練・カウンセリング・相談指導の概念を最高度に適用することによって、障害者は一般雇用というゴールを目ざすことができると仮定することだけである。しかしながらわれわれは、就職あっせんという場において、いま役だてられるかぎりの、職業場面に対しての最大限の準備と知識という「弾薬」で、クライエントを武装させることはできる。
1965年6月、トレド・グッドウィル・インダストリーズ・リハビリテーション部は、オハイオ州職業リハビリテーション局と協力して、職業レディネス・就職・フォローアップ・クリニックの設置は有効か、ということに関しての広範囲な調査を開始した。その結果、クリニックは直接就職あっせんの実務には携わらないで、いかにして適職を選び、職場を決定し、維持するかをクライエントに教えるところとすると決定した。クリニックへの登録が認められるクライエントは、職業訓練を終了している者、ないしは売りものになる技能を持っている者でなければならず、クリニックを成功裏に終了するにふさわしい、身体的・精神的・情緒的適性のある者にすると決定された。
クリニックは、障害者のリハビリテーションと就職あっせん分野の専門家で構成されており、彼らは自分の知識、技能、経験を応用して求職活動の最も近代的概念を障害者に教えるのである。
1965年7月に、職業レディネス・クリニックは計画され、他のサービス機関や専門家の協力を得て、トレド・グッドウィル・インダストリーズ・リハビリテーション部が運営に当たることになった。専門家はクリニックのスタッフとしてだけでなく、コンサルタントとしても機能することになった。
クリニックは延べ4週間にわたり、6回の単日セッションと、3回の求職活動セッションという構成で計画された。この求職活動セッションでは、登録者は雇用主を数回訪問し、その結果として自ら発見したことがらをクリニックのスタッフに報告し、ともに反省、評価するように指示される。
職業レディネス・クリニックは、先導的計画として、1965年7月26日(月曜)に公式に開催された。オハイオ州職業リハビリテーション局とグッドウィル・インダストリーズのケースの中からとりまぜて11人が登録者として選ばれた。11人は2種類の類型に分かれ、第一グループは近々職業訓練プログラムを終了する予定の者であり、第二のグループは「職業リハビリテーション局第6段階、(就職待機中)」とされた者のうち6か月以上失業している人たちである。できるだけ多くの登録者が就職できるように、これらグループの比較検討用資料が用意された。
当初の目標は、長期失業者群に対する短期失業者群の職業レディネス訓練の効果を比較研究することにあった。いろいろな障害者男女を抽出し、年齢も18歳から55歳にわたっていた。障害の種類は、精神遅滞、情緒障害、脳性マヒ、種々の整形外科的障害、弱視であった。
第一日目のセッションは、われわれはなぜ働くのか、クリニックの目的は何か、についての基本的理解ということに強調点が置かれた。開会の部では、クライエントは相互に紹介され、テーブルを囲んで気やすく討論するように配慮された。ついで、就職あっせんカウンセラーが雇用申込様式の簡単な説明をした後、クライエントは自分の力をフルに使って書類に記入した。最後に、この記入されたものをクライエントみんなで見なおし、でき、ふできの成績をつけた。この場合、成績は、きちんとしているか、完全か、適切か、という観点からつけられた。
「われわれはなぜ働くのか」という映画が映され、心理判定員が解説し、パネル討論で質疑応答がされた。労働レディネスを調べるために、また、労働態度の概念を調べるために、一つのテストが行なわれた。これは後日全員で吟味することになっていた。
第一日目の最終セッションは、「障害者は働ける」というテーマで、職業的に成功している重度障害者の講話があった。次回の準備として、実際に就職のための面接に行くつもりで、服装、身づくろいを整えてくるよう言い伝えられた。
第二日目のセッションは、職業レディネスの諸要因に当てられた。まず、前日記入した雇用申込書の吟味討論がされた。次いで「職を得られないやり方」「職を得られるやり方」という二組の役割演技による雇用面接が行なわれた。この際、就職あっせんカウンセラーとリハビリテーション・カウンセラーが場面展開の演出に当たった。クライエントはこの二つの役割演技の観察者となり、まちがいと適切なやり方についてすべて記録しておくよう指示された。これらは最後に討論された。
日常生活での「身辺清潔」の重要性について有資格看護婦が話し、「身づくろいと職業上のエチケット」について、先進的チャームスクールの講師が講話した後、クライエントといっしょに質疑応答に加わった。不適切な服装をしていた人には個々に相談指導がされた。
第二日目の最終セッションは、企業の人事課長が自ら話す「採用責任者が率直に語る」でもりあげられた。この講話で演者は、採用方針、雇用主はこれから採用しようという人に何を期待するかという話題について述べた。
第三日セッションは、求職活動の方法が強調された。最初、就職あっせんカウンセラーの「どこで仕事を捜すか」の講話と討論で始まった。ついで、職業マナーについての映画上映。そのあとで、黒板を使って、要約した自己紹介(人物レジメ)の作り方と使用法について解説がされ、次回までに各自作って持ってくるよう指示された。
オハイオ州雇用サービス部の代表者が、地域の雇用サービス事務所のあっせんサービスの説明を行ない、これら事務所にまだ登録していないクライエントは登録するよう勧められた。これは、重要な就職あっせん源の活用に道を開くことになるからである。このあとで、近くの公益事業の事務所の見学が手配され、そこで事務所の業務と近代的情報処理システムを見学した。
第三日セッションの最後は、求職活動の開始であった。クライエントは翌日から三日間に何人かの雇用主に接触するよう指示され、それぞれの様子を特別に用意した様式用紙に完全記録しておくよう指示された。この様式には、第四日目のセッションの最初の討論に供する目的で、企業名、所在地、業務の種類、面接者名、結果を記録する欄が作られていた。
第四セッションは、主として、求職活動体験、そのときの問題点、結果についての集団討議に当てられた。個々のクライエントの体験、反応、印象、活動方法をクリニックのスタッフが吟味し分析した。一人の女性は、自分の体験した面接はたいへん見込みのあるものだったと報告していた。この女性は二日後に雇用されることになった。この最初の成功体験は残りの人たちに大きな刺激となった。
雇用面接の映画が上映され、それから、オハイオ州の労働災害補償のしくみと二次災害補償条例の説明がされた。二回目の見学が行なわれた。今度は近くの自動車製造工場で、ここでクライエントは現実の製造場面、組立てラインの動き、諸設備を実際に見ることができた。この見学会が終わった後、クライエントは、次回セッションで吟味するための二回目の求職活動面接を指示された。
第五回セッションは、第四セッションと同様、クライエントの求職活動体験をクライエントとスタッフの両者で分析することから始められた。全体の中で3人は、最低12人の求人者と面接するという課題を果たしていないことがわかった。そこで彼らには、もっとほかの雇用主に接触する努力をするよう、いくつかの職業への誘導がされた。
第二回目の役割演技場面が設定された。今回は、クライエントは相互に面接者となり、残りの人が分析者の役を演じた。この日の最終討論過程は前回とは別の人事課責任者が受け持ち、雇用主と頻繁に会うこと、求職活動の組織的方法の工夫、自己確信の態度が重要であると強調した。
最終回の第六回セッションの最初は、当クリニックで行なわれたことを振りかえってみることで始まり、同時にこの際には、この先導的プログラムの効果を自己分析した。終了時までに雇用に結びつかなかった人は11人中4人だけだったことがわかり、これは満足できる結果であった。これら4人に対しては、別途強力な個人カウンセリングが始められ、また、全員のフォローアップと成長記録をとる計画が展開されることになった。
クリニックに参加した11名のうち、9名はうまく雇用に結びついた。その中には過去2年間も失業していた男子1名が含まれていた。1名はクリニックの中途で脱落してしまい、クリニック過程を終了できなかった。参加者1名当たりの雇用主との接触平均回数は15回であった。1名は第一セッション終了後脱落、2名は課題数の雇用主との接触を果たせなかった。
成功率を調べるため、別途に、以下の諸点との関連でのフォローアップ研究が計画されている。
・年齢層
・障害のタイプ
・失業期間の長さ
・職業訓練の程度
・雇用主との接触頻度
セッションの終了に当たり、未就職のクライエントに対しては、強力なカウンセリング、雇用主との接触、フォローアップを継続することが決定された。
就職潜在性との関連でクリニックの経過全般を分析したとき、クリニックの参加者は就職可能性に欠けていたと思われていたにもかかわらず、うまく就職にまでこぎつけられたこと、これはグループ全員が信じた。これは、就職あっせんカウンセラーの経験にもとづく判断でも肯定的であった。
著者らはまた、雇用主とクライエントの反応についても、総合的な研究はしていないが、すべての兆候が順調であったと感じている。接触を持った雇用主たちは、この新しく、より積極的なアプローチにたいそう熱意を示していた。クライエントのほうはといえば、当初気おくれのしていたのは明らかであったが、間もなく、態度においても、自己の就職可能性へのアプローチにおいても顕著な変化をみせた。
1965年10月と1966年5月には追加のクリニックが開催された。この間、トレドでの失業率は1965年7月の3.3%から、1966年5月の2.7%に下がっているが、当該障害者の就職においてはじゅうぶんな反映は見られなかった。統計的な結果は以下のとおりである。
損傷のタイプ |
参加者数 |
脱落 |
就職 |
成功率 |
情緒障害 |
11 |
1 |
7 |
63.6% |
肢体不自由 |
11 |
|
7 |
63.6% |
精神薄弱 |
3 |
2 |
2 |
66.7% |
てんかん |
3 |
|
2 |
66.7% |
視覚障害 |
1 |
|
1 |
100% |
計 |
29 |
3 |
19 |
73.1% |
ここでやったようなグループ相互作用によるアプローチは、クライエントの自己概念を強め、内的な力強さを解き放ち、これらは、就職への過程でカウンセラーの努力に補足作業となること多大と思われる。
(Journal of Rehabilitation,Sept-Oct.,1969より)
*Mr.Pumoはオハイオ州トレド・グッドウィル・インダストリーズの人事・リハビリテーション部長、職業レディネス・クリニック・プロジェクト部長である。
**Mr.Sehlはトレド・グッドウィルの就職あっせんサービス部コーディネーターであり、職業レディネス・クリニック・プロジェクトのコーディネーターもつとめている。
***Mr.Coganはオハイオ州職業リハビリテーション局のトレド事務所長、職業レディネス・クリニック・プロジェクトのコンサルタントである。
****東京都心身障害者福祉センター職能科勤務
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1972年4月(第6号)20頁~23頁