スタッフ―患者関係の重要性

スタッフ―患者関係の重要性

The Impact of Relationships

――Staff Problems and Consumer Needs――

Elsbeth Kahn*

新井由紀**

 治療施設におけるスタッフと患者の間のつながり(スタッフ―患者関係)が、その患者の社会的な適応性に及ぼす影響は世界じゅうの話題となっている。ここでは、治療の過程にある患者の示す反応の多くは、スタッフの態度や行動によって引き起こされるものであるという信念のもとに、このスタッフ―患者関係におけるスタッフ側の影響力に焦点をあてて議論をすすめていく。このスタッフの注ぐ力が、治療を目的とした環境にあっては、実に重要な鍵となるのである。

 この論文では、スタッフの行動を左右し、ひいてはスタッフ―患者関係に緊張をもたらすおもな原因となる要素を四つの分野にわたって分析していこうと思う。その第一の分野は大きくとらえた社会の構造、第二には組織的生存のための条件について、第三は文化に関して、そして第四は個々のスタッフに共通して見られる個人的ニードや葛藤、である。

 これらの要素が、どのようにスタッフの側にあいまいさ、恐れ、不安をもたらし、さらには、彼らのリハビリテーション・プログラムの過程にある脊損患者の真に必要としていることに対する認識をゆがめることになるか、ということを追求していくことが目的である。これらの要素は、スタッフの個人的―職業的役割に関するはっきりした分別、スタッフ―患者関係のもつ治療的効用を左右するものである。この正しい形のスタッフ―患者関係が妨げられると、障害者のリハビリテーションにおける可能性、つまり社会的機能の回復も妨げられることになるかもしれないのである。

社会的条件

 人間関係における問題ということになると、私たちは従来、おもに心理的な障害がどのように行動の上に現われているかということに原因を探り、答えを求めようとする傾向があった。社会の機構、制度、そしてその中に住む人間の社会的機能の関係について研究し始めたのは、つい最近のことである。ここでの議論から、社会の構造と網の目のような制度から生まれた否定的な人間関係の分脈が、健康管理に従事する者とそのサービスを受ける者との間の相互関係に、重要な影響をもたらすものであることがわかってくるであろうと思う。

 リハビリテーションの過程においては、その相互関係の質的なものが特にたいせつな意味をもつ。リハビリテーション施設におけるスタッフと障害者の関係は、普通の病院の場合よりも長期にわたって続けられるので、ここでの人間関係は、よかれあしかれ治療のためのより強力な手段となってくる。

 こんにちの社会の構造では、政治・経済の制度と保健・教育の制度がかみ合わさっている。つまり保健関係の組織のゴールは、保健に対する一般的な価値観に基づいて決まる。そしてこの価値というのは、地方や国全体の健康管理の需要に関する研究調査の結果よりも、大部分は政治的に、あるいは予算編成の過程で決定されてしまう。政治が健康管理を必要とする状況を定め、またある条件の下に保健に関する社会政策の恩恵に浴することになるであろうグループを決定するのである。

 

 このように、国民の懸念、政治家だけの一人相撲は、一般政策の中に盛り込まれ、さらに法律の形に移行していく。法律的手続きをとおり、保健事業に対し一定の優先順位に従って割り当てられた資金は、その配分の方法のために、きわめて限られたものである。政治はこのときに、連邦政府の保健教育福祉省の下部機構の組織によって行なわれている専門的事業の実際と接触することになるのである。

 健康管理を施すものは、管理職の立場にある人から実地に働いている人まで、このような政治的ないきさつに依存している各施設の組織的存続の不安定性におびやかされている。そしてその不安や恐れから、施設の現状を維持させるため、種々の操作をするようになるという結果を招くことになる。

 ここで問題となるのは、そのような状況は、保健事業に従事する者の健康管理の問題や、サービス利用者の真に必要としていること、能力に対する認識の目を変えてしまうという事実である。スタッフは、特定のリハビリテーション・サービスが引き続き必要なものであることを証明するための治療計画を企てるようになる。その結果引き延ばされた治療、あるいは訓練プログラムは、患者に不必要な依存性を強要することとなる。極端に依存した立場に残されたままの利用者は、すでに彼自身も、もはや必要ないと思っているようなサービスに取り囲まれているようなことになり、こうして、自己の方向づけの動機をくじかれてしまう。このようなことは、客観性があり、治療的効果をもつ相互関係の成立を不可能にするものである。

組織的条件

●組織間の交換性

 各地域に依存する保健施設は、有効な交換のシステムといったような相互依存の関係の下でないかぎり、存続していくのはむずかしい。そのような相互依存の条件とは何か?LevineとWhiteの唱える組織間の交換の概念が、この問いに対して最もよく答えているもので、共同の仕事、したがって、保健分野におけるスタッフ―利用者の関係にもあてはめることができる。

 この二人の著者によれば、組織というものは、お互いの任意的な交換協定をとおして、相互に依存し合っているものである、ということである。

 ここで言うならば、どのような保健施設も、そのゴールや存在の目的を果たすためには、次の三つの条件がそろわなくてはならない。すなわち治療を必要としている人、人以外の資源となるもの、そして実際にサービスを行なっていく人的資源である。最後に、安定した交換の状態というのは、関係施設の間の専門の領域に関する意見の一致によって決まる。この領域というのは、その組織のゴールや機能によって定義づけられる。保健施設の場合は、その領域というのは、扱う病気の種類、対象とする患者、治療の方法などによる。このゴールや機能が明確に区分されているほど、交換の状態は安定したものとなる。一定の地域に存在する施設はそれぞれの機能がよりはっきりと分化されていれば、お互いに競争することなく、その本領やサービスをじゅうぶんに交換することができるのである。

 上に述べた交換の理論が、保健施設間、あるいは施設内の問題を理解するうえにも応用できることは明らかである。たとえば、救急病院とリハビリテーション施設の間で患者をお互いに紹介(交換)し合うことになんの問題もない。リハビリテーション施設の中において、医師と試験室の技術員との間で協定を交わすことにもさほどの支障はないだろう。しかし、お互いの領域に関する見解の一致がない場合、異なる分野の医師どうし、医師とセラピスト、あるいは応用社会学に従事する人々の間で、そのような協定を結ぶということになると、状況は変わってくる。同じ、あるいは別々の施設に働く人々が、お互いの活動が重複しているのがわかると競争的になる。領域に関してのそのような対立、競争をさけるために、保健サービスの制度は、対象の患者を年齢、病気や障害の種類、状態、宗教、さらには人種によって分けているようだ。

 教育、サービス機関のシステムが内外の専門的問題をはっきりさせて、領域に関する見解の一致を確実なものにしないと、そこに働く人々も、そのサービスを受ける人々も、未解決のままの葛藤に束縛されることになる。現場で働いている人々は、施設のゴールや機能に関する見解が未決のまま対立している不安の状態に、不安になったり、おびやかされたりして、対象としている患者の利益にならないような行動に及ぶこともまれではない。

●交流と相互利益

 スタッフどうしで、あるいはスタッフと利用者の間で、専門的情報を適切に分かち合うことは、リハビリテーションのプログラムを成功させるうえで、欠くことのできない条件である。保健の分野で行なわれる交流は、即、相互利益の関係でなくてはならない。この関係には三つの面がある。

 第一に、保健の分野に従事する二人ないしはそれ以上のスタッフが、お互いの利益のために患者に関する情報を分かち合うことである。このことは、協力的に行なわれていれば、患者の治療計画の方向をともにすることに結びついていく。しかしながら、不安定な状態におびえているスタッフは、ほかのスタッフや患者の活動に対して権力や支配力を固持しようとして、その交流の過程で自分に都合のよい選択をする。しばしば、道義的配慮という名目を装ってたいせつな情報を保留してしまう。そのようなごまかしがとおるようになると、当然そのスタッフと治療を受けている人、あるいはほかのスタッフとの関係は制約されたものになってしまう。

 第二に、共同で働くスタッフどうしは、専門分野の教育や研究から得た新しい知識を分かち合わなくてはならない。利用者のために効果的なサービスをするためには、それぞれのスタッフは生物理学的、社会的、そして心理的要素の相互関係の本質を理解しなければならない。専門領域の対立におびえていたり、不安を感じているスタッフは、容易にそれらの新しい情報を仲間たちと交換しようとはしない。

 第三に、職務上の紹介、あるいは交換のシステムは、適切な情報交換の上に成り立っているものである。領域に関する対立を交流関係の中で支配しようとするワーカーは、利用者にほかのサービスについて不適当な情報を与えたり、逆に受けたり、あるいは自分では情報の全部を保留してしまったりする。その結果、自分の能力以上の責任を負うようなことになりがちである。ワーカーはまた、支配する立場に立とうとするところから、利用者との関係に緊張を加えることになる。保健分野の専門職が急増しているこんにち、患者の利益を守るために、この領域に関する対立の根底にある問題について、真剣に考えてみる必要がある。専門家たちの見解が統一された価値、ゴールや目的、役割、義務、そして教育や訓練の資格などによって、サービスの分野を区分することは可能である。

文 化

●障害と依存

 私たちは伝統的に受け継がれてきた文化の影響で、みにくいもの、病気、障害、そこなわれたもの、そしてもちろん、死というものに対して(恐怖でないまでも)否定的な反応を示す傾向がある。永遠の若さと美は尊い価値あるものとされている。私たちの中に意外に深くしみ込んでいるのは、しばしば無意識のレベルではあるが、病気、その他を罪や罰と結びつける宗教的信心である。私たちの文化は、根本的に、いまだに感情、特に苦しみの感情を抑圧することを強いている。実際に、病気の人が苦しみを打ち開けようとするときなどには、私たちはこれに対して拒否する態度を示すことが少ない。

 障害者は、変えることのできないものを変えてくれることを期待しているのではないということが、私たちにはなかなかわからない。障害者の彼は、ときに苦しみの気持を他人に話して分かち合ってもらうことにより、自分でその重荷に耐えていかれるよう助けを求めているのだ。個人の自立を尊重するこんにちの文化的背景の下では、他人に依存する人々にはきわめて批判的である。私たちは、入院の初期には、利用者に対して依存した立場をしいる一方、退院の日を決めて、間もなく自立の生活の始まることを突然告知するときには、この回復に向かっている個人の中の新しい生活に備えての順応性を、すっかり台なしにしてしまっていることには少しも気づかない。そして同時に、そのような他人に依存している立場を離れられない人に対しては、少しも容赦できないのである。

●価値と治療のゴール

 物の価値というのは、そのときの社会の哲学や社会の向かっているところを示している。異なる専門分野の間、あるいは同じ分野の中でも異なることがある。いっしょに仕事をしているワーカーの間で対立する価値が重んじられていると、それはひとつの問題についても異なる治療のゴール、方法となって現われる。

 たとえば、同じチームのメンバーどうしであるワーカーたちが、職業上の倫理についてみんな同じ価値を認めているとは限らない。障害者の世話に関する家族の責任、種々の援助の利用、特に経済的援助の場合に福祉事務所をとおして受けるか、復員軍人局の障害者保障制度を通じて受けるかなどということについて、異なる見方をもっているだろう。もちろん意見の相違というのは、必ずしも専門的能力の差からくるものとは限らない。スタッフの定めるゴールや利用者の必要としていることに対する応じ方は、それぞれの専門とする役割によって異なってくる。その一例が、研究、調査にたずさわる人と実際にサービスに従事するワーカーとの異なる物の見方で、ここでは価値の対立が明らかである。

スタッフのもつ共通の必要と悩み

●家族経験の再現

 病院のもつ社会的構造は、利用者とスタッフの両方がそれぞれの以前の経験を再び映して行ないやすいようになっている。このことはスタッフ―利用者の関係が長期にわたり、緊密になるほど明らかで、そのような関係が持続されるにつれて、無意識のうちにおのおのの過去の生活の経験を再生する傾向も強められてくる。お互いの中に自分を見たり、利用者を自分の両親、競争相手の兄弟、生徒、教師その他に仕立てあげる。そのような状況の下では、スタッフ―利用者関係におけるスタッフの役割はあまり理性的にかなっているとはいえない。

●自己の主張

 スタッフ―利用者関係に見られるもうひとつの危険は、スタッフの自分の存在を認めてもらいたいと思う人間的な欲求と関連がある。私たちは他人を助けたいという動機から、この保健の専門分野にはいったのだということを忘れてはならない。しかしながら、この他人を助けたいという心の呼びかけは、また自分が他人に認められたいと思う反対の面を持ち合わせている。これはスタッフの利用者に対する責任を遂行する能力に影響するし、さらにまた、サービスを受けている側の利用者の巧みな操作などにもつまづきやすくなる。

●知識、技術の共有

 共同の仕事を成功させるためのおもな条件は、チームのメンバーがお互いの専門として行なっていることを尊重し、認め合うことである。しかし同時に、それぞれの専門の領域、しいては各分野の特異性を守ることに対し、より多くの知識や技術を分かち合うことが必要になり、これに備えなくてはならないようになってきているようである。その具体例を見てみよう。

 病気の、あるいは障害をもつ人の社会的・心理的問題がますます認識されてくるにつれて、保健分野の専門家たちは社会科学、心理学、精神科学の理論や方法を応用するようになってきた。各専門分野が他の分野の知識や技術をとり入れるたびに、共有する知識的基盤は広がっていく。このときに、各分野の専門的知識や技術が、これにつりあうよう高められていかないと、一種の緊張状態が生まれる。なぜならば前にも述べたように、保健の分野において、最終的にその専門の領域を決定づけるのはその専門の知識であり、技術だからである。

 看護婦が彼女の仕事の中に社会科学の概念を用いるからといって、彼女はソーシャルワーカーにはならないし、理学療法の技術を採用するからといって、セラピストになるということにはならない。情報が豊かになるにつれて、共同の教育を広く行なっていくよう、より大きな力を注いでいくことが必要となってきている。この結果、異なる専門分野の間の、あるいは分野内での各自の機能があいまいに、不明確になるとは限らない。教育者らの協力によって、保健分野の基盤となる専門の知識体系に対し、新しい知識を共有のものとしてとり入れていくための基準となるような、有効なモデルが打ち立てられることが望まれる。

●社会的距離

 障害者の肉体的、心理的苦痛が関係するスタッフに与える衝撃は、脊損のように悲劇的なできごとが原因となっている場合はいっそうのこと、かなりのものである。そして時間がたつにつれて、スタッフとしての義務を遂行していくうえで、必要な客観性を保つための心のゆとりを減退させていく傾向がある。私たちの多くは、適切なスタッフ―利用者関係というものについて、意外にあいまいである。

 Dr.Edmund Pllingrinoは医師―患者関係に見られる矛盾について語っている中で、その矛盾は個人的なものを軽視する科学としての医学と、こんにちの主流をなしている文化的価値、つまり個人の尊厳と価値を強調するものとの対立に根ざしていると述べている。George Simmelは「真の理解のためには近さと、適切な判断のためのある距離とが必要である」と言った。Renee Foxも「捕われない形の関心」について語っている。

 肝心なことは、利用者と極端に近い関係をもつことを強調するあまり、専門分野の内外で自分たち自身を、またお互いどうしを苦しめることになっているということである。利用者に対するより深い「理解」と「関心」を示すことによって、よりよいサービスができるはずである。治療の過程で、スタッフ―利用者の関係が機能的な役割をもつ場合には、その関係の近さの度合いに特別な条件が必要である、ということを忘れてはならない。治療効果を目的としたスタッフ―利用者の関係における社会的距離の機能については、調査、研究に基づいた多くの資料が出てきているが、その中にある主要なことがらが指摘されている。

 この社会的距離の条件というのはおのおのの専門家の果たす役割によって異なるということである。たとえば、外科医は非常事態のときにのみ活躍する用意でいるばかりでなく、手術を受けなくてはならず、危険に立ち向かい、不安におびえている人を力づけてあげることも必要である。

 どのような医療的、外科的職務にもかかわらず、患者のために心のささえとなるような関係を築く才能に恵まれた医師やスタッフがいるものだが、ほとんどの人はそうでなはない。その能力を学んで身につけなければならないのである。したがって、そのような役割をお互いに押しつけ合う傾向があり、特に医師を駆り立てて病人と必要以上に近い関係に立たせてしまう。そうすることで、医師を私たちから、また利用者からもかえって遠ざける結果になっているかもしれないのだ。重症の障害者や病人のために働くことは、その関係が深く、長期にわたればなおさらのこと、かなりの感情的なエネルギーを消耗するものであるということを、はっきりと認識するべき時期にきている。スタッフとそのサービスを受ける人々との間に必要なこの社会的距離に適切な配慮が施されるよう、重病や重症の人々と働く場合の基本となるパターンを正式な形で定めることによって、よりよいサービスがなされるのではないだろうか。

 今まで私が「患者」という言葉を使うのをできるだけ避けてきたことにお気づきだろう。病人あるいはリハビリテーション・プログラムにたずさわっている障害者を患者と呼ぶことは、その個人とスタッフとの社会的距離を、いわゆる身分上の特性によって制約するという微妙な意味がある。したがって、必ずしも心地のよいものではないひとつの相互関係を支配するからくりをもっているのである。

まとめ

 脊損者のための総合的なリハビリテーション・プログラムは、単なる治療以上のものを含んでいる。治療と同じくらい、あるいはそれ以上に、教育的要素が含まれている。患者とその家族のしなくてはならないことの大部分は、肉体的、社会的活動の新しい道を学ぶことである。私たちは治療についていろいろと計画を練り、概念化することに時間を費しているが、リハビリテーションの過程の教育面を分析し、それを教育的プログラムの中に、個人個人の学習形式に合わせて実施していく、というようなことは見受けられない。

 スタッフ―利用者関係に関連する四つのおもな分野について論じてきた。(1)総体的な社会の状態、(2)組織的生存のための条件、(3)文化、(4)スタッフのもつ共通の必要と悩み。この論文をとおして伝えたいと思うことは、広く応用のきくことである。どのようなリハビリテーション・プログラムにも、そしてもちろん、脊損者のためのプログラムにもあてはまる。

 脊損者は実に多くのものを失ってきた。彼のできるかぎりの社会的機能を取り戻す道も困難に満ちみちている。私たち、障害者のために働くものは、彼の患者の立場を自分たちの専門領域の問題や、ときに圧倒してくるような職務上の責任の重さと苦闘しているときの個人的な排け口のために利用して、決してそれ以上の負担をかけることがあってはならない。

Journal of Rehabilitation,March-April,1972より)

* Dr.Kahnは、現在、University of Southern California 医学部地域社会医学・公衆衛生学科の準教授、同大学の社会事業学部の助教授をつとめており、以前には、テネシー州ナッシュビルにあるVanderbilt University Medical Centerの社会事業部長として活躍していた。Brandeise UniversityにおいてPh.D.(Medical Sociology)を修得した。
**日本障害者リハビリテーション協会嘱託


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1972年4月(第6号)40頁~45頁

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