ハビリテーションを再検討する

ハビリテーションを再検討する

Habilitation Revisited 

本稿は1971年10月、シカゴで開催された全国リハビリテーション協会年次総会の講演を編集したものである。

Frederick A.Whitehouse,Ed.D.*

中西正司**

 ハビリテーションの現状を検討し、その価値を見直し、できれば、ハビリテーションをさらに発展させることは有意義なことであろう。しかし、本稿の限られたスペース内でこれを試みることは、明らかに分に過ぎていよう。そこでここでは、ここ20年間のハビリテーションの概念に的をしぼって考察してみることにする。

 現在、ハビリテーションに関しては、あまりに多くのプログラムが実施されているので、本稿では、現行のプログラムの詳細な分析よりも、一般的な問題に重点をおくことにする。また実験的証明もいくつか取り上げるが、これは1950年代の初めから主流になっているもので、ある種の生物の進化は結果として有害になるという命題を例証している。

 子どもの成長に関する分野の研究は、ここ20年急速に進歩しているので、精選してかかる必要がある。私はここで、これら諸研究の成果について論評するつもりであるが、主題にはいる前に、どういう動機でこの論文を書くようになったかについて、個人的な回想を語らせていただきたい。

 1947年に、私がリハビリテーションの世界にはいったとき、若いクライエントに関してすぐ直面した最大の問題は、彼らは当然就労年齢に達しているはずなのに、その年齢と一般的な成熟度との間に、特異な不釣り合いを示しており、身体的な障害がしばしば二義的なものとされることだった。彼らは、それまで私が会った人びとの中でも最も天真らんまんなグループであり、この世界にはいってから初めての体験でもあったので、最初私は当惑してしまった。それから私は考えた。どうして彼らはあんなふうになってしまったのだろうか、どう彼らを扱ったらよいだろうか、と。

 その後ほどなく、特殊教育教師協会の会合に出席する機会をえた。教師たちはこの会を、異教徒を祈伏させようとしている宣教師団の会合でもあるかのように会を運営していたので、私はここに希望を持った。彼らは讃美歌を歌いこそしなかったが、それ以外ならなんでもやった。彼らの態度は、いわば「神は哀れな障害児を救うよう、われわれに重荷を負わせになった。この不幸な子どもたちに思いやりと慈悲と、そして同情を与えたまえ」というものであった。

 しかし、いかにこの先生たちが気高いからといっても、この子たちを成人させ、人生に立ち向かわせるのに、なんの考えも持っていないことに私は気づいた。まるで、このような若い生命がいつもむなしく浪費され、非情な社会からいつも保護され守られ、年をとってもいつも子どもであり続けると決めてしまっているかのようであった。

 私には事の次第がようやくわかってきた。

 「ジョニーはいつも遅れてしまう、彼は速く歩くことができないからだ」、「ジェニーは障害が重いのだから、宿題をする必要はない」、「ベティは教室で勉強しようとしない、でもそれは無理もない」、「フランキーは進級の意志が全然ない、それなら勉強するよう期待をかけたりするのはもうやめようではないか」

 また私に、看護婦、医師、理学療法士、父母についての知識が増え、観察の機会がふえるにつれ、彼らがめいめい異なったことをやってはいるが、実際は、同じ一つのことをやっていることがわかってきた。過保護、過度の束縛、慎重すぎること、彼らはだれも成熟の必要性を認識していないようであった。彼らは、この子らが経験や成熟の点で同年代の子と同じ歩調をとることがいかに重要かに、全然気づかぬようであった。

 たとえば、ある子がいわゆる「意味のない言葉」(innocent heart murmur )をしゃべる場合、医師はその子を保護するという名目で、閉じ込め、虚弱にしてしまったが、この裏には、医師の自身への問責と評判の下落を恐れる気持ちが働いていた。狭い専門分野の教育しか受けていない各種のセラピストは、この子たちがやがておとなになることに留意しなかったが、ケースによっては、この要素は彼らが実施する療法以上に重要であった。

 気の毒にも親たちは、しばしば罪の意識を持ち事に当たってうろたえ、また専門家の指導もなかったので、お手のものの過保護か、さもなくば養育拒否を発揮した。どういうわけだか彼らには、自分の子どもがしだいに独立してゆき、労働意欲を起こし、結婚の希望を抱き、家族を持つようになる、などとはまるで信じられなかった。彼らはだれからも励ましを受けなかったので、あえてそれ以上考えてみようとはしなかった。

 リハビリテーション界のどこからも、そして年若い障害者(ある者は30才になっても無邪気のままである)を扱い、苦労していたリハビリテーション・カウンセラーからも、この分野の専門家に次のような警告の声を発する者はいなかった。「みなさんはいくつも誤ちを犯している。あなたがたは、自分たちは何をしているのか、何をしていないのかを明確にしていなければいけない。さもなければ、これらの若者が成人したとき、どうしようもなくなってしまうであろう」と。

 実際、リハビリテーション・カウンセラーは、このようなクライエントを扱う経験がなかったし、またのちに米国脳性マヒ協会や全国精神薄弱児協会などの全国団体に発展した障害児を持つ親の会も、行動、理論の両面でまだまだ幼児期にあり、成果をあげるところまでいっていなかった。全国肢体不自由児協会は、新入りの反逆者の目には、あまりにもふがいなく思われた。はっきりいって、その当時、この子たちがおとなになったときつくるグループについて、関心を持っている人はまるでいなかった。一般的にいって、年長の障害児を持つ親は久しく放置されていた。また新しくできた親の団体も、幼少児の言語、医療、教育、歩行などという当面の問題にかかわっていた。

 したがって、ハビリテーションの問題を熟慮し、いくつかの出版物の中で、この問題の概念を定義し、記述し、描写することは、私にとってニードであると同時に使命でもあった。この私の概念が、ここにあるような具体的な形をとるまでには、Dr.George Deaver,Jay O'Brien,Mary Eleanor Brown ならびにInstitute for the Crippled and Disabled の医務部長、判定室長、理学療法部長のかたがたのご協力のあったことを記しておく。

動物実験

 動物実験によって得られる証拠の多くは、示唆に富んでおり、人間の発達過程に共通する要素であれば、われわれは信頼した。ある場合には、動物実験の際に見られた同じ状況が人間についても見られた。またある場合には、動物と人間の生態の相関関係は、環境に類似点が明らかに少ないにもかかわらず、非常に確信の持てるものであった場合もある。

 この研究の第一段階は、小さな動物から始め、順次段階をあげていって、大きさ・知能でも霊長類へ至ることになろう。

 ネズミの生態に関するいくつかの研究は、興味深いものである。外傷と衝撃に対する肉体的耐久力は、過激すぎない実験方法が設定できさえすれば究明できよう。ある実験では、早い速度で回しているかごの中に何匹かのネズミを投げ込むと、それに慣れていないネズミは死んだが、多少とも訓練を受けたネズミは生き残った。

 Hans Selyeの行なった「動物と刺激」に関する基礎実験でも、同様な結果が出ている。そのネズミの実験例では、普通のネズミが凍死した低温下においても、訓練を受けたものは耐えた。

 ほかの研究では、研究員により多くかまわれたネズミは、どういうわけか、刺激を受けたため、体重がふえたばかりか、長生きまでした。

 いま一つの研究では、刺激を受けぬよう保護された環境の中におかれたネズミは、おとなになっても問題解決能力に劣ることが明らかになった。

 手をかけられ、なでたり、ゆすぶられたり、歌いかけられたり、そのほか各種の方法で刺激を受けたネズミの脳は、神経細胞の樹状突起と脳細胞の増加が著しく、これらの刺激を受けなかったものに比べると注目に値する発達を遂げていた。

 脳の発達に関するほかの研究結果は、次のようであった。早くから刺激の多い環境や複雑な環境におかれたネズミは、平均して目ぶたの皮膜が7パーセントも重く、蛋白質、ほかの化学物質、それに細胞の総量が増加していた。30日後、総合的な環境体験を受けなかったものに比べ、倒立時の視覚と迷路歩行の点ですぐれていた。

 最後にもう一つ、ネズミの情緒面での研究について、Denenbergは次のようにいっている。

「一般的な事実として、意識を待ち始めてからすぐに得た社会的体験は、おとなになった動物の情緒活動に比較的に決定的な相違をもたらす。ある動物の行動形態は、その動物の幼児期に、ある機能が強められたか、弱められたかによって決まってしまう」

 Konrad Lorenz の先駆的研究では、「刻印」(imprinting)と呼ばれる現象が示されている。動物の新生児は、普通、身の回りで最初に動いた物体に従い、あとになっても本当の母親以上にこの物体になつく。この現象はおそらく、初めにアヒルにおいて発見されたものだが(一枚の驚嘆すべき写真があり、この中でRorenzは,アヒルの一連隊を引き連れて森を横切っているのである)、その後、鳥、羊、山羊、さらに鹿、バッファローにおいても観察された。このような刻印は、ごく短期間しか影響を持たないとはいえ、種によって、その期間には差異がある。人類の進化にどれほどかかわりを持つかは、何も知られていない。いままでのところ、その証拠もあがっていない。

 馬は大きな動物ではあるが、犬ほど賢くもなければ、社交的でもない。ある調査によると、「子馬のとき人間と過ごした馬は、精神の安定性と指導性を身につけるようである。─生後すぐ人間の世話を受けた馬は、成馬になって特異な行動をとる」。観察された特徴は「非常事態に際して、集団にとらわれることなく、独自の判断をすること。緊急事態に際して、人─馬間に独特な方法で意志の疎通をすること」であった。

 われわれの親しい友である犬については、実にしばしば研究が行なわれているが、ここでは、二、三の論文を取り上げるにとどめる。生まれてから成犬になるまで孤立していたスコッチテリア種の犬は、正常な環境刺激を受けなかった結果、驚くことに、成犬となったときに闘争心を全く失っていたのである。

 ほかの研究によると、束縛を受けていた犬は、行動、探索、食物分配、問題解決、ほかの犬または人間との交流の面で、未成熟のまま成犬となることがわかった。Hebb はこういっている。

「孤立して飼育された動物は、成長したとき意欲、社会性、知能が異常な、全く風変わりな動物になる」

 霊長類の動物は、人間と非常に多くの共通点を持っており、Harlowの猿に関する魅力的かつ重要な研究は、猿にとって幼猿期の母性愛がいかに必要かを、ドラマチックに指摘した。本当の母猿から引き離された猿は、成猿を象徴する行動の面で、永久的な差異に苦しんだ。彼らは安定性と社会性に欠け、配偶猿をめとらず、また決して愛情に類するものを育てようとはしなかった。

無細菌動物

 無細菌動物(“germ-free” animals )に関する研究は、特に専門化された分野である。H.G.Wells のSF「宇宙戦争(war of the world)」を思い浮かべていただきたい。そこでは、砲弾と爆弾によるいかなる攻撃も効果がなく、何ものも火星人の侵略を阻止し得ないように思われた。しかし最後の瞬間に、火星人たちは、突然、免疫性をもたない地球の病気に打ち負かされるのだった。

 無細菌動物に関する実験は、1928年、ヨーロッパでノートルダム大学のReyniersによって始められた。この種の動物は、大気や食物中の細菌汚染を厳密に排除したガラス箱の中で生まれる。動物たちはその中で一生を送り、子孫を作る。空気はフィルターにかけられ、温度や湿度は調節され、食物は放射線で殺菌される。

 すでに、Wells の小説の話から推量がつくように、この種の動物、たとえばモルモットは、その特殊環境から普通の環境へ移されるやいなや、48時間以内に激しい感染を起こして死んでしまう。

 

人体観察─胎児の生態

 人体観察が始められるのは、おそらく、妊婦の子宮における生命の誕生の時点からであろう。栄養不良、特に母体の蛋白質の欠乏は、確かに脳損傷児を生む原因となる。X線を使ったことを悔いる人が大勢いる。不注意に母体に照射すると、その影響が胎児に及ぶためである。

 幼児期当初の栄養失調は有害である。次のようなことがいわれている。

「誕生の当初、人間の脳は、毎分1~2ミリグラムずつ重みを増す。だから、生後2~3年の間に身長、体重の増加をはばむほどのひどい蛋白質不足をきたした者は、脳の成長も制限されることが考えられる」

 ここで動物の諸研究に少したち戻ってみる。妊娠初期に栄養不良や、幼児期に蛋白質不足をきたしたネズミは、人間の場合と同様、脳細胞に支障をきたした。

 米国実験生物学協会連盟(Federation of American Society for Experimental Biology )へ寄せられた一つの論文によると、この事実は「精薄の村(a village of morons )」と名づけられていた。南米のコロンビアのある孤立した村での、栄養失調による子どもたちの幼年層に起こった精神薄弱の発生に由来しているのである。

 器質的原因による精神薄弱のうち、判明している原因の一つはフェニールケトン尿症(PKU)である。これは幼児期に特別食を与えることによって脳障害を防ぐことができる。この状況下にある幼児が、どのくらいの間隔でこの特別食を摂取するべきかは、正確にはわかっていない。

 学齢前の児童にビタミンAが欠乏すると、網膜の視細胞を死滅させるようで、ひいては失明に至る。

 慢性病歴を持つ子どもには、運動─知覚障害、視覚・運動知覚の機能の低下、読みの困難が見られる。

 ある仮説によると、幼児期に見る楽しみを知った者は、のちに読みのレディネスができるようである。ある研究では、霊長類の幼児は、赤ん坊が産院にいるうちに適切な視覚刺激を受ければ、生後4か月にして、かなりの学習能力を示した。

 “Journal of Learning Disabilities” 誌所載の論文によると、出産適齢期は次のようである。最適齢期は20~27才…最も好ましくないのは、あまりに若い(ティーンエイジャー)または年とった母親による出産であり、…出産直後の妊娠やそのくり返しは、死産、未熟児、知能低下、神経異常や貧血症などの増加の原因となる。

母親の喪失・別離

 母親を失い、または離された幼児がどうなるかの解説で最も名高いのは、おそらくRene Spitzのものであろう。幼児期に母親からなおざりにされ、ほかの人間との交流を欠くことは、幼児にとっては致命的で、肉体的欠陥がないのに病気になったり、死亡したりする。

 Frazier とCarrは次のようにいっている。母の愛を突然失った幼児は、外界に対する無関心、自閉症、食欲不振、不眠症、不安感、特有の顔の表情、などの特徴を持つが、これらはどれも、成人に起これば、さしずめ、うつ病と見なされる症状である。

 ほかの専門家は、次のような見解を述べている。母親の喪失は、成長の段階で違った影響を与える。最も傷つきやすいのは、ある種の知的過程特に言語と抽象能力、それにある種の性格面、特に深く内容のある対人関係を礎き維持する能力、それに加えて、長期目標のために衝動を統御する能力、だと思われる。1才児においては、その後の時期以上に言語と抽象能力に影響する。母親との断絶で最大の影響を被るのは、愛をはぐくむ能力の点で、特にこれは母親との離別がくり返された場合に起こる。

 子どもの成長は、家族の中に緊張や混乱があるとはばまれる。情緒活動が圧迫されると、脳下垂体を抑制する化学物質が分泌されるようだ。この状態を脱したとたん、これらの子どもは正常の2倍以上の速さで成長し始めた。

隔離と監禁

 隔離と監禁が有害であり、破壊的でさえあることは、科学的文献を見ずとも知られていることである。難破船の船員、独房の囚人、厳重な制限を受けている長期療養患者の物語は山ほどある。この人たちの話では、コミュニケーションの能力が阻害され、それどころか多くの場合、もう二度とまともな社会的交歓ができなくなるのではないかという強い恐れを感じたそうである。

 米国空軍の宇宙実験での「孤立」の研究は、各大学における心理学研究室での結果と同一のものであった。防音装置をした暗室へ入れられ、手かせをかけて触覚の使えぬようにするなど、あらゆる感覚をできるかぎり制限すると、多くの者は、たとえそれが短時間であっても、不安になり、恐慌状態を起こし、混乱し、それ以上実験を続けることを拒絶する。それ以上続けた者はたいてい幻想状態に陥り、パラノイア症のように、幻覚、幻聴(奇妙な音、話し声、音楽、音声)を聞く。

 言い換えれば、刺激のなくなった時点から、精神と感覚は、ある意味で自分勝手な活動を始めるといえる。

 しかし不毛な環境は老境に多く起こるものだ。することがなく、人生に目的がなく、友がない人はみな、おそらく圧倒的な虚無から逃避するために早く老いる。

 囚人の洗脳方法の一つは、人、特に友人との接触や、家族および外界からのニュースをすべて絶ち、なじみのある場所から引き離し、肉体および食物の条件をできるかぎりきびしくすることである。

 異国の不慣れな環境のもとで救助の望みもなくいる戦争捕虜の人たちは、尋問にたやすく屈伏してしまう。なかには、尋問の際の人とのふれ合いや、人を楽しませる機会を待ち望んでさえいた者がいる。

 捕虜収容所で隔離された収容者は、正常な精神を保ち、心を満たすために、すべての知識を行を追い、章を追って本から得ていた。

 病院の患者、特に大手術のために、長時間面会を禁じられる者の場合、孤立の問題が起こる。比較的短期間の場合でさえ、もし孤立の程度がひどければ危険性は大きい。たとえば、目の手術後精神異常が起きる確率は、14例に1例であった。これは約7パーセントに当たる。通常の対処法は一時期両眼に目隠しをすることであり、精神異常は目隠しする時間が一日中、半日と減っていくにつれ100例に1例へと減少した。ポリオ患者を酸素室に閉じこめた場合、精神異常の臨床例が多く見られた。

文化的障害者

 閉ざされた環境、不健康で陰うつな家屋、未教育、医療の貧因・欠如、母子・成人の栄養不良、ゲットーの閉鎖性と密集状態、この圧倒的な絶望感、犯罪と暴力の横行、創造性と建設精神の欠如など文化程度の低さ、文化的障害の問題については多言を要する。実際、ここでは、この論文の初めで述べたことがしばしばいっせいに起こっているのである。

 極端に少ない資金を、“Head Start”(貧困階級の子どもの能力を引き上げるため、幼児期から集中的教育を与える米国の幼児特別教育事業)、職業訓練、医療施設などのような関連をもたない各種のプログラムに分散投資することは、利益より害をもたらす。なぜなら、先の約束と期待をもたされた者は、失望してますます悲惨になるからである。

 “Head Start”のような計画は、確かにりっぱであり、意味もある。しかしあまりにそぼくすぎる。事故で重傷を負っている者に絆創膏を与えるようなところがしばしばある。あまりに多くの問題が、あまりに多くの人びとに起こってしまったし、また起こりつつあった。それもあてにならない宝くじの支払いを待ちながら、われわれは1ドル投資し、それ以上の報酬を期待していた。

 文化程度の低さからくる不利益の問題点を数えあげてみよう。まず第一に、障害が複合的、総合的であるのに、解決方法があまりに単純にすぎること。第二に、学校、職場、訓練所の外にいる成人、子どもは、あらゆる面で進歩を阻害する生気のない屈辱的な環境の中に日常生活を送ること。第三に、その長期的影響は永続的でないにしても、かなり実在することである。現行の手段と、われわれがいま持つ限られた専門知識だけで、この状況を是正しようといかに試み、欲し、やってみたところで、心理的な障害はおろか、身体的な障害さえなおせないであろう。

検討

 ここで私はまず、以上述べてきた材料のいくつかとその含意するところについて検討し、そのあとで現在のハビリテーションの概念について論じたいと思う。

 Tennyson は「私は、これまで私が遭遇してきたものの一部である」といっている。私がこの引用で伝えたいところは、一口でいうと、あらゆる生物は、その環境とその刺激に応じた成長、発展をする傾向がある、ということである。われわれは人体組織が、動物のように固定されたものでなく、もっと適応性をもったものだと簡単に容認しがちだが、これは短絡化にすぎる。というのは適応性は、われわれが第一に、状況変化にどれほど抗するか、第二に、不可能なことと可能なこととの間のギャップを取り除こうと、どれだけ努めるかに、大きく左右されるからである。

 昔から、人間は環境に順応してきた、ということにはだれも異論はなかろう。人は環境に自分を合わせ、また逆に、環境に変化を与えてきた。それならなぜわれわれは、オーストラリアの原住民、エスキモーにしろ、ゲットーの子どもにしろ、特異な環境に育った人に会ったとき、驚き、ショックを受け、ぼう然としなければならないのか。その因果関係についてどんな理論を持とうとも、われわれはそこにある現実に目をむけなければならない。このような人間は、われわれが考えるほど奇異な存在ではない。彼はただ、学び、経験したことに従って成長したにすぎないのだ。

 実例の詳細な分析は、事実が明白なのだから必要がないであろう。この問題は、刺激と免疫性の項で再び取り上げられることになろう。多くの者は、自分が関係する医学的─身体的な見地からのみこの問題をみるが、実はそれ以上に多面的な問題なのである。

 われわれがわずかの抗体を接種して免疫をうるように、多様な人生体験をふんで、われわれは人生への適応法を学ぶのである。たとえば、以前ポリオが猛威をふるったとき、一般に衛生施設の整った国ぐにでのほうが事態は深刻であった。というのは、後進国の人たちは流行の初期の段階で弱い感染にかかり、免疫をもっていたらしいのである。もちろん、体力の弱い者は、ほかの者が耐えるほんのわずかの外敵にも耐えられないことも事実である。

 刺激は人間にとって欠かせないものである。問題は、刺激を有益で害にならぬ程度に与え、調節することにある。現代の成人層は、刺激に対し広範な適応能力を持っている。意志の弱い者は、麻薬、酒、ピル、トランキライザー類に慰安を求める。また多くの者は、各種のカクテル・パーティー、賭博かさもなければ、満たされぬ享楽をひっきりなしに追って、意味のない幻想に酔う。だがほとんどの者は、生存し、働き、生産活動をするうえですでにじゅうぶんな刺激を受けているのだ。

 刺激はどの種のものであれ、極端に欠如することは、有害なものとして作用し、人を虚弱にし、活動をとどめ、廃人にする。

 人間の成長には年齢、体調、状況に応じた刺激が必要である。刺激は新奇さ、性質、程度の点で刺激としてうったえてき、かつ生産的な結果を生むものでなければならない。

 子どもたちは、ある面では過度の刺激を受け、同時にほかの面では、刺激を緩和あるいは排除されている。障害児が身体面で過度の刺激を受けているとき、これと平衡をとるため、しばしばわれわれは教育、心理、社会の面で刺激を緩和しようとする。さらに、刺激の程度は個人に合わせて緩和する必要がある。たとえば投薬量は、薬の性質、患者の容態、年齢、体重などの要素以外に多くの面を考慮して決めなければならない。三人の人が似たような経験をしたとしても、第一の人には刺激とならずほとんど効果をあげず、第二の人には、同じ体験が激烈な刺激を与え、死に至らしめるかもしれず、第三の人は、その特殊な体験にじゅうぶん適応を示し、効果があり強くなるかもしれないのである。

 われわれはここで要求したいのだが、セラピイに当たるかたは、成長期に必要な緊張刺激を与えるだけでなく、同一の人物に成人期になってからもこの種のハビリテーションを与えてほしい。

 依頼心が強い者について、普通われわれは、自分たちがそばにいさえしなければその障害はなくなるものと信じているようである。われわれは障害者が困難を克服し、目標を達成しようといかに努力しているかを知っている。なかには打ち勝ちがたい難関の前に、ついに屈伏してしまう者もあった。しかしこのような人びとに比べれば、意欲も忍耐もなく、自助の精神に欠ける闘争心のない依存者が大多数を占めているのである。

 依頼心の強い者に行なった、われわれのカウンセリングの結果は目ざましいもので、クライエントは著しく独立心を養った。彼らはたいてい、新しいステップをふみ出すだけの経験や強さを獲得した。しかし職業を持たぬクライエントのように完全に他人に依存している人は、独立の必要性や職場での競争について教えてくれる生活体験を必要としている。この場合には、いくら言を労し、凝った説得をしてみたところで、問題は解決しない。

 肉体に刺激を与えて、歩き、食べ、着衣することを教えるのが必要だと考えるなら、なぜそれ以外の面にもこの刺激の価値を同等に認めぬのだろうか。ある論者によると、肉体上の刺激は成長期には重要であるという。確かにこれは正しいであろう。けれども、成熟はかえって短期的で不適切と思えるハビリテーション・プログラムの中で思いがけない機会に達成される、と説く者もいる。臆測をすすめれば、クライエントは結局、その育った社会そのものであるということになる。成長はしたものの、一般的にみて、その年齢に見合った成熟をしていないという場合、障害者の成功例がこの好例としてよく引き合いに出されるが、その理由は、彼らはふつうではとてもこれまでにはなれなかったのだし、典型的な放任状態か、さもなければ、ひどい刺激と緊張の中にあったためである。

 私の観察によれば、大まかに言って、適切な生活体験や有益な刺激を徹底的に排除され、壮年になってからハビリテーション・プログラムを受けた人は治ゆしないし、うまくいっても多少改善されるにとどまる。彼らは一般に、成熟、自己形成の面で遅れを示し、実際に潜在能力をフルに発揮することがない。クライエントが治ゆ・改善するのは、リハビリテーションとハビリテーション・プログラムの質と内容だけによるのであり、誕生時に条件づけられた器官や欠如していた器官がそんな魔術を使うわけがない。

 これは少し誇張にすぎたようだ。特に、失敗例にふれようとせず、初診の際のクライエントの状態を示さず、しかもその裏に職業能力の欠如を障害の原因とみる先入観念が働いていることを考えればそうもとられよう。

 障害の原因は、数え出せばきりがないので、多少とも典型的な一般概念をあげることしかできないが、その項目は例をあげると、知覚、コミュニケーション、社会、家庭、身体的、生理学的、心理学的、教育、環境、愛情、職業上のものなどになろう。

 このプロジェクトの名前は、リハビリテーション分野にならって「ハビリテーション・プログラム」と名づけられた。だが内容の点では関連はあるにしてもごくわずかである。「ハビリテーション」という言葉を使うのは流行になっているが、実際には、ハビリテーションの意味にも、目的にも関係のない、実態のないレッテルだけのものになってきている。

 たとえば、作業評価のプログラムでは、内面の問題がまるでなおざりになっているし、それに標準心理テストは、誤った事実を伝えるので、ほとんど役にたたないか、全く役にたたず、ときには有害ですらあり、また作業評価はしばしば就業準備のない障害者のグループに実施されている。

 ハビリテーションのクライエントはふつう、判定を受ける前に教育・指導プログラムを受けたがる。彼らは、これまでの損失があまりに大きく、よくない習慣ができてしまっているので、「生涯判定」(“living period” evaluation)─私が20年前に名づけた名だが─を必要とする。これは作業評価ではなく、職業前プログラムでもないが、クライエントの生活にこれまでとは違ったアプローチをすることになるものである。

 このプログラムの目的は、クライエントに新しい状況にどうたちむかえばいいかを教え、いっそうの自己形成をさとし、行動の上で成熟することの利益を説き励まして、自己というものを持つことの意義深さを、成就時の各種の満足感から説き、意義深い諸目的へ目を開かせ、行為することの喜びを教え、クライエントの活力をかきたて、おし進めてやることにある。クライエントはこれまで、周囲の人から、力をおさえるよう、以前拘束を受けていたその安全な範囲内で行動するよう教えられてきたので、自己を発散させることを恐れていた。その境界の外へ足を踏み出すことは、新しい世界のおののくような体験となるのである。

 ハビリテーションを受ける者を「職能」という過程、またはその他の過程に置こうとするときはいつでも、われわれは個性を失いそうになる。まるでそれは、ときおり車掌に切符にハサミを入れてもらいながら、一定の方向に走る汽車に乗っているようなぐあいなのである。ある意味では、ニードを規定した手前、必要に応じて私たちがするチェックが大計画の推進者の意向に合致していることを待ち望んでいる状態にあるともいえる。

 かつては医学にとって重要な手段であった「観察」も、いまではあらゆる専門分野から見離され、機械的目的主義に席を譲ってしまったように思われる。われわれはありえない事実や膨大な計算などに直面したとき、疑い深くなるものだ。ハビリテーションを受ける者は、ほかのクライエント以上に慎重な観察を要する。クライエントの動作・態度を納得がゆくまで実際に見て、できうるかぎりの客観的基準で分析することを通して初めて、主観的な判定が可能となる。クライエントをある訓練の中に放り込んで、あとはその人自身の努力にまかせることは、いかにも当世風で科学的だといっているみたいだが、実はこれは、水泳を教えるのに、人をプールの中へ投げ込んで泳げるようになるのを待つことに似て、古風なやり方なのである。

 成人に対するハビリテーション・プログラムを検討してみると、これはまたあまりにも貧しく、あまりにも遅れ、なおざりにされている。

 職業指導やハビリテーションに多少力を入れてみたところで、心身障害は、その大部分が社会的障害者とか障害児とか呼び慣らされているリハビリテーションの一部として残るであろう。ある新聞記者はこのことを「現実に、現在、750万人の子どもたちが、満足な食事、住宅、衣料を得るにはほど遠い福祉資金に甘んじている」と表現している。私にはもう、この子たちが養護期間を終え、就業年齢に達したとき、どんなになっているかを読者に想起させる必要もなかろう。われわれは彼らにあまりにも何もしてやらなかった。彼らは今後、ハビリテーションの対象となろうし、もうなってもいるのである。

展開するハビリテーションの概念

 <ハビリテーション>という言葉は、現在、出版物、計画案のタイトル、さまざまな施設の名称に使われている。概念としてのこの言葉は、特殊なグループを対象にした、特殊なプログラムの内容、力点、性質に影響を与えてきたようである。

 もともと「ハビリテーション」は、若い身体障害者の障害と成長の停滞において確立された概念であるが、現在では、精薄、神経障害、就業非適性を示し、同時に健康、教育、機会にも恵まれない文化的障害者にも適用されるようになってきた。

 そのうえ、ハビリテーションの主要概念には、まだ適用範囲を拡大してゆく必要があるように思われる。「ハビリテーションの対象はだれか」という問いには、われわれのクライエント全員がそうだと答えよう。さもなければクライエントにはならないであろう。援助が必要になる原因は、クライエント自身または社会の欠陥・障害にある。能力のある者はなんとかして自分で問題を解決する。彼らはわれわれに頼らずともじゅうぶんな力と能力を備えている。クライエントは環境がきびしければ、私たちがやるよりずっとうまく、自分の手でやることは事実である。しかし実際には、このパーセンテージは非常に低い。

 私たちは「このクライエントは結婚し、これまで家族を養ってきた。だからいま彼が必要としているのは仕事だけだ」と考えるかもしれない。しかしその場合、彼がそうなるまでには、障害以前の職業が影響を与え、貢献をしていることを考えてみたことがあるだろうか。ふつうわれわれは、肉体的緊張の問題について、それに少し度合いは減るが仕事の精神的な緊張についても多少は考えるが、しかし精神的消耗、クライエントの能力・体力に全くふさわしくない作業が及ぼす生活上の緊張については、まるで考えていない。

 現状はこうであるが、しかしハビリテーション・プログラムにより、彼の知力、体力、心理、精神の面で彼の能力を高めてやることが可能であり、彼に新しい境地、視野、希望を開いてやることになる。リハビリテーションの目標を、人道的目標(humanitarian goals)にまで高めることができるようになった現在、われわれはこれを活用しもせず、ただそれをながめているだけでもよいものであろうか。

 われわれは若くて経験の乏しいクライエントの場合と同様に、成人クライエントの能力を論じる義務がある。これはクライエントが老齢に達するまでの長期にわたる扶養と同様の効果がある。

 老齢者に対する<保護>という私の言葉は、「人的資源の開発、回復、保護」というHumanitationの定義にのっとるものである。これは、代表的なリハビリテーションが適用できようが、できまいが、要はそのクライエントの能力をできるだけ長期間維持してやることである。

 ついでにこの種のクライエイトに対するサービスを少し詳しく述べておきたい。人によって明らかに限界はあるが、われわれは自分の生命をあらゆる面で発展させる可能性を備えている。しかし老人の多くは、その能力の一部分をさえ発展させる機会を得ぬままでいる。事実、老人のかかえる最大の問題は、人生の多様な面における総合的な障害であるが、現在これらが一時に持ち込まれ、重圧を増している。一生を、もうこれ以上耐えられないというほど単調な作業に励んできた人は、決して自分の能力を伸ばすことがない。彼は人生を切り開くことがなく、新たな楽しみを見い出すこともなく、新たな技能、趣味をもたず、また人生が授けてくれるその他のものを味わうこともない。いまからでも彼は、これまでの狭く、不毛な人生が決して与えてくれることがなかった、ささやかな能力を開発できるのだ。だからこそ高齢者に対するハビリテーションは、たとえ部分的なものであってもじゅうぶんやるだけのことはある。

 この例として興味深い二つの例を記しておこう。こんにち多くの婦人は、家事に手がかからなくなったので第二の職業をもち始めているが、これは彼女ら自身と家族の生活を活気づけている。

 もう一例は、クリーブランドの Dr. Herman Hellerstein らによって推奨されているもので、冠動脈血栓症の後遺症患者の訓練は、障害以前以上に体力を増進させるというものである。この方法はおそらく血栓の危険性をへらすだけでなく、心理的にも職業的にもかなりの成果があるものである。

 

 補助的な技術、動作を身につける必要があることを述べる以外にもいくつか言うべきことがある。年をとることは、だれにも避けられないことであり、消耗してゆくことである。衰えてゆく力に代えて、めがねやつえなどの助けを借りるだけでなく、以前のものに代え新しい技術や能力のうめ合わせをすることは、標準的な処置法として重要な要素となるべきはずのものである。

 施設の老人専門医によると、豊かな社会関係を持つと老人は若返り、老化が防げるらしい。ここでも指摘されているのは、この問題は人生の質、つまり人間存在の全体に関するものだということである。われわれは日常的に起こってくる問題にあまりにおざなりな解決法をとっているが、これは基本的に人生を真に尊重せず、悩みや心配から手を洗おうとばかり考えているためである。

 プラス面をいうと、現在一般にわれわれは、大量の専門知識、科学知識、公衆の関心、幼児教育プログラムをもっており、保育所、幼稚園、幼少児園(prekindergarten )、早期特殊教育プログラム、読書センター、通園センター、移民児童教育センター、幼児健康診断プログラム、Head Start、Montessori Schools, その他のものに対する熱意が高まっている。これらはいずれ総合されるものの一部分をなすものと思われる。

 障害の初期医療とリハビリテーション分野担当者との間にあった大きな隔たりは埋められてきた。初期医療にたずさわる人たちは、今もっと高い次元の問題、病人とクライエントの将来について論じ、リハビリテーション担当者は、より多くのプログラムを実施し、治療時間も長くとるようになった。しかしながら、両者はいまだに異なった世界に住み、働いている。幼児サービスから、職業訓練、就業までの複雑で連続したサービス過程を一望におさめることによって、初めて、なぜあるクライエントの人生経験が他の者の参考になるのか、ひいてはプログラムの改良につながるのかがわかるであろう。

 1970年度の White House Conference on Childrenは「たとえわずかな─最上を望みたいところだが─施策でさえ、幼児の福祉を改善するもとにはなろう」との一連の勧告を出している。この会議の影響もあって、Head Start,通園センター、児童保健・給食サービスの法令が施行されたものと見られる。

 実施されたのはつい最近だが、幼児期からの総合プログラムの必要性は、以前よりずっとよく理解されるようになった。障害を軽く見すぎたり、重く見すぎたりする誤診はいまだにあとを絶たない。現在は一般的ではないが、幼児の健康診断は教師、父母やおそらく医師にもわからなかった多くの治ゆ可能な障害の早期発見に寄与しよう。

 Mitzelは、7才で3年制の幼稚園を卒業したある子どもはある種のハンデキャップに苦しんだと訴えている。残念ながら、この種のハンデキャップはしばしば気づかれぬまま放置され、その結果その子は同年代のグループからとり残される。グループについて行けないと感じたとき、また自分は「できない子」なのだと思いこみ、仲間はずれにされた気がするとき、心理的ダメージをうける。このような災難の影響は、就労年齢に達した際に現われる。

結 論

 われわれは果てしのない社会事業(従来のセラピーの不適切さ、特殊教育制度の欠陥、適切なる地域社会サービスの総体的欠如)に従事しているので、挑戦と計画の第一段階はこれまで示されたものだけにとどまる。現在われわれは、施策の欠けた面を網らして持つという得がたい立場にいると同時に、この不完全な状況を是正するという困難な立場におかれている。われわれはクライエントの総合的な障害の実態を知った。そこで次に、現実の競争社会の中でこの問題を解決しなければならない。

 現在の状況は、真実を予言できるのだが、神の力によって彼女の言うことをだれも信じようとしなかったというギリシャ神話のカサンドラのように、われわれは真実を、象牙の塔、孤立した医療施設、役所、諸施設に浸透させられないでいる。その結果が彼らの失敗として現われてきているのだ。一般大衆の関心が欠け、われわれの声に耳を貸す人が少ないことも広報活動の妨げとなっている。

 問題をもっと掘り下げて考えてみる必要があろう。幼年期はわれわれの目からは、老年、中年、青年、青春期とともに、一つの人生過程の中に包含される。そこでわれわれは、クライエントがセラピーを受ける前のこと、受けた後のことについてもっと関心を払わなければならない。われわれの成功、不成功はここにかかっているのである。

 リハビリテーション・カウンセラーは老人の特殊プログラム・施設についてはもちろん、特殊教育教師、特殊学級についても精通し指導できるようでありたい。われわれはリハビリテーション・カウンセラーを保育園のコンサルタントのように見なしているのかもしれない。そのせいか、彼らにほかの人が与えないような援助価値体系、洞察を提供している。人生を、有益な、目的のある建設的な方法で生きられれば、就労年齢に達してから始まるものではなく、ましてその年代に終わってしまうものでもない。それは人生の一部である。われわれの目標は人的資源の開発、回復、保護におかれなければならない。

新 し い 目 標

 ハビリテーションの概念は旧態依然たるものだとはいえ、われわれはこれまでの目標の大部分を達成した。このことは有益であったと思う(特に精薄・社会的障害などが組み入れられたこと)。それにこれまでの概念が、年齢を問わず適用できるものであったことを認めはしても、やはり私は、これまでの考え方を改めるべき時期にきていると思う。またリハビリテーションの概念も同時に改めるべきだと思う。

 私には、この考えが受け入れられないことはわかっている。なぜなら大多数の人々にとってこの考えは、「積まれた丸太の底から一本を引き出すこと」にも似た無謀な行ないに見えるであろうから。また、一般大衆にとっても、立法者、為政者にとってもこのプログラムはやっかいなものとなろう。

 「リハビリテーション・カウンセラーとしてわれわれが、ようやく専門家としての地位を獲得しようとしているとき、あなたがたはわれわれをとまどわせる。せっさたくましている治療分野は、われわれを理解し尊敬しはじめてきた」というものであろう。

 私のこの提案をじゅうぶんに正当化するには、本稿より長文になってしまうであろうが、その要約を次に述べておこう。

1、われわれはリハビリテーションの目標を人間的目標におくことを確認しておかなければならない。古い概念は職業・経済問題に主眼をおくものであり、それもリップ・サービスにすぎない。

2、現在の諸目標は障害者を差別するものである。民主主義下の市民は、社会の果実を平等に得る権利を持つことになっている。批判的な目で見れば、就業の可能性、ハビリテーションやリハビリテーションに要したコストのわりに、多くのクライエントがサービスを受けられないでいる。というだけでなく、その人たちの実際の能力が競争にはおぼつかないというのに、無理やり苛烈な経済態勢の中へ放り込まれてさえいるのである。

 われわれは彼らから、人生を豊かにし、活気づけるもとになる訓練を奪い、その代わりに彼らをほんのあてがいぶちしか得られない気のめいるような仕事やシエルタード・ワークショップにつかせている。われわれは富の神 Mammon をあがめ,クライエントからも同じものを期待する。なぜならわれわれは「聖なる神」を見い出したのであり、不信心者を改心させなければならないからである。クライエントを経済的素材と見ているかぎり、タレントを見つけようとしているのではないからそれは見つからない。もちろんわれわれはみな、社会に精神的、実際的に寄与すべきではあろう。しかしこれはその能力に応じてすることなのである。

 「普通人」と呼ばれる多くの人びとのうちでも、すぐれた才能を持った人はあまり生まれてこない。これはじゅうぶんな経済的成果に結びつかないせいである。不幸なことではあるが、しかし少なくともこの人たちは、ほかの天分を生かしてまだじゅうぶんな人生が送れるのである。

3、われわれはある面では名ばかりともいえるが、すでにリハビリテーションのある部面を大きく展開させるところまでやってきた。脳卒中などによる重度障害者、犯罪者、社会的障害者などの新しい領域へまで広がってきている。

4、すべての子どもを対象にした、より総合的なプログラムも、まだほんの初段階ではあるが動き始めている。

5、私はこの段階で、とくに第一段階が動き出したこの時点で、人間性の確立の概念を障害・非障害のすべての人びとに適用しようなどとは思わないが、所期の目的が達成された暁には─部分的には達成されているが─人間性の確立の概念が問題になる日がきっとくることと信じている。

 全世界的な適用は西暦2000年近くになろうが、われわれは現在、目的をはっきり持って、いまそれを最も必要としている障害者および不利な立場にある人びとに、新しいハビリテーションの指導をし始めるべきである。

 われわれが真に求めるのは、私の祈りでもあるが、人間性の向上につながるような、つまり人びとの自己開発・自己完成が第一の目的となり、はかの目的は二次的な要素となるような努力に力を入れることである。

必要とされる制度の変革

 今後の変革についてもう一言添えたい。われわれは現在の連邦─州制度を廃すべきである。それに代えて、リハビリテーション・カウンセラーが総合チームの一員として働くような、一連の普遍的なセンターを設置すべきである。私は先に、Humanitation センターの構想について触れたが、この施設は従来の典型的センターモデルに予防サービス部門を大幅に取り入れたものになろう。実現の時はきており、特に限定された目標については、すでに基本的な構想までできている。われわれはグループ単位でこの医療を施す計画を持っているが、国民全体を対象にした総合医療法制が確立されるようになれば、このようなセンターは補完的な役割を果たそうし、当然そのような動きに組み入れられもしよう。このような統合化は、専門職員と福祉資源を米国民すべてのニードに供することにもなろう。

 Humanitation センターを設立する場合には、私営(民間)の要素も残し、一部を連邦政府の資金にたより、残りを民間資金と保健サービス機関の資金で補うという形で独立組織として運営されよう。

 人的資源を強調するわれわれの改革運動の真価は、現在の権力機構の下では発揮しきれず、われわれのような戦中派では、この二つの世界観が対立をしている。老人層は規制を受け、社会の非合理を甘受し、それに自分を適応させているので、できることにじゅうぶんな努力を尽くさないし、またなすべきことに誠実な人びとに尊敬と同情を示さない。若い世代の人びとは、この目標に向かうのにじゅうぶんな力を持ち、その能力もあり、ひいてはそれだけの熱意を持っていることを信じる。

(Rehabilitation Literature,August 1972から)

参考文献 略

*1966年10月、ニューヨーク州 Hempstead の Hofstra 大学で教育学教授および大学院生を対象としたリハビリテーション・カウンセラー養成計画のディレクターとなった。1965年度は教育学・社会事業学教授ならびに職業リハビリテーション・訓練センター所長としてピッツバーグ大学に勤務、1953年から65年まではアメリカ心臓協会リハビリテーション部会委員長を勤めた。1940年にコロンビア大学において心理学で修士号、1952年にニューヨーク大学で教育学、リハビリテーション学の博士号を取得した。
**日本障害者リハビリテーション協会研究会会員


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1973年1月(第9号)2頁~14頁

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