脳性マヒ児をもつ家族のためのプログラム

脳性マヒ児をもつ家族のためのプログラム

Family Programs for the Cerebral Palsied and Their Families

Ian T.McDonald *

鮎貝利子**

 障害児をもった家族は、家庭の危機に直面するものであると、往々にして見られがちである。なぜかといえば、このような家族では、家庭の崩壊率が高いからであり、したがって障害者関係の仕事に従事している者は、障害児自体に関する種々の問題についてのみでなく、そのきょうだいに関する問題に関しても、目を向けなければならないのである。

 一例をあげれば、障害児の弟をもつ10代の姉は、交際しはじめたばかりのボ-イフレンドに対して、弟の状態をどのように説明するのだろうか。はたしてだれが納得させることのできる適切な方法を見つけられるのだろうか。過保護に取り扱うことは、その子どもを受け入れないことと同様の結果をもたらし、子どもの人格的・身体的成長をそこなうことにもなりかねないのである。

 私たちが地域社会への障害者の統合を望むとすれば、まず私たちは、障害児をその家族との統合から着手しなければならないのである。そうした家族の態度は、しばしば地域社会の受入態勢に大きな影響を与えているのである。

 1970年度のクィ-ンズランド脳性マヒ福祉連盟(Queensland Spastic Welfare League )の年次報告書は、次のような所見を報じている。「70年度の脳性マヒセンタ-の活動は、家族に対して高度に専門的な援助の実施を目ざしていたことは注目すべきことであろう。私たちはもはや、家族のために施策を推し進めていくのではなく、ともに家族と肩を並べて問題に取り組んでいかなければならないのである。そしてまた障害児の親は、脳性マヒのわが子のための治療や訓練のプログラムを受ける機会があるのに、それをのがすことは許されないのである」と。

 連盟のサービス部門は、家族のためのユニークで、また興味が喚起されるようなプログラムの概念を導入した。そのプログラムの最初のものであるパイロット・プログラムは、8月上旬に1週間にわたり行なわれ、都市や地方の両地域から11家族が参加した。地方からの参加者には夏期休暇のために空室になっていた連盟の住居施設があてがわれ、都市からの参加者には連盟の車が利用された。

 そのプログラムに参加した家族は合計41名となり、その内訳は母親10名、父親3名、脳性マヒ児10名、姉妹9名、兄弟9名であった。まず三つの大きなグループに分けられ、種々さまざまなプログラムが実施された。

 プログラム1には、親たち全員と14才以上の子どもたち、プログラム2には、5才から12才までの脳性マヒ児とそのきょうだいたちである(その後、このプログラムは統合プログラムとして知られるようになった)。プログラム3は、5才以下の脳性マヒ児とそのきょうだいたちで構成されており、この特殊なプログラムは、幼稚園の活動内容に多少手を加えたものを基礎にした。次にプログラムの実際について述べてみたいと思う。

●プログラム1

 これは親たちと年長児のためのもので、おもに連盟関係者による講義によって成り立っている。その講師は、脳性マヒ児・者の治療、訓練、教育面等さまざまな専門分野を代表する者であった。各種専門分野からの多様なアプロ-チをとったため、総合的な資料が提供され、参加者のニ-ドをきっと満足させたにちがいない。講義のなかでは、連盟およびそのサービスの概要も説明され、それらは、①脳性マヒに関する理解をより深めるための医療的・社会的両見地からの情報、②脳性マヒ者の世話のしかた、③行動心理学、④成長発達過程における子どもや青少年のニ-ド、⑤コミュニケ-ションと言語の発達、⑥日常生活動作、⑦心理学的評価および家庭における救急処置と医療管理等であった。

 このプログラムの重要かつ興味を喚起させる点というのは、全体で話し合える場が設けられたことである。討論はいつも各講義の締めくくりのときと、毎日のプログラムの終わりに行なわれ、本格的な討議はプログラムの最終日に約1時間半にわたり行なわれた。

●プログラム2

 この統合活動プログラムは、プログラム1と同時に行なわれ、5才から14才までの脳性マヒ児とそのきょうだいで構成された。このプログラムは講義と本格的な討議を行なう予定であった。しかし、スタッフの意向として、あまり形式ばらない形態を好み、適切な指導や情報をその折々に与える方法がよいということであった。参加したきょうだいのひとりは、このプログラムの終わりにあたって配布されたアンケートにこのアプローチを「狡猾な洗脳」方法であると感想を述べていた。

 プログラム2には、家庭で行なう美術、手工芸、運動、余暇活動の計画が織り込まれていた。プログラムの全体的意図は、きょうだいが脳性マヒに対する理解を少しでも深め、障害をもつきょうだいや親の力になれるようにするためであった。ある親が話していた次のような意味深い話はこの事実を裏書きするものであろう。その健康な息子は、ほかの脳性マヒの子どもたちやその兄弟の集まりに参加し、こうした状況にいるのは「自分ひとりだけでなく、孤独でもない」ことを認識することができたと話したことである。

 興味を持続し、みんなで行動をともにするために、子どもたちは毎日、午後は遠足に出かけた。ある一日は、ブリスベ-ンの精神病理学者の夫妻が経営している近くの冒険の遊び場に出かけた。この遊園地「冒険の国」はすべておとなも子ども、ともにも楽しめるところで、設備等においては実にユニ-クである。

 プログラムの終わりに、親たち全員にアンケートをわたし、建設的な批判をどんどん書いてほしいと伝え、正直な回答をしてもらうために、アンケートは無記名ですることにした。

 このアンケートの結果は、意義深いものでありかつ満足すべき成果をあげることができた。これは今後のプログラム作成に関して、大いに寄与するものであったと思われる。

 これらのプログラムは、医師、セラピスト、教育関係者、および住居施設関係者が、連盟で行なっている日常のきまりきったプログラムの仕事から解放される学校の休暇期間に計画される。そしてまた、このプログラムの実施したあとの効果を評価するために、プログラムを実施した1か月後に、参加した家族に「追跡調査」アンケートを送る予定である。

 したがって、はじめて行なわれたこの実験的家族プログラムは成功をおさめたと判断してよいであろう。これからはこのプログラムにより多くの家族が参加してほしいし、クィ-ンズランド脳性マヒ福祉連盟がすでに広範にわたって実施しているサ-ビスに新たに加えられることにより、障害をもつ家族の一員のための治療、訓練、教育、就職の問題の解決に対して、家族が連盟とともに果たすべき責任を認識し、協力してくれるよう望んでやまない。

 家族プログラムの概念は、今後引き続き発展してゆくであろう。学校の休暇ちゅうは普段の訓練の効果も活動も減少してしまうという懸念があり、また施設、設備、職員の能力も生かされない状態なので、この時期にこそ家族プログラムを実施すべきなのである。施設・設備の維持費および専門・補助職員に支払われる賃金も安くはないので、施設および職員の能力をフルに活用すべきであろう。

 (Rehabilitation in Australia,January 1972から)

*オ-ストラリア、クィ-ンズランド脳性マヒ福祉連盟理事長補佐(サ-ビス部門担当)
**日本肢体不自由児協会書記


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1973年1月(第10号)20頁~21頁

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