ミネソタ州におけるHELPキャンペーン

ミネソタ州におけるHELPキャンペーン

The HELP Campaign in Minnesota

Iver A. Iversen, M. S., Norman E. Silberberg, Ph. D.,Duane T. Sermon, M. S., and Erwin J. Chorn, B. A.

宮武宏治*

筆者について…Mr. Iversen と Dr.Silberberg はミネソタ州ミネアポリスにある Kenny Rehabilitation Institute の研究部門に籍を置き、Mr.Chorn はミネソタ州セント・ポールの教育省職業リハビリテーション部のリハビリテーション情報専門官である。Dr.Silberberg は1965年にアイオワ州立大学より博士号を修得し、米国心理学会の会員である。

 

HELPキャンペーンとは

 このHELPキャンペーンは、米国における障害者が、自分たちで必要としている援助の手を素直に書きあらわせるようになることをめざした、公共サービス宣伝キャンペーンであった。その結果、なんらかのかたちの援助を必要としている障害者が約1,100名いることが判明した。質問表に対する全回答者のうち、ミネソタ州内の諸機関に援助を実際に求めたことのある者は、29パーセントにしかすぎなかった。

 質問紙回答者を自然抽出し、それらの人びとを面接した結果、援助を必要としているケースの41パーセントは、職業リハビリテーション省(Department of Vocational Rehabilitation,略称 DVR)が対処すべきものであった。DVR以外の機関が適切なサービス源と思われたケースは約24パーセントであり、残りの35パーセントは適切なサービス源をすぐに見い出すのはむずかしいケースであった。

 キャンペーンの結果を評価し、以下のような勧告がまとめられた。

1) 全国的な情報媒体を活用し、現存のヒューマン・サービス・プログラムのより広い利用を呼びかけるべきである。しかしその場合、サービスを受けられる対象人口をもっと明確化すべきである。 2) 従来の私書箱(HELP, Box 1200,Washington, D. C.)を廃止し、各州に私書箱(HELP, Box 1200, 各州の首都)を設置すべきである。 3) ミネソタ州の人びとのために、連邦調整をつかさどる情報照会センターを設置すべきである。

序 論

 1968年に、The Social and Rehabilitation Service of the U. S. Department of Health, Education, and Welfare(HEW)は、ニューヨークに本拠を置く Warwick & Legleir, Inc.という宣伝機関と協同して、障害者に適切なリハビリテーション・サービスを受けるよう奨励することをねらった全国的な規模のキャンペーンをくりひろげた。

 アメリカの企業によって出資されている非営利団体である広告協会を通じて、全国の情報機関がこのキャンペーンのために時間とスペースをささげるように要請された。このキャンペーンが HELPキャンペーンと呼ばれたのである。

 HELPキャンペーンのおもな目標は Warwickによって報告されているように、1)なんらかの助けが受けられるということを障害者、障害者の友人、親類および一般大衆に知らせること、2)その援助をどのように受けるかを示すこと、そして3)障害者、特に自己憐憫に陥っている人々、刺激される必要のある人々を励まし、勇気づけて行動を起こすように促すこと、であった。

 大衆向けの報道がラジオやテレビを通して、また新聞や雑誌の紙面を通して行なわれ、このキャンペーンのテーマである「あなたから障害というレッテル以外は何も失われるべきでありません」という言葉に表わされているように、障害によるむだな苦労がどんなに多くあるかを伝えた。たとえば、それらの報道の代表的な例を示すと、

 「誇り、恐れ、そして精神的な混乱が、500万人もの障害者から、必要なサービス機関の援助を受ける機会を奪っています。ある人は過去に生きており、生まれたときから障害を持っている人は過去も持っておりません。しかし、その多くの人々は適切な指導と治療を受けるならば、自分のことは自分でできるようになり、…われわれだれにとっても欠かせない満足感、独立心、そして尊厳、などを彼らに与える就労ということも可能になってきます。

 ですから、もし、あなた自身が障害者であるか、だれか心にかけている障害者がおられれば、あなたの住所、氏名、その障害などを書いた手紙を次の場所にお送りください。必要に援助が受けられます。送り先は:ワシントン市局区内私書箱 1200, HELPあてです。あなたから障害というレッテル以外何も失われるべきではありません」

 HELP キャンペーンの基本的な目的は、 Warwickが述べているように、「障害者および、その友人や親戚にワシントンの私書箱へ手紙を書くように促すことだ。そうすれば、HEWによって適当な州のリハビリテーション機関、または事務所など、彼が連絡を取るべきところを教えてくれることになっている」。このように最初はキャンペーンに対する反応として送られてきた手紙の返信は、U. S. Social and Rehabilitation Service によってなされるように計画され、始められたが、のちにこの責任は職業更生局(Vocational Rehabilitation)の州支部に与えられるようになった。

 ミネソタ州にある Vocational Rehabilitationの支部(DVR)は、2年間続いたこのキャンペーンの期間中に1,000通近くの手紙を受けた。

 手紙がつくと、その後にとられる行動によって、三つのグループに分けられた。盲人のサービス、または別の福祉サービス等が明確に記されている手紙は、その該当する機関へ直接転送することによって、その後の処置がとられる。一般的なことを知りたいという手紙には、職業リハビリテーションの各種サービス機関のパンフレットを返事の手紙といっしょに送っている。また、より特殊な問題を含んだ、援助を必要とする手紙は、専門職員が見なおしたのち、職業リハビリテーション・カウンセラーにフォローアップしてもらうため、DVRの地方事務所に転送される。

 HELPキャンペーンは、障害者を捜し出す新しい方法を示した。また、福祉サービス実施計画の作成や評価のためにも意義深いものであったようだ。

 たとえば、このキャンペーンは、既存の委託機関によっては見失われていた人々を捜し出し、彼らが必要としている適切な、公的なリハビリテーション・サービスを与えるという点で、効果的である、ということが実証されたであろうか?そこで、HELPキャンペーンの追跡調査が、次の段階として必要となってきた。そのために6か月にわたる研究が行なわれ、キャンペーンに反応した人々の問題を査定し、その必要にどれだけ、このキャンペーンがこたえることができたかを評価することになった。

研究計画と方法

 1970年中にミネソタ州の DVRと Kenny Rehabilitation Institute(KRI)の研究部門が、HELPキャンペーンにこたえて手紙をくれた人々の必要を調査する研究を実施した。その研究は三つの目的をもって計画された。第一にキャンペーン自体を評価するため、第二にキャンペーンに応答した人々はだれであって、だれが援助を必要とし、どんな援助を必要としていたかを明確にするためであり、第三には現存の公的機関、リハビリテーション機関が彼らの必要にどれだけこたえられていたか、またこたえられていなかったかを評価するためである。

 研究は4段階で進められた。すなわち、1)HELPの手紙の内容分析、2)手紙を書いた人全員に対するアンケート調査を郵送で実施、3)手紙の筆者のうちから<サンプル>した人々に個人的面接の実施、そして、4)DVRから入手できる関連した事例の保存資料の分析である。

 

手紙の内容分析

 ミネソタ州のDVRへ寄せられた983通のHELP書簡のうち、22パーセントは差出人の氏名と住所しか書いてなかったり、いくつかは気にしている問題に言及はしているが、自分が助力を求めている本人なのか、だれかほかの人のために書いたのかが全くわからないものであった。そのほかは、すなわち、全体の78パーセントは助力を必要としている人の名前が明らかにされてある。

 ミネソタ州には87の郡があり、13個所にDVRの地方事務所が置かれていて、各事務所はいくつもの郡にわたってその責任を果たしている。ミネアポリスとセントポールにある地方事務所の業務は、都会地域を包含している八つの郡にわたっている。

 そのほかの79の郡は農村地域を構成しているが、11の地方事務所によってすべて担当されている。HELPに寄せられた手紙のうち約50パーセントが農村地域からのもので、43パーセントが都会地域からのものであった。残りの7パーセントというのは特別な分類に属するが、この中には、返信用住所が不完全なもの、他の州からの手紙でミネソタに住んでいる人に助力を与えるよう求めているもの、また、福祉事務所や盲人のサービス機関に照会されるべきことが明記されている手紙などが含まれている。

 この研究では、このキャンペーンの広告に反応して、手紙を書いた人を<応答者>(respondent)と呼び、手紙の中で応答者によって<心配されている人>として名前が出てくる人を<対象者>(referent)と呼ぶこととする。この2種類の人々、応答者と対象者は別個に名前を確認される。前者はHELP書簡の筆者たちであり、後者は援助を必要としている人々としてである。しかし、この2種類の人々は、多くの応答者が自分自身を対象者と認めているので、かなり重複しあっている。

アンケート調査

 HELP書簡の内容分析では、せいぜいだれが手紙を書き、だれが助力を必要としているかという疑問に、ある程度の答えを得ることが期待できるだけである。大衆向けになされた報道では、手紙の差出人の住所、氏名および彼が気にかけている障害の名称以外の情報を特別要求しなかった。手紙の22パーセントは、この情報だけしか書いてないので、さらに多くの情報を得るために別の方法が必要となった。また、細かい点にわたって記述してある手紙についても、より多くの情報を得るためばかりでなく、書かれている情報を確認するためにも、なんらかの方法が必要とされた。

 この両者の目的を達成するために、HELP<応答者>に対して、郵送による調査が行なわれた。アンケート用紙は983名の<応答者>中11名を除いて、全員に郵送された。除外者11名は返信用住所が不完全な者であった。のちになって、さらに、21名が死亡していたことが明らかにされた。質問に対する回答が期待された951名中、590名(62%)が質問に回答して、返送してきた。

 返送された調査結果により、667名の<対象者>が確認された。そのうちの543名は、手紙の内容分析の段階で明らかにされた者である。残りの124名は、<応答者>が気にかけている障害の<対象者>か、その手紙の中で明らかにされていなかった者で、郵送による調査によって確認された人々である。

個人面接

 郵送によるアンケート調査の対象となった応答者の3分の1近くが、ランダムに抽出されて、職業リハビリテーション・カウンセラーによって、電話または面会による面接が行なわれた。これらの面接の目的は二つあげられる。一つは手紙の内容分析および、アンケート調査の結果を確認するための情報を得るため、二つには、HELPキャンペーンの結果、ミネソタ州の機関が、対象者たちに提供したサービスの質と量についての情報を得て、できればまだ満たされていないニードについて知ることである。

 面接期間にあてられた4週間に、個人面接と電話を日程を調整することがむずかしいために、選出された307名の手紙の著者のうち119名(39%)は、面接が実施されなかった。面接されたのはサンプル中の188名(61%)であった。これは郵送調査の回答率とほぼ同じある。

 サンプルの抽出にかたよりがあったか否かを知るために、面接されたグループは面接されなかったグループと多くの媒介変数によって比較された。移転なり、ほかの理由などで、質問調査または、個人面接でとらえられなかった手紙の筆者たちが25名いるだけで、二つのグループは非常に類似していることが明らかにされた。したがって、実際に面接されたサブサンプルは、これはもはやランダムサンプルとはいえないが、HELP応答者の代表的側面とじゅうぶん見なされるであろう。

DVR事例保存資料

 HELP書簡が手がかりとなって、そのうちの数人は、DVRにすでに知られていた者であることがわかった。返送されたアンケート調査によって、DVRと接触を持ったことのある者が明らかにされたが、多分、これはHELP書簡の結果と思われる。また、個人面接によって、さらにほかの人々が確認された。そこで、1970年会計年度(1969年7月1日より1970年6月30日まで)中に終了または継続中として、ミネソタ州DVRのコンピュータに記録された患者名簿が調査され、HELP書簡の結果としてDVRに連絡をとった者がさらにいないか、また、手紙の内容分析、アンケート調査および、個人面接によって、すでにDVRとの連絡が確認されている者とを照合した。

 1970年会計年度に、終了または継続中の患者名簿調査によって、1)HELP書簡の対象者であり、2)DVRとなんらかの連絡を持つようになった者、全員の現状が明らかにされた。

結 果

 HELPキャンペーンの4段階にわたる評価の完全な分析は、この研究の完成に基づいて作成された報告に載せられている。この章では4段階のそれぞれに焦点をあてて、細かく検討するよりは、むしろ(1)HELPへ手紙を書いた人のグループ(応答者)、(2)HELP書簡の中で心配されている人々のグループ(対象者)、(3)後者のグループのニードを満たすうえで果たしたミネソタ州機関の役割についての結果を述べることとする。

 (1)HELP書簡の筆者

 HELP書簡の3分の1近くが、どのようにして筆者がHELPキャンペーンを知るようになったかについて言及している。雑誌や新聞広告も一役をになったが、それは比較的少なかった。最も多くの応答者が、このキャンペーンを知ったのは、ラジオとテレビの放送を通じてであった。しかし、テレビ放映はアナウンスの回数が少なかったせいか、とにかく農村地区に比して都会地区のそれが、実質的に低かったことが指摘された。

 手紙を筆者の性別で見るとほぼ同数であった。また、その大多数はHELPキャンペーンのアナウンスで要求した以上の細かい点について述べており、半数近くが少なくとも1ページ相当の手紙であった。

 HELP応答者の質問調査での、総回答率は62パーセントを得たが、農村地区の回答率は都会地区のそれより高かった(67%対57%)。しかし、これに比例して、都会地区の男性応答者が、農村地区の男性応答者よりも質問事項に少ししか答えていない事実を観察すれば、前述の差も全く理解されうるであろう。

 手紙の調子が攻撃的であると言えるものはごく少数であったが、質問調査の回答では、かならずしもそうとは言えなかった。手紙が書かれた時点と質問調査の時点との間で、感情の流れに問題となる決定的な変化が起こっている。アンケートの約12パーセントが、HELPキャンペーン、ミネソタ州の機関、または社会一般に対して敵意を示していた。最も多い不満は、返事をもらうまでの時間が長すぎる点であった。その多くが2枚以上の手紙を書いており、4枚以上にわたるものもなん通かあった。

 ある応答者はそれを、次のように雄弁に語っている。「人が、全く見も知らぬ他人に助けを求める手紙を書くほど追いつめられた状態にあるときには、すぐにも助けが必要なのだ…。今から、4か月先とか4週間先ではない…」と。ほとんどの応答者、約62パーセントは、彼らの手紙に対する返事を受けとったことを認めている。しかし、<すべての>手紙に対して、DVRからの返事がなされたので、かならずしもすべての応答者がこのDVRの返事を、彼らのHELP書簡に対する返事であると認めたとは限らないのである。されに、手紙を送ってから返事を受けたときまでの期間が長引いたことで、敏速な援助の求めに対して、多くの場合返事が適切となり得ないという結果を生んだ。

 面接調査に参加した職業リハビリテーション・カウンセラーは、次の点について応答者を評価することが求められた。すなわち、応答者は、彼らが手紙の中で明らかにした対象者のニードをどの程度理解していたか、これらのニードを満たすために受けられるサービスについてどの程度知識を持っているか、また、この方向にそって、すでにとられている処置に対する認知度などである。三つの観点すべてについて、カウンセラーの評価は、応答者はかなり現実的であるとする傾向が強かった。これらの結果は、手紙の内容分析およびアンケート調査の段階で得た一般的な印象、つまり、それらの手紙が、現実的な問題に対する現実的な悩みから書かれたものであるという印象を強く支持するものである。

 (2)問題とされた対象者

 応答者の約60パーセントは、その手紙の中で自分自身を問題の対象としていた。応答者が自分以外の者を気にかけている場合、その対象者は配偶者、両親、子ども、または近い親戚のだれかである場合が80パーセント近く占めている。10通中1通ぐらいの割で2人以上の対象者を書いてくる手紙がある─応答者が、対象者として自分以外にだれかを、1人またはそれ以上加えるのである。HELPへの983通の手紙に、全体で約1,100名のミネソタ住民が問題の対象者として記述された。

 助力を必要とした、これらの人々の平均年齢は約50才であった。前に述べたように、応答者の性別はほぼ同数であったが、対象者の60パーセントは男であった。問題の対象者が自分以外の応答者の多くは女性であり、彼らの夫について手紙を書いたものである。

 手紙とアンケート調査で確認された対象者は、多くの場合、欲求不満の生活をしてきており、それえゆえに援助を受ける資格があると記されていた。ほかの者はそのりっぱな経歴のゆえに、援助を受ける資格があると記されている(所帯持ちで、りっぱに仕事をしていた経歴があり、等々)。ごくわずかの例であるが、社会がなんらかの形で助力となってくれたことを示唆する調子の手紙もあった。手紙は常に、質問調であり、その多くに、深い思いやりと強い危惧の念が容易に感じとられた。アンケートの回答は、前述したようにいくらかは敵意を示すようになった応答者もいたが、大むね、最初に書いた手紙の調子を反映していた。

 障害、または、それに関連した職業上の障害を気にかけている問題として取り上げているものが、手紙の87パーセントを占めた。この比率はアンケート調査のときまでに82パーセントに落ちていたが、一つの理由は対象者の何人かは、すでに障害が解決されていたこと、もう一つの理由は障害者の死亡率が一般より高いためである。

 次にHELP書簡およびアンケートの回答に、多く出てくる二つの問題は、失業問題とそれに関連した経済問題である(おのおの48%と50%)。また、どちらかの問題を記述している手紙の80パーセントは、はっきりと援助を訴えている。医療の質、費用および継続の問題なども、手紙およびアンケート回答で明らかにされた多くの対象者にとって、心配なこととして記述されていた。このことは手紙の12パーセントに取り上げられただけであるが、アンケートの回答では33パーセントに現われた。

 対象者の職業的分類は幅広い範囲にわたっていることが、個人面接の段階で明らかにされた。たとえば、対象者の10パーセントは現在、もしくは以前に、専門職、管理職、または技術職にランクされる仕事についていた。4分の1は現在職業についているが、その多くは、特に農村地区では低賃金雇用であった。家庭の総収入については、都会地区では、対象者の20パーセント、農村地区では4パーセントのみが5,000ドル以上の収入を得ていた。さらに、都会地区の17パーセントと農村地区の39パーセントは家族の総収入が1,000ドル以下である事実が、このグループの経済的必要をよりいっそう明らかに示している。

 個人面接の応答者サンプルのうち、20パーセントの者からは対象者が職業を持っていた最終時点はいつかを知る情報が得られなかった。この情報が得られた者のうち、33パーセントは現在も就職しており、20パーセントが過去3年間までには職業を持っていた。しかしながら、対象者の失業と低賃金雇用が、面接された応答者の46パーセントにとって中心的な問題となっていた。

(3)諸機関の役割

 DVRはアンケートの回答で確認された対象者102名(15%)によってサービスの照会を受けている。さらに91名(14%)は Welfare,Manpower,Social Securityまたは他の機関に必要な処置を求めて連絡している。DVRに連絡をとった人々のうち、男性は女性に3対2ぐらいの割合で上まわっていた。これは手紙とアンケート調査で確認された対象者の男女比とほぼ同じ比率である。しかし、男性のほうが女性よりも比較的多くの連絡をDVRととったことになる。

 それに加えて、援助を求める機関が決定された要因に年齢があげられる。65才以上の対象者は、一般にDVR以外の機関と連絡をとっているのに対して、50才以下の者にはDVRが中心的な役割を果たす傾向にあった。DVRが連絡を受ける機関となった場合は、連絡の多数(55%)が、初めてサービス機関の職員による処置を受けることになった。DVR以外の機関と文通した者は33パーセントであった。

 DVRであるか、ほかの機関であるかを問わず、どこかの機関と連絡をとった対象者が、これらの連絡を結果として、なんらかのサービスを受けたと感じた応答者は約31パーセントにすぎない。ほかの30パーセントはアンケート調査のときに、もっと進んだ援助を訴えていた。さらに残りの多くは、どんな機関からも援助を期待することは絶望的であると見ていることが、彼らの批判的文章から推察される。

 面接を担当した職業リハビリテーション・カウンセラーが、171名の対象者について、彼らが必要としているサービスが受けられるか否かの判定を行った。事例の41パーセントについて、DVRがそのサービスを提供する機関として適していると見なされた。残りの35パーセントについては適切なサービス機関は全くない現状である。

 サブサンプル、171名の対象者の現在または以前の中心的な職業は、これらの3グループについては差がなかった。また、家庭の総収入についても同様で、三つのグループの間に家庭総収入の差は事実上なかった。

 しかし、DVRは就職問題の分野でサービスを必要としている人々にとっては、しばしば適切な機関であるとみなされた。就職に関する問題を持っている79名の対象者(サブサンプルの46%)のうち、61パーセントが「DVR」グループに含まれていた。年齢も、この三つのグループを分ける要因になったようだ。60才か、それ以上の年齢の対象者38名中、面接者によって、職業リハビリテーションを受けるだけの潜在能力があると見なされたのは、たった3名であった。残りの35名は「適当な機関なし」グループと「DVR以外」グループにほぼ均等に分けられた。

 カウンセラーによって、職業リハビリテーションの潜在能力を持っていると判断された者のうち、約37パーセントが、すでにDVRと連絡を持っていた。DVRとすでに連絡を持っていた者の何人かは、ほかの2グループにも含まれている(「DVR以外」グループに26%、「適当な機関なし」グループに17%)。

 一般的に、職業リハビリテーションがあてはまる対象者は、年齢が14才から64才までの障害者だと考えている。HELP書簡で心配された対象者のうち、約57パーセントは16才から59才までの障害者であり、15パーセントが60才から64才までの年齢層にあった。しかし、後者のグループには、面接の段階で職業リハビリテーションの対象者として、適当と認められた者はほとんどいなかった。

 障害者の年齢と障害程度のみを基準にして考えると、60才から64才までの者も含めて、上記の57パーセントという数字が、職業リハビリテーションを受けることが妥当と認められる者の上限であろう。しかしながら、この比率も、実施の可能性という問題を考えると、さらに低くなることが考えられる。検討している57パーセントの中に、カウンセラーによって、現在のサービス機構の及ぶ範囲を越える問題を持っていると判定された者が多くいた。

 面接段階で確認された対象者で、現在の機関では扱いえない問題を持っている者は約60パーセントあり、年齢では16才から59才までの障害者であった。この事実を一般化して全対象者を見直してみると、前述の数字が、57パーセントから37パーセントに減ってしまうことになる。言いかえると、HELP書簡で取り上げられた対象者全体の約37パーセントが、年齢幅16才から59才の障害者であって、<しかも>職業リハビリテーションを実際受けられうる候補者なのである。

 前述の各種の方法によって、援助を求めてDVRに行ったことのある人々が確認されたが、DVRに知られていたのは152名だけ(1,100名の対象者のうち約14%)が確認される結果となった。この比率はアンケート調査によって、DVRに援助を求めたことが明らかとなった15パーセントの数字と近似している。

 これら、DVRに知られている人々の中で20パーセントは照会の段階、またはサービスを受けている段階で打ち切られており、リハビリテートされていない者であり、29パーセントは照会中の者、45パーセントはリハビリテーション・プログラムに基づいてサービスを受けている者である。そして7パーセントが成功裏にリハビリテーションを終了した者であった。

考 察

 この研究の四つの段階─手紙の内容分析、アンケート調査、個人面接、そしてDVRの保存資料検討─は、それぞれ、情報収集において高い水準を示した。各段階の情報はその前の段階で得られた結果を、さらに確認するとともに、より深い考案を可能にする傾向にあった。

 アンケート調査はHELP書簡に現れていた以上の水準でニードが実在している、という情報を提出した。それはまた、次のことを明らかにした。つまり、多くの人は問い合わせの結果に、あまり満足していない。考えられる理由としては、このキャンペーンが現存機関の能力範囲を越えた問題を持つ、非常に多数の人々から問い合わせを受ける結果となったことである。

 面接段階では、HELP応答者は非常に現実的な問題についての悩みから手紙を書いたという印象を裏づける結果となった。面接を実施した職業リハビリテーション・カウンセラーは、応答者がその対象者のニードとそれを満たすための可能な方策について、一般的に現実的な理解をしていることを見い出した。それで、カウンセラーの専門的判定によると、これら助力を必要とする人々のうち、相当の割合の人々が現存のサービス機関によっては救われえない現状にある。

 HELPへの照会の結果として、助力を求めることになった人々の確認にいろいろの方法が用いられたが、それらによると、全体の29パーセントがDVRもしくは他の機関に連絡をとったことが明らかとなった。残りの人々、すなわち、全体の71パーセントは、いまだに彼らに必要とする助力を求めるために、どこの機関とも連絡していない。

 もちろん、DVRが適当な機関であると認定された人々すべてが、職業リハビリテーションが自分の求めていたものだと認めたとはかぎらない。同じようなことは、ほかの機関に認定された人々についても言える。しかし、理由はなんであれ、機関に助力を求めていない人々がいるということは、いまだ満たされていないニードが存在していることを意味しているのである。

 Roper Research Associates がHELPキャンペーンに先行する研究の中で見い出したように、低所得者層が最も高い障害の出現率を持っているにもかかわらず、助力はどこで、いつ得たらよいかの知識は最も低いものであった。このことが、問題の一部を説明しているのではなかろうか。HELP書簡で取り上げられた対象者は一般に低い所得者層に多く、彼らの大部分は障害を有していた。であるから、HELPへの問い合わせに対する回答として送られた印刷物や一定形式の書類も、この人々にとってほとんど刺激剤としても役だたなかったかもしれない。

 さらに、助力を必要とする多くの人々が、現在知られているどんな機関によっても助けを受けられないという、因惑させるような事実も明らかになっている。職業リハビリテーション・カウンセラーが、現存するあらゆるサービス機関を知りつくしているわけではないと仮定しても、彼らが適当な施設を見い出だしてやれなかった人々が、3人に1人の割でいたという事実は無視できないことである。

 このような人々は、とにかく満たされるニードの存在を表わしていると同時に、カウンセラーの結論が正確である度合いに従って満たされないニードの存在─すくなくとも、現在までのところ、彼らにサービスを行ないうる機関が存在していないことを表わしている。

 アンケート調査や個人面接で、ときどき出された批判で指摘されたことだが、HELPへ手紙を書くようにとの宣伝が、なされすぎた。カウンセラーのひとりが述べているように「面接中に経験したことであるが、‘HELP’Agenyは老人病、奇形そして、精神薄弱を治す、驚くべき薬でも発見したかのように、人々は考えていた」。実際、「あなたから障害というレッテル以外は何も失われるべきではありません」というキャンペーンのテーマが、守ることはどんな形であれ不可能な約束を内包していたのである。

 HELPキャンペーンは、助力を必要としていて、得ていない人々を捜しだすという非常に基本的な問題を、全国規模で行なった初めての試みであった。しかし、その方法は、目標とされた人々のキャンペーン宣伝物に対する関心、手紙を書こうとする動機、そして、手紙を書く能力などに大きく左右されるものであった。

 HELPへ手紙を書いた人の多くは、彼らの訴えに対する返事を受けとれずに失望してしまった。キャンペーンの初期には、長期の遅延はめずらしいことではなかった。しかし、キャンペーンの初期にあった事務処置の問題が解決したあとでも、返信に用する時間は日数というより何週間かかるかの問題であった。

 さらに、HELPキャンペーンの大衆向け宣伝文はあまりに多くの期待を与えすぎた。この種のキャンペーンに見合った情報、照会サービスが行なえるようになるときまでは、対象となる人々のより正確な把握が先決である。たとえ、キャンペーンの目標が職業リハビリテーションであることが明確となっており、その対象者がそれによって更生されることがわかったとしても、現存のサービス機関によっては解決しえない問題を持っている人々にとっては、魅力的なものではなかったかもしれない。

 しかしながら、このキャンペーンは福祉の浸透という面で新たな方法を示した。これは、助力を必要とする人々との接触を作りだす際、いたって効果的な方法を用いたばかりでなく、共働して、隠れた人々を捜し出すことの潜在的価値をも証明する結果となった─つまり、個人と公的機関が同じ目標に向かって共働することである。どんな問題であっても、そこに問い合わせれば助力が得られるという場所を一か所にしておくという考えは、人の心をとらえるもので、これが結局、HELPキャンペーンが提供した基本的なものであった。

結 論

 HELPキャンペーンと、それがミネソタ州の人々に与えた影響についてKRI/DVRが評価した結果、この種のキャンペーンを将来行なうに際して改良すべき点をいくつか明らかにすることができた。すなわち、処置しうる以上のことを期待させないこと、もっと応じやすいものであること、そして、すぐに回答を出すこと。

 全国規模の情報機関は、よく知られているように、情報を流布する非常に効果的な方法をとり、これらの人々を捜し出すために今後とも続けて活用されるべきである。しかし、そこに流されるメッセージは助力の約束をあまり広げすぎないようにすべきで、対象となる人々をより注意深く限定すべきである。

 福祉に関する情報の流布は全国的規模で実施しうるが、サービスの実施はできない。全国を対象にした一つの送り先(HELP, Box1200, Washington, D. C.)というのは、目的遂行にはそぐわなかった。潜在的な応答者の中にはワシントンのような遠い所からどうして助力が得られるだろうかといぶかった者もいただろう。実際の処置のために、地方、または州の機関に問い戻すことからくる回答の遅滞も、多くの応答者にとっていらだちとなった。

 さらに進んで、そのようなこともなく応答者が直接回答を受け取れるとしても、サービス実施の責任を負っている現存の機構を飛び越えて中央へ問い合わせることは、なんらかの不利な点を生じるであろう。これらの問題の解決は応答者たちに「あなたの州の首都、私書箱1200, HELP」あてに手紙を書くよう勧めることであろう。

 全国よりは州単位の送り先のほうが、既存のサービス機構に援助を求める人々にとって、より使いやすいものとするうえで、さらに、このような広域啓蒙運動をより彼らのニードにそったものとするうえでもまさったものであるろう。しかし、それでもなお、要求に合致したサービスの実施という問題は依然存在する。州で運営される情報、照会サービスは、多分都会地域の支部とともに、サービス実施に必須の一環となりうるであろう。

 (Rehabilitation Literature,May 1972から)

参考文献 略

*東京教育大学教育学部附属桐が丘養護学校教論


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1973年1月(第9号)24頁~32頁

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