司書の役割─異常児のために

司書の役割─異常児のために

The Libralian and the Exceptional Child

Moya M.Duplica * A.C.S.W.

奥野英子**

異常児とは

 異常児といえば、それは特殊な児童のことをいうのであろう。ほかの子どもとなんらかの点で差異のある子どものことをいうのであろう。

 しかし、一見同じように見える子どもでも、よく観察してみると、ひとりひとりかなりの差異があることが、明らかになるものである。兄弟でも、その容貌、パーソナリティー、行動においては、お互いにかなり異なっている。個々の子どもは、ひとりひとり別個の人間なのである。「すべての人間は、ある面ではその人を除くすべての人と同じようでもあり、また、なん人かの人と同じようにも見え、またその反対に、だれとも似ていないものである」

 一般の子どもとなんらかの点で違っていると(その子が平均的な子どもと似ていないがためだけで)、まわりからは奇異な目で見られる。医療、心理、社会的な現象、に関する知識が非常に豊かであっても、多様性(diversity )を受け入れる態勢はできていないのである。このような不寛容な態勢の原因がなんであれ、社会は多様性という局面に取り組み始めなければならないのである。

 問題に対処するメカニズムは、なにも現代だけに使われる特権ではない。いつの時代でも、社会はその社会にある問題に対処しているのである。その方法は、適切と思われる方法であり、必ずしも、人間的方法といえるかどうかは、別問題である。

 いわゆる異常と見なされる人に対する社会の態度は、人間一般に対してや、特定の異常者に対して、さまざまな陰影を投げかけてきた。

 異常児とは、知能、身体面、社会性等において、平均的な児童と異なっており、普通に子どもを育てようとするには、なんらかの修正を加えなければならないと見なされる子どもである。このような子どもとしては、精神薄弱児、盲児、視覚障害児、言語障害児、肢体不自由児、健康上の症状(てんかん病、糖尿病、脳性マヒ、ポリオ、リウマチ、筋ジストロフィー、心臓病、身体的異常、その他の障害)、ろう児、聴覚障害児、情緒障害児、学習障害児、英才児などがあげられる。

 このほか、精神病児や脳機能に障害のある子どもや、社会・文化的に不利な立場にある児童も、異常児という範ちゅうにはいり、養子縁組による里子も異常児とみなすべきであるという説もある。したがって、〈異常〉ということばの意味するところはかなり広く、知能の面では上端から下端の両方にいる子どもを含むので、〈障害〉という術語が示すよりも、もっと多くの児童を包含している。

 異常児童とは、普通の家族制度や普通の教育制度のなかではうまくいかない児童である、とまとめられるであろう。このような特殊な子どもが、個々の能力を最大限に伸ばすためにはどうしたらよいのかを、専門家は決定しなければならない。

精神薄弱児も異常児

 異常ということばが意味する広範囲の分野の中でも、精神薄弱の分野はかなり調査・研究されており、大量の資料が山積みされている。これらの研究は、何世紀も前から着手されているが、注目に値する研究は、18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパや米国にあらわれてきた。リハビリテーションという概念を強調する動向は、人道的思想や社会の連帯という社会革命によって、もたらされたものであるが、Dr.Edouard Seguin,Dr.Samuel Gridley Howe,Dr.Walter E.Fernaldなどの社会改革派が行なった運動の成果は、米国ではあまり長続きしなかった。

 産業革命によって、リハビリテーションという概念から療護(custodial care)という方向に向かざるをえなかった。精神薄弱者が、施設を出て社会の中にはいっていくための努力をしても、うまくいくケースは少なかった。産業の要求が、社会生活を支配し、その結果、社会は複雑となり、競争社会となっていた。社会のペースについてゆけない者は、受け入れられなかったのである。

 その結果、多様な目的を満たす療護という形態が発展し、そこで精神薄弱者は保護され、施設の中で生活するようになってしまった。しかしながら、このような施設サービスばかりでなく、違うかたちの措置も徐々に生まれてきて、その一例として、特殊学級などがあり、州によっては、職業教育、指導、あっせんプログラムを実施するようになった。

 その後、保護の形態も多様化し、精神薄弱者も社会の中へ統合化されるようになってきた。社会統制という名目のもとに、優生保護法(sterilization laws )が制定されたが、この完全実施は困難であることが判明し、その結果、20世紀初期に起こった、このような優生学上の恐怖によって、精神薄弱者はますます孤立化し、蔑視されるようになった。

 このような傾向がまったくなくなったわけではないが、医療や社会学上の知識が向上し、また、連邦・州法などのおかげで、最近は、人道的な傾向がよみ返ってきたようである。こんにちでは、精神衛生上好ましくない環境や、刺激のない環境によっても、精神薄弱が生じると認識されるようになってきた。また、市のまっただ中にも施設を見つけられるようになってきたことは、喜ぶべき傾向であろう。

 1912年に、連邦政府は児童局を設置し、米国全土の児童の福祉に関与することになったが、必然的に、精神薄弱児の置かれている状況についても、指導的な情報源となった。児童局は貴重な研究を遂行し、数多くの州の見本となった。1935年に社会保障法(Social Security Act )が通過したため、児童局は児童福祉・保健事業に責任をもつようになり、その結果、児童局は広範囲にわたる医療プログラムの調査を実施するようになって、ひいては、連邦政府の財源によって運営される精神薄弱治療センターが設置されるに至った。現在では、200 以上にわたるこの種のセンターが、精神薄弱児とその家族に対するサービスを実施している。

 故ジョン・F・ケネディ大統領は、精神薄弱事業に特に力を入れたため、米国全土で精神薄弱に対する関心が非常に高まった。そしてケネディ大統領の偉業は、同大統領の悲劇的な死のあとも、後継者に受け継がれているのである。その他の関係法令がジョンソン大統領時代にも起草され、それは、1970年10月30日、リチャード・M・ニクソン大統領によって承認された。この法令は障害開発法(Development Disabilities Act)と称され、現在サービスの中にあるギャップをうめる目的をもっている。

 これらの法令がいかにすぐれていようとも、精神薄弱者に対する偏見をなくすことはできなかった。いまだに低能だとか、異常だとか、怪奇だとかいわれているのである。かつて精神薄弱の分類に使われていた、魯飩、痴愚、白痴などということばのかわりに、軽度、中度、重度ということばが、1954年以来、WHOで採用されるようになった。術語として〈精神薄弱者(mentally retarded)〉ということばが、どの専門分野の職員にも好まれているので、WHOはその公式出版物には〈精神薄弱者〉ということばを使っている。

 精神薄弱とは、「知的機能が著しく低下し、それが発達過程にあらわれ、ひいては、適応行動に顕著な障害があらわれる」とGunner Dybwad は述べている。同氏によると:

 〈精神薄弱者〉ということばは、IQが70から75である人には通常該当しない。またたとえIQが70より下であっても、70以下の者すべてが精神薄弱者とはいえないし、またIQが75以上であっても、精神薄弱者の範ちゅうにはいる者もいる。精神薄弱者とみなされるべきか否かは、計測知能だけで決められるのでなく、もう一つの基準にもよるのである。精神薄弱の定義における2番目の基準とは、〈その人の属する地域社会(または文化)が、一定の年齢の者に対して要求する社会生活適応行動において、顕著な障害が見られる〉である。

 したがって、この広い定義によると、〈精神薄弱〉とは、知的機能と適応行動の関連における、その人の現在置かれている立場を示す術語である。そうなると、同一人物でも、あるときには精神薄弱の基準に合い、あるときには合わない、ということも起こりうるのである。

 もう一つ単純な定義があるが、それは本稿にとって有意義なものであろう。「精神薄弱児をあたたかく理解することのほうが、冷たい定義よりまさる」とAbraham Levinsonは確信しており、彼は精神薄弱を〈知能が異常であり、学習能力に問題あり〉と定義している。

精神薄弱児とその家族

 専門職員は、精神薄弱の定義ばかりでなく、精神薄弱の症状およびそれが精神薄弱児とその家族に及ぼす影響力を理解しなければならない。精神薄弱児が司書に反応しようとしているならば、司書は個人対個人として、また人間の感情というレベルで、その子どもに対応できなければならないであろう。

 精神薄弱児は、愛、食べ物、避難所、および機会を求めている。普通の人間なのである。すべての人間と同様に、彼は各種発達段階に応じて、他人に依存的になったり、その依存性が少なくなったりするのである。性格および能力においても、個人個人の差異がある。彼は、喜び、悲しみ、そして生存競争を経験する。彼のそれまでの人生は、もちろん相対的にいうとであるが、異常であったため、彼の喜び、悲しみ、生存競争もまた異常であったかもしれない。精神薄弱者ひとりひとりにとっては、これらの経験、感情は個人個人まちまちである。そのため、特定の児童にどの分野の専門家が接しようとも、いつ接触しようとも、その児童の人間としての独自性を尊重しなければならない。精神薄弱児が社会で果たすべき役割は流動しているが、精神薄弱児の自己概念についてもっと研究する必要があろう。

 また、精神薄弱者がワークショップの同僚の中で自分をどのように見ているか、彼の障害はどれくらい重いのか、教師や上司をどのように見ているか、同僚の態度に対してどのように反応しているか、などについて、もっと研究を進める必要があろう。たとえば、精神薄弱のおとなが、子どものように学校の中で、童謡を歌わせられたり、子どもっぽい遊戯をさせられたら、彼はどう思うだろうか。

 精神薄弱者を取りまく各種社会──家庭、学校、地域、職場──から生じる諸問題、および、各種段階の言語、感情、期待感などについても研究を進めなければならない。

 また司書としては、精神薄弱児にも両親、兄弟、親戚、または家族に代わる保護者がいることを忘れてはならない。18才以下の児童に注意の目がゆき届くよう、また収入の少ない60才以上の老人には職を与えるために、連邦政府によって規定されたプログラムがある。このプログラムについては、Ruth Johnston が詳しく記述している。自分の子どもが精神薄弱児であることを親が知ったときは、まずショックと悲しみに襲われる。「なぜこんなことになったのでしょう」、「私たちがなにをしたっていうのでしょう。ほかの人たちには正常児が生まれているというのに、なぜ私たちばかりが…」と親は思わずにいられない。罪悪感や挫折感を味わう。最終的な診断を受けても、それを信じたくないために、ほかの診断を求めて歩きまわり、事実をゆがめさえする。

 親が嘆き悲しんでいるとき、特に母親が精神薄弱児が生まれたことを嘆いているときには、現実を認識し、現実に適応することがむずかしい。このような悲嘆に暮れている状態を、医師、看護婦、ソーシャルワーカー、また産科病棟に図書を配って歩く病院の司書は、認めなければならない。両親、特に母親は、その痛み、悲しみ、喪失感から救われなければならない。精神薄弱児をもつ親は「慢性的悲しみ」に苦しむといわれてきた。

 出産からかなりの年月が過ぎても、自分たちの子どもが精神薄弱児だということを知ったときに、親はいま述べたと同じような感情を経験する。年齢にともなった発達が見られないので、このような現象はゆっくりであるが、しかし、確かに起こるのである。このような症状は社会的交わりの場で顕著になる。ほかの子どもが反応することにその子が反応しなかったり、学業についてゆけなかったりしたときである。親戚、教師、小児科医は、親に同調し、あなたのお子さんはご兄弟にくらべると「遅い」だけで、いまに「追いつき」ますよといったり、期待しすぎるせいですよ、といったりする。そのことばを聞いて親は満足し、またたとえそんななぐさめのことばを受け入れなくても、「ウィリアムはウィリアムなんだから」と考えられるようになる。

 普通の生活をしていても、精神薄弱になってしまう子どももいる。このような悲劇のもっとも多い原因は、ケガや疾病によって、治療不可能な脳損傷を受けたためである。このような事態に直面した親たちは、高い治療費を支払わなければならないし、夢は打ちくだかれ、子どもは決してもとのようには戻らないのである。

 現実を受けとめられるようになり、プログラムが始まると、親は精神薄弱の病因学についても学ぶようになり、その結果、地域社会プログラムに活躍する親も出てくる。精神薄弱児をもつ親のグループは、社会に対する影響力の大きな団体を結成し、特殊教育やレクリエーション・プログラムにも乗り出すようになる。全国精神薄弱児協会(National Association for Rctarded Children)も、全国的な規模の父母の会が発展したものであり、1970年にその会員数は10万名以上を数え、加盟団体は約1,500 ある。

 このような社会活動に参加することは、すなわち、精神薄弱児が、その家族の中での日常生活を経験することである。家族とは、個人と個人がお互いに交わる一つの機構であり、ひいては、環境やその他の制度と交わるところである。子どものパーソナリティーは発達し、家族制度のなかで維持され、そして家族構成員との接触になんらかの影響を受けているのである。子どもに対する親の反応や感情は、親戚や友人のことば、隣人や地域社会がその子に対してもつ印象、広い意味での社会態度、および、社会福祉サービスが用意されているかどうか、などの諸要素に影響される。

 家族の収入のいかんにかかわらず受けられる社会・保健サービスがあるが、ケアを企画する際には、家族の経済・社会的位置を考慮しなければならない。ワシントン州のシアトルで最近行なわれた調査によると、精神薄弱者の社会・経済的位置についての配慮があまりなされていなかったことが指摘されている。また、教育をあまり受けていない、低所得階層家庭の子どもたちに対するサービスがまだゆきわたっていないと、同調査は結論している。

 若い精神薄弱者が家族で生活しているときには、なんらかの危機が生じたときにしかサービスがゆきわたらないようである。家族管理(family management )を個別的に実施しなければならないし、しかしながら、精神薄弱者が家族にいる者たちの生活には、いろいろな問題が起こりがちである。子どもを家庭に置くべきか否かについて、親はなんども自問自答をくり返している。施設に入れるべきか否かの問題は、その子どもと家族のニードによって決めるべきである。そのような決断をするときには、家族の精神衛生をじゅうぶんに考慮しなければならない。

 重度精神薄弱児(中度および軽度の精神薄弱児でも起こりうるが)は、親の身体的および情緒的限界以上の負担をかけがちである。このような場合、地域社会のサービスがないならば、施設に入れることが唯一の解決法となる。中度および軽度精神薄弱児の場合は、家庭から学校に通い、社会においても半自立的に生活できるかもしれない。個々のユニークな環境に対処するためには、専門家からの援助を親は待ち望んでいる。

 それでは、施設収容は、精神薄弱児にどのような影響を与えているだろうか。まず第一に、異常児を施設に入れるということは、その子がそれまで住みなれてきた環境やその家族からひき離し、知らない環境に入れられ、見知らぬ人と接触しなければならない、ということである。

 一人の著名な作家Goffman の表現によると、施設とは、「同じような病状をもつ者が、一定期間、広い社会から切り離されて、閉鎖的かつ管理された生活を、集団で営む場所である。」生活の単調さ、黙従、他人依存、プライバシーの欠如、同じ人といつも顔をつき合わせていることなどが、その人の生活パターンにしみついてしまう。第二番目に、施設とは管理されるものである。管理する側の第一番目の関心事は、入所者すべての幸福である、と同時に、施設全体が最大に機能することである。精神薄弱者施設の管理上の理念は、人間的であるということであり、それと同時に、社会に対して財政面を説明しなければならない義務がある。第三番目に、専門家および非専門家は、入所者に強い関心をもち、ケアに専心しなければならない。しかし現実としては、職員は一日24時間、施設にいるわけではない。

 入所者は、施設の外の世界との接触がきわめてはばまれている。入所者の日常活動はすべて、同じ場所で、同じ職員の指導のもとに行なわれる。入所者のためによい、という判断のもとにそこに収容されたので、入所者は、そこで規定されている生活形態を受け入れなければならない。しかし、施設が入所者を社会から隔絶するならば、入所者の自己が疎外されたことになるであろう。またGoffman は、精神病患者の施設では、他人への従順と自己調整との間に混乱が起きがちである、と述べている。この説は精神薄弱者にも当てはまるであろう。

 施設での生活をちょっと見てみると、数多くの異常者は、施設という防壁の陰で生活の大部分を過ごしているという現実を否定するわけにはいかない。異常者の施設を訪問すると、施設は人を守るためにつくられているのか、社会を守るためにつくられているのか、と疑問を持たざるをえない。療護(custodial care)はリハビリテーションとはいえないはずである。施設収容(institutionalization )とは、個性化を否定するものである。

 精神薄弱児をもった親は、その子どもについての責任感、その子どものもつ特殊なニードを片時も忘れることができず、つねに幻想に悩まされる。たとえ彼を施設に入れても、また、その子が忘れられているようにみえても、その子どもが一度家族のなかで生活したことがあれば、その子どもの存在を家族は決して忘れることができないのである。

 いままでに説明した〈異常ということ〉、〈精神薄弱〉をもとにして、司書に対して次のような提言したい。

司書の果たすべき役割

 異常児のために、司書は何ができるであろうか。異常児に対してもっと効果的な専門的サービス提供過程における自分自身でありたいと願っている司書に対して、次の三つのポイントを指針として提言したい。

1. 自分自身を知れ

2. 自分の住んでいる地域社会を知れ

3. 異常に関する情報を得よ

 自分自身を知り、理解することは、他人を知り、理解するための第一歩である。したがって、自分はどんな人であるか、どんな背景をもっているのか、どんな方向に歩もうとしているのかを、はっきりと決断しなければならない。これは自己研究(self-study)を意味し、自分自身を評価すれば、自分を研究することになるのである。このように突き詰めていけば、自己認識(self-awareness )を強めることになる。自分のまわりの世界、およびその世界に住んでいる人びとをより深く理解させてくれるのも、自己認識のおかげである。その結果、他人に対する感受性が豊かになり、人間関係もスムーズになり、他人のいうことを注意深く聞けるようになる。

 広義でいうところの異常児、狭義でいうところの精神薄弱児のために役だつには、これらの子どもおよびその症状をよく知ることが、まず第一番目に重要なことである。いわゆる「普通の人と違う人」について、自分はどのように感じるか、「普通の人と違う」権利を子どもはもっているのだろうか。これらの点に対する自分の感情を正直に探求してみて初めて、自分の態度がはっきりしてくるのである。また、その自分の態度はなにが原因しているのかを、司書は知りたく思うであろうし、そのような子どもに対処できる自分でありたいと思うであろう。そして、すぐ目の前にいる子どもに対して、もっともよい方法で役にたちたく、行動に移るであろう。

 もっともよいサービスとは、司書がこのような特殊な子どもに対して、どれほど積極的に応待できるかにかかってくるであろう。その図書利用者は特殊であるから、専門化されたサービスがもっとも効果的であろう。すなわち、まずあたたかい態度で接し、ほほえみやジェスチャー、またはことばでもって、相手を受容し、尊重し、役にたちたいと思っている姿勢を表わすようにしよう。特殊児童のニードを満たすためには、たとえほんの数分間であっても、その子どもとの人間関係を確立する能力が、重要な要素となる。司書が自分自身をさらけ出し、そして心に目標をしっかりととらえているならば、その子どもも自分をさらけ出すであろう。その子どもは彼なりの特殊な方法で司書に自分の意志を伝えようとし、自分の目的はなんであるかをしっかりと心にとめているのである。これは相互過程(reciprocal process)といえるものである。

 指針の第二番目にあげたことは、異常児およびその親たちに対する、地域社会のサービスである。地域福祉センターには、各種のプログラムや団体があるはずであり、そのリストは、募金機関から取り寄せればよい。在宅していたり、または通所してくる図書利用者と司書が人間関係をもつようになれば、地域社会に現存するサービスに関する知識をもつことは、有力な援助力となるし、それは同時に、特殊なニードをもつ子どもやその家族に対して、誠意ある関心を示すことになるであろう。新しいサービスの企画に参画したり、社会事業団体にボランティアとして参加したり、貧困世帯がかたまっている地域での活動に直接参加するというような経験は、地域社会に関する情報を得るのに役だつであろう。

 このような経験をもつ司書は、社会活動に首をつっこんだ地域社会人となり、委員会、協議会、審議会に対しても発言力をもてるようになるであろう。ひいては、精神薄弱者を対象としている専門家が、直接サービスの各種形態について、司書の意見を聞くようにもなるであろう。司書は新刊文献についての知識も豊富なので、その面でも社会事業機関に協力できるし、より多くの専門家の図書館利用が増加するであろう。また、セラピストは、子どもやその親たちを司書に紹介し、いわば読書療法(bibliotherapy )となる、各種図書サービスを利用させるようにできる。各種専門家が努力し合えば、可能性の範囲も広げられるのである。興味を分かち合い、自分も参加しようという気持ちは、自己認識から生まれてくる個人の決断のたまものである。

 専門家であるためには、自分のもつ技能を公然と発表しなければならない。専門家と地域社会の関係を考えてみると、専門家としての規律が弱いように感じられる。しかし現代は特異な時代であるので、特異な傾向も必要とされよう。各種段階で、より広い地域社会に責任を果たすために、司書は熟考し、決断し、行動に移ることも可能であろう。どのような方法をとるかは、司書ひとりひとりの選択でよい。自分の任務である知識活動から出てくる責任感こそが、Abraham Flexner がいうところの「専門家としての第一次的特徴」である。

 彼の意見によると、このような過程には、専門家が「自分がなにをすべきかについて過大な判断を行使する」危険性がある。市民一般に対するサービスが、司書の主要任務であるが、このサービスは図書館の壁でへだたれるものではない。

 第三番目にあげた指針については、説明する必要はないと思うが、しかしこれについても綿密に調べると、意外な局面がでてくる。科学的な知識や専門的文献は入手しやすいが、しかしこれらだけで、異常問題を理解できると思ったら大まちがいである。各種さまざまなかたちであらわれる異常問題を比較検討し、その相違点を研究してみるのも一助となろう。理解は理解にしかすぎないのであり、異常者と応待でき、そのニードにこたえられるようになるには、経験と忍耐が必要とされる。

 各種分野の専門家に相談してみるのも、情報源となるし、異常者に対するサービスをし、施設の中でそれを実行している司書も豊かな情報をもっているだろう。これらの司書は教材をじゅうぶんにもっているだろうし、適用技術においても豊かな経験をもっているであろう。

 異常児の本や学習に対する興味を起こさせそれを継続させる、各種の媒体に精通していれば、非常に役だつであろう。数多くの図書館で収集され利用されている教材には、洗える布製本、大きな活字で印刷した本や新聞、レコード、フィルム、プロジェクター、指人形セットなどがある。読書クラブ、お話しの時間、ジャーナリズム・グループを設定するのも効果的な対策となろう。

 地方や州組織の中で働いている司書が、施設の中にある図書館で、ボランティアの経験をしてみれば、在宅の異常児を、一般の子どもといっしょにお話しを聞くプログラムに参加させよう、とのヒントを得ることもできよう。司書の感受性をますには、異常者に関するドキュメンタリー・フィルムを見せることも一助となろう。ここにあげたのはほんの一例であるが、このような努力が広範囲に行なわれることを願うものである。

 このような経験はやりがいがあるかもしれないが、同時に、心理的、具体的にも重い負担がかかり、めんどうでもあり、イライラさせられることも事実である。しかしこのような現象は、新しい試みをしようと思うときにはいつでもぶつかることである。挑戦を試み、自分の人生をより豊かなものにするよう、新しい道を求めてごらんなさい。そうすれば、「わたしは自分を役だてることができた」と心からいえるようになるであろう。

(Rehabilitation Literature,July 1972 から)

参考文献 略

*Mrs.Duplica は、シアトルにあるワシントン大学社会事業学部の助教授である。同女史は1956年にセントルイス大学で社会事業修士号を修得した。本稿は、1971年6月24日のダラス会議において、アメリカ図書館協会児童サービス部の代表として発表した論文である。
**日本肢体不自由児協会書記


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1973年7月号(第11号)21頁~27頁

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